花街南座顔見世総見12

南座

南座顔見世総見は京都の冬の風物詩です。南座顔見世総見は毎年12月頃に行われています。南座顔見世総見では舞や芸事の上達につながるように五花街(上七軒・祇園甲部・祇園東・先斗町・宮川町)の芸妓・舞妓などが吉例顔見世興行(きちれいかおみせこうぎょう)を花街どとに桟敷席で観劇します。

●南座は2017年5月頃から耐震工事が始まり、2017年はロームシアター京都で行われます。

【南座顔見世総見 日程時間(要確認)】
南座顔見世総見は毎年12月頃に行われます。

【南座顔見世総見・南座 アクセス・地図】
場所・・・京都府京都市東山区四条通大和大路西入中之町198
最寄り駅・バス停・・・四条河原町(徒歩約3分)

市バスのアクセス路線は次の通りです。(最終更新2014年末・変更の場合あり)
*京都駅から南座は4系統(A2乗り場)、5系統(A1乗り場)、17系統(A2乗り場)、205系統(A2乗り場)
*四条烏丸からは3系統、203系統、207系統
*河原町丸太町からは4系統、10系統、205系統
京都市バス・アクセスダイヤ京都バス・鉄道乗換案内システム「歩くまち京都」

*京阪電鉄本線の場合、最寄り駅は祇園四条駅(徒歩すぐ)
*阪急電鉄京都線の場合、最寄り駅は河原町駅(徒歩約3分)

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【南座顔見世総見 歴史・簡単概要】
南座顔見世総見(みなみざかおみせそうけん)・花街総見(はなまちそうけん)では舞や芸事の上達につながるように五花街(上七軒・祇園甲部・祇園東・先斗町・宮川町)の芸妓・舞妓などが吉例顔見世興行(きちれいかおみせこうぎょう)を花街どとに桟敷席で観劇します。なお舞妓はまねきを模した花かんざしを挿し、贔屓の役者に名前を書き入れてもらいます。
吉例顔見世興行は毎年12月頃に行われる歌舞伎の興行です。歌舞伎役者は江戸時代に劇場と1年(旧暦の11月~翌年10月)ごとに契約を結ぶことが慣例となっており、劇場では今後1年間に出演する歌舞伎役者が口上を舞台で述べ、顔見世興行を行っていたそうです。ちなみに顔見世興行は新しい顔ぶれで最初に行う興業のことを言いうそうです。
上七軒(かみしちけん)は室町時代に北野天満宮が再建された際、残った資材を使って7軒の茶店が建てられたのが起源とされ、「上七軒」と言われるようになりました。
祇園甲部(ぎおんこうぶ)・祇園東(ぎおんひがし)は江戸時代初期に八坂神社の門前で営業していた水茶屋とそこで働く茶点て女が起源と言われています。京都所司代・板倉重宗から茶点て女を置くことが許可され、八坂神社(祇園社)門前の茶屋町を「祇園町」と言うようになりました。
先斗町(ぽんとちょう)は江戸時代初期に鴨川の州を埋め立て、茶屋や旅籠が置かれたのが始まりと言われています。先斗町の先斗という地名はポルトガル語のponto(先)が語源とも、先斗町が鴨川と高瀬川に挟まれ、2枚の皮に挟まれている鼓に例えられ、鼓の「ポン」と鳴る音に掛けたとも言われています。
宮川町(みやがわちょう)は江戸時代に人気になった出雲・阿国(おくに)の歌舞伎踊りの頃から始まりました。

【南座 歴史・簡単概要】
南座(みなみざ)・京都四條南座(きょうとしじょうみなみざ)は松竹が経営する劇場です。南座は元和年間(1615~1623年)に京都所司代・板倉勝重が四条河原に公許した7つの劇場(芝居小屋)の内、ただひとつ現在まで残っている劇場で、日本最古の劇場とも言われています。南座の名称は四条通の南に位置していることに由来しています。南座は1863年(文久3年)の大火や1870年(明治3年)の大火により、北座とともに焼失したが、1870年(明治3年)10月に再建されました。ただ北座は四条通の拡張に伴って、1893年(明治26年)に廃座になりました。その後南座は1906年(明治39年)に松竹に買収され、1929年(昭和4年)には桃山風意匠の鉄骨鉄筋コンクリート造の建物に建て替えられました。なお南座は1996年(平成8年)に国の登録有形文化財になりました。
*参考・・・南座(アクセス・歴史・・・)ホームページ南座(アクセス・歴史・・・)wikipedia

【南座顔見世総見 備考】
*イベントの情報(日程・場所・内容など)は必ず主催者に確認して下さい。当サイトの情報はあくまで参考情報です。イベントの内容などが変更になっている場合もあります。
南座(アクセス・見どころ・・・)情報

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