坂本龍馬ゆかりの場所

坂本龍馬

坂本龍馬ゆかりの場所を紹介しています。坂本龍馬は京都にあった近江屋で暗殺されたり、妻・お龍(おりょう)と出会ったりしたことから龍馬ゆかりの場所がたくさんあります。ちなみに暗殺された近江屋などは現在はなく、石碑が建てられたりしています。

【坂本龍馬ゆかりの場所 マップ・地図】

【坂本龍馬ゆかりの場所 京都霊山護国神社】
京都霊山護国神社(きょうとりょうぜんごこくじんじゃ)には1867年(慶応3年)京都・近江屋で暗殺された坂本龍馬と中岡慎太郎の墓があります。なお京都霊山護国神社は1868年(明治元年)明治天皇から明治維新を目前に倒れた志士達の御霊を奉祀する為に東山の霊山の佳域社を創建せよとの詔が発せられ、公家や山口・高知・福井・鳥取・熊本などの諸藩が山頂に祠宇(しう)を建立したのが起源です。
京都霊山護国神社・坂本龍馬ゆかりの場所

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【坂本龍馬ゆかりの場所 武信稲荷神社】
武信稲荷神社(たけのぶいなりじんじゃ)は坂本龍馬と妻・お龍が何度も訪れ、龍馬が榎(えのき)に「龍」の字を彫ったと言われています。榎(京都市天然記念物)には縁結びのご利益があるとも言われています。なお武信稲荷神社は859年(貞観元年)右大臣・藤原良相(ふじわらのよしすけ)が人々の健康長寿を願って創設した延命院と学問所である勧学院の守護神として、創祀したのが起源です。
武信稲荷神社・坂本龍馬ゆかりの場所

【坂本龍馬ゆかりの場所 岬神社】
岬神社(みさきじんじゃ)・土佐稲荷はかつて土佐藩京屋敷内にあり、坂本龍馬も参拝したと言われています。また岬神社の境内には1863年(文久3年)坂本龍馬が脱藩の罪により、7日間謹慎した際、常にもたれていという居室の柱の遺構があります。なお岬神社は室町時代に備前国西大寺村の新右衛門が鴨川の中州に祠を建てたのが起源と言われています。その後祠は鴨川の西岸に移されたが、慶長年間に土地は土佐藩に下賜され、社殿も土佐藩京屋敷内に移されました。
岬神社・坂本龍馬ゆかりの場所

【坂本龍馬ゆかりの場所 霊明神社】
霊明神社(れいめいじんじゃ)では近江屋事件で暗殺された坂本龍馬・中岡慎太郎・世話役の山田藤吉を葬りました。なお霊明神社は1809年(文化6年)村上都愷(むらかみくにやす)が正法寺(しょうほうじ)の塔頭・清林庵から山林を買って建立しました。
霊明神社・坂本龍馬ゆかりの場所

【坂本龍馬ゆかりの場所 土佐藩京屋敷】
土佐藩京屋敷は1863年(文久3年)坂本龍馬が脱藩の罪により、7日間謹慎したと言われています。土佐藩京屋敷は留守居役が詰め、御用掛を指定して、連絡事務を行っていました。なお土佐藩京屋敷は京都市中京区木屋町通蛸薬師角備前島町にあり、高瀬川に面していたことから高瀬川には土佐橋が架かっていたそうです。

【坂本龍馬ゆかりの場所 近江屋】
近江屋(おうみや)は1867年(慶応3年)11月15日(旧暦の12月10日)、坂本龍馬と中岡慎太郎が暗殺された場所です。暗殺者には京都見廻組説・新選組犯行説・薩摩藩陰謀説など諸説あるが、京都見廻組が有力とされているそうです。なお近江屋は京都市中京区河原町通蛸薬師下ル塩屋町にあった土佐藩御用達の醤油商でした。ただ現在近江屋はなく、近江屋がかつてあった場所の北隣に「坂本龍馬 中岡慎太郎 遭難之地」と刻まれた石碑が建っています。
近江屋・坂本龍馬ゆかりの場所

【坂本龍馬ゆかりの場所 酢屋】
酢屋(すや)は1721年(享保6年)初代・酢屋嘉兵衛が創業した材木商です。江戸時代末期に6代・嘉兵衛が高瀬川(たかせがわ)の木材独占輸送権を取得して材木商の元締めになりました。6代・嘉兵衛は材木商を営むだけでなく、坂本龍馬らを支援し、龍馬は酢屋の2階で寝泊りしたり、拳銃の試し撃ちをしりしたと言われています。また酢屋には海援隊京都本部(海援隊屯所)も置かれました。
酢屋・坂本龍馬ゆかりの場所

【坂本龍馬ゆかりの場所 寺田屋】
寺田屋(てらだや)は1866年(慶応2年)3月9日(旧暦の1月23日)、坂本龍馬が伏見奉行・林肥後守忠交の捕方に襲われたが、風呂に入っていたお龍の機転により、左右の親指に負傷はしたが、難を逃れました。お龍は寺田屋が捕り方30人ほどに囲まれたことに気付き、風呂から裸のまま裏階段使って2階へ駆け上り、龍馬に危険を知らせたと言われています。なお寺田屋は京都市伏見区南浜町263にあった薩摩藩の定宿(旅館)だったが、1868年(明治元年)鳥羽伏見の戦で焼失しました。現在寺田屋はかつて寺田屋があった場所の西隣に建てられ、かつての寺田屋とは無関係とも言われているそうです。
寺田屋・坂本龍馬ゆかりの場所

【坂本龍馬ゆかりの場所 坂本龍馬とお龍の結婚式場】
坂本龍馬とお龍は青蓮院のの塔頭・金蔵寺の本堂で、内々の結婚式(内祝言)を行ったと言われています。なお金蔵寺は京都市東山区三条通白川橋東入南側(旧東山ユースホステル前)にあったが、現在金蔵寺はなく、「坂本龍馬 妻お龍 結婚式場跡」と刻まれた石碑が建っています。
なお坂本龍馬とお龍は一般的に1866年(慶応2年)1月に夫婦の契りを結んだと言われているが、根拠が薄いそうです。

【坂本龍馬ゆかりの場所 寿寧院】
坂本龍馬の妻・お龍は龍馬暗殺後に西村松兵衛と再婚したが、遺言によって遺骨は龍馬の墓がある京都霊山護国神社と菩提寺・西林寺に分骨されました。しかしその後西林寺の遺骨は子孫により、天龍寺の塔頭・寿寧院に移されました。寿寧院にはお龍と父・楢崎将作の顕彰碑もあります。なお寿寧院(じゅねいいん)は貞治年間に臨済宗の僧・龍湫周沢(りゅうしゅうしゅうたく)が創建し、当初後醍醐天皇が創建した臨川寺(りんせんじ)の子院でした。
寿寧院・坂本龍馬ゆかりの場所

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