下鴨神社歴史

下鴨神社

下鴨神社歴史(下鴨神社の歴史)を紹介しています。(簡単歴史)下鴨神社は起源が明確ではありません。社伝によると神武天皇の御代に比叡山西麓の御蔭山(みかげやま)に賀茂建角身命(かもたけつぬみのみこと)が降臨したのが起源と言われています。

【下鴨神社歴史以外の情報】
下鴨神社歴史以外の基本情報
下鴨神社歴史以外の情報(見どころ)

【下鴨神社歴史 年表】
(下鴨神社歴史 創建)
下鴨神社(しもがもじんじゃ)・賀茂御祖神社(かもみおやじんじゃ)は起源が明確ではありません。下鴨神社は社伝によると初代・神武天皇の御代に比叡山西麓の御蔭山(みかげやま)に賀茂建角身命(かもたけつぬみのみこと)が降臨したのが起源と言われています。下鴨神社は紀元前90年(崇神天皇7年)に瑞垣の修造の記録があり、それ以前から祀られていたとも言われています。糺の森周辺の発掘調査では弥生時代の住居跡や土器が発掘されたそうです。なお下鴨神社は上賀茂神社(賀茂別雷神社)とともに古代氏族・賀茂氏の氏神を祀り、上賀茂神社と合わせて賀茂神社(賀茂社)と言われました。下鴨神社と上賀茂神社の祭礼で、京都三大祭である葵祭は正式には賀茂祭と言われています。
第29代・欽明天皇の時代(539年~571年)に葵祭が始まり、677年(天武天皇6年)に官営神社になり、678年(天武天皇7年)には社殿が造営されたと言われています。
奈良時代の天平年間(729年~748年)頃に下鴨神社は上賀茂神社から分置されたとも言われています。
784年(延暦3年)に式年遷宮が行われ、長岡京遷都に伴い、上賀茂神社社とともに従二位の神位が与えられました。

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(下鴨神社歴史 平安時代)
794年(延暦13年)平安京遷都の際、王城鎮護の神になり、桓武天皇が初めて行幸しました。807年(大同2年)に正一位に叙され、葵祭(賀茂祭)が勅祭になり、810年(大同5年)には賀茂斎院が置かれ、嵯峨天皇の皇女・有智子内親王(うちこないしんのう)が初代斎王として仕えました。なお斎王は35代、約400年も続き、1212年(建暦2年)の後鳥羽天皇の皇女・礼子内親王(れいしないしんのう)が最後になりました。
820年(弘仁11年)頃に嵯峨天皇の勅により、神宮寺が建立されました。なお神宮寺は明治維新後の廃仏毀釈によって廃されました。
1036年(長元9年)後一条天皇の勅により、21年毎の式年遷宮が始りました。

(下鴨神社歴史 その後)
1221年(承久3年)の承久の乱などによって焼失しました。その後応仁の乱(1467年(応仁元年)~1477年(文明9年))の兵火によっても焼失し、葵祭は中止になりました。なお葵祭及び下鴨神社の境外摂社・御蔭神社(みかげじんじゃ)の祭礼・御蔭祭はしばらく途絶えていたが、1694年(元禄7年)からともに再開しました。
明治維新後の近代社格制度では官幣大社に指定されました。

【下鴨神社歴史 建物】
●東本殿は1863年(文久3年)の式年造営で建て替えられました。
●西本殿は1863年(文久3年)の式年造営で建て替えられました。
●舞殿(まいどの)は1628年(寛永5年)に造営されました。御所がかつて被災した際、臨時の内侍所になりました。
●細殿(ほそどの)は1628年(寛永5年)に建て替えられました。
●橋殿(はしどの)は1628年(寛永5年)に建て替えられました。
●神服殿(しんぷくでん)は1628年(寛永5年)に造営されました。1854年(嘉永6年)の大火の際には孝明天皇が移りました。
●幣殿(へいでん)は1629年(寛永6年)に造営されました。
●大炊殿(おおいどの)は応仁の乱兵火によって焼失し、その後再建されました。
●楼門は1628年(寛永5年)に造営されました。なお楼門は重要文化財です。
●西唐門(葡萄門)は1628年(寛永5年)に造営されました。

【下鴨神社歴史 その他】
●糺の森山背原野の原生樹林と同じ植生を現在も残していると言われています。

【下鴨神社歴史 上賀茂神社】
上賀茂神社は社伝によると神代の昔に賀茂別雷命(かもわけいかづちのかみ)が現社殿の北北西にある秀峰・神山(こうやま)に降臨したのが起源とも言われています。
下鴨神社歴史・上賀茂神社

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