京都山科洛南桜名所地図

山科疏水

京都山科・洛南にある桜の名所(寺院・神社など)を紹介しています。京都では例年3月下旬頃から4月上旬頃に桜の見ごろを迎えることが多いが、その年の気候や桜の名所の地理的条件などによって多少前後することがあります。最近は地球温暖化の影響により、少し見頃が早まることが多いようです。

【京都桜見ごろ 桜開花・満開予想】
2018年3月28日、京都地方気象台が桜の満開を観測しました。2018年3月22日、京都地方気象台は京都市(二条城標準木)で桜が開花したと発表しました。2018年3月20日、ウェザーニュースは清水寺の桜が3月22日に開花、3月29日に満開になるとの予想を発表しました。2018年3月19日、ウェザーマップは京都(二条城標準木)の桜が3月23日に開花、3月30日に満開、3月29日から4月5日に見ごろになるとの予想を発表しました。

【京都山科桜名所 マップ・地図】

【京都山科洛南桜名所 基礎知識】
桜は2月1日以降の最高気温(毎日)の合計が600度を超えると開花し、地域によって若干差があるが、開花から1週間から5日ほどで満開(桜の見ごろ)になるとも言われています。なお桜と言うと花見を連想するが、奈良時代に花見と言えば、中国から伝わった梅だったそうです。しかし平安時代になると梅から桜に少しずつ変わって行ったそうです。それは貴族などが詠んだ和歌などにも現れ、「万葉集(奈良時代末期頃成立)」では梅を詠んだ歌が119首、桜を詠んだ歌が42種だったが、「古今和歌集(平安時代前期成立)」では梅を詠んだ歌が18首、桜を詠んだ歌が70種とその数が逆転します。(誤差あり)

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毘沙門堂・・・4月上旬頃
山科疏水・・・4月上旬頃
大石神社・・・4月上旬頃

【京都山科桜名所 毘沙門堂】
毘沙門堂(びしゃもんどう)は寺伝によると703年(大宝3年)に僧・行基(ぎょうき・ぎょうぎ)が第42代・文武天皇の勅願により、護法山出雲寺を上京区出雲路に創建したのが起源と言われています。その後平安時代末期に荒廃したが、鎌倉時代初期に平親範(たいらのちかのり)が平家ゆかりの3つの寺院を合寺して再興しました。しかし再び荒廃し、1665年(寛文5年)天海大僧正(てんかいだいそうじょう)とその弟子・公海大僧正(こうかいだいそうじょう)が現在の場所に移して再興しました。その後後西天皇の皇子・公弁法親王(こうべんほっしんのう)が入寺し、門跡寺院になりました。
毘沙門堂・桜名所

【京都山科桜名所 山科疏水】
山科疏水(やましなそすい)は滋賀大津から京都宇治川まで流れる約20キロの琵琶湖疏水の一部です。山科疏水の内、四ノ宮から日ノ岡までの約4.2キロには桜並木が続き、疏水脇の遊歩道から桜を楽しみながら散策することができます。なお山科疏水を含めた琵琶湖疏水は京都府知事・北垣国道(きたがきくにみち)が京都近代化政策の一環として計画し、1885年(明治18年)に着工し、1894年(明治27年)に完成しました。
山科疏水・桜名所

【京都山科桜名所 大石神社】
大石神社(おおいしじんじゃ)は赤穂義士・大石内蔵助(おおいしくらのすけ・大石良雄)が隠棲した閑居跡とも言われる岩屋寺(いわやじ)近くにあります。大石内蔵助は1701年(元禄14年)7月から1702年(元禄15年)9月まで親類(母方の大叔父)・進藤源四郎(しんどうげんしろう・進藤俊式)の世話によって住居を構えました。大石神社は昭和初期に赤穂義士を崇拝していた浪曲師・吉田大和之丞(よしだやまとのじょう・吉田奈良丸)が大石内蔵助ゆかりの山科に神社を造営することを計画したのが起源です。その後1935年(昭和10年)に京都府知事を会長とする大石神社建設会が社殿を造営し、討入の為の武器を納入した天野屋利兵衛(あまのやりへえ)を祀る義人社も造営されました。なお大石神社は大石内蔵助を祀り、大願成就のご利益があるとも言われています。
大石神社・桜名所
桜ライトアップ・大石神社

【京都洛南桜名所 マップ・地図】

東寺・・・4月上旬頃
城南宮・・・4月上旬頃
醍醐寺・・・4月上旬頃

【京都洛南桜名所 東寺】
東寺(とうじ)・教王護国寺(きょうおうごこくじ)は796年(延暦15年)に第50代・桓武天皇の発願により、西寺(右大寺)とともに国家鎮護の官寺として、都の入口である羅城門の東に創建されました。796年(延暦15年)には金堂が建立されたと言われています。その後823年(弘仁14年)弘法大師・空海が嵯峨天皇から賜り、真言密教の根本道場になりました。825年(天長2年)に講堂の建立が許され、826年(天長3年)に五重塔(塔婆)の造営を勧請しました。
東寺・桜名所
桜ライトアップ・東寺

【京都洛南桜名所 城南宮】
城南宮(じょうなんぐう)は第14代・仲哀天皇の皇后・神功皇后(じんぐうこうごう)による三韓征伐の際に船上に立てた旗とともに神功皇后・大国主神(八千戈神)を祀った真幡寸神社(まはたきじんじゃ)が起源と言われています。その後794年(延暦13年)桓武天皇による平安京遷都の際に国土の安泰と都の守護を祈願し、国常立尊(くにのとこたちのみこと)が併祀され、城南神と言われるようになりました。平安時代後期に白河上皇が鳥羽離宮(城南離宮)を造営して院政を始め、離宮の一部になりました。その後御所の裏鬼門を守る神となったが、応仁の乱などの兵火によって荒廃し、江戸時代になって復興しました。
城南宮・桜名所

【京都洛南桜名所 醍醐寺】
醍醐寺(だいごじ)は874年(貞観16年)に真言宗の開祖である弘法大師・空海の孫弟子である理源大師(りげんだいし)・聖宝(しょうぼう)が上醍醐山上で地主・横尾明神(よこおみょうじん)の示現により、醍醐水の霊泉を得て小堂宇を建立し、准胝観音(じゅんていかんのん)・如意輪観音(にょいりんかんのん)を安置したのが起源と言われています。聖宝は醍醐山に登った際に出会った老翁に「我はこの山の地主の横尾明神である。この山を和尚に献ずる。密教を広められよ」と言われたそうです。醍醐寺は当初私寺で、顕密兼学でした。907年(延喜7年)に第60代・醍醐天皇の御願により、薬師堂が建立されて薬師三尊が造立され、五大堂が落成すると上醍醐の伽藍が完成しました。その後926年(延長4年)に釈迦堂が建立され、951年(天暦5年)に五重塔が落成すると下醍醐の伽藍が完成しました。1115年(永久3年)に左大臣・源俊房(みなもとのとしふさ)の子で、醍醐寺14代座主・勝覚(しょうか)が醍醐寺の塔頭・三宝院(さんぼういん)を創建し、上醍醐・下醍醐の伽藍も整備しました。
醍醐寺・桜名所

【京都山科・洛南桜名所  備考】
*イベントの情報(日程・場所・内容など)は必ず主催者に確認して下さい。当サイトの情報はあくまで参考情報です。イベントの内容などが変更になっている場合もあります。
京都桜見ごろ2018

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