延暦寺歴史

延暦寺

延暦寺歴史(延暦寺の歴史)を紹介しています。(簡単歴史)延暦寺は元々古代から比叡山の地主神・大山咋神が鎮座する場所でした。その後788年(延暦7年)伝教大師・最澄が自ら刻んだ薬師如来(薬師瑠璃光如来)を本尊とする草庵・一乗止観院を結んだのが起源です。

【延暦寺歴史以外の情報】
延暦寺歴史以外の基本情報
延暦寺歴史以外の情報(見どころ)

【延暦寺歴史 年表】
(延暦寺歴史 創建前)
延暦寺(えんりゃくじ)は古代から比叡山の地主神・大山咋神(おおやまくいのかみ)が鎮座する神山として崇められていた場所でした。その後比叡山では近江守・藤原仲麻呂(ふじわらのなかまろ)が父・武智麻呂(ふじわらのむちまろ)の為に宝殿を建立して修行したとも、最澄の父・三津首百枝(みつのおびとももえ)が草庵を結で、男児(最澄)誕生を祈願したとも言われています。

(延暦寺歴史 創建)
788年(延暦7年)天台宗の宗祖である伝教大師(でんぎょうだいし)・最澄が自ら刻んだ薬師如来(薬師瑠璃光如来)を本尊とする草庵・一乗止観院(いちじょうしかんいん)を結びました。その後790年(延暦9年)に八部院が建立され、791年(延暦10年)に桓武天皇の御願寺になり、794年(延暦13年)には桓武天皇が行幸して落慶法要が行われたと言われています。なお806年(大同元年)に勅許によって天台宗が公認され、最澄の没後の824年(弘仁14年)には嵯峨天皇から最初の年号寺「延暦寺」が許されました。
最澄は12年間比叡山に篭もって修学・修行するの教育制度を確立し、天台宗の基礎を築いた第3代天台座主である円仁(えんにん)・天台寺門宗の宗祖である円珍(えんちん)・浄土宗の開祖である法然上人(ほうねんしょうにん)・浄土真宗の開祖である親鸞聖人(しんらんしょうにん)・融通念仏の祖である良忍上人(りょうにんしょうにん)・時宗の開祖である一遍上人(いっぺんしょうにん)・臨済宗の宗祖である栄西禅師(えいさいぜんじ)・曹洞宗の宗祖である道元禅師(どうげんぜんじ)・日蓮宗の開祖である日蓮聖人(にちれんしょうにん)などを輩出しました。なお比叡山には最盛期三千もの寺院が甍を並べていたと言われています。

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(延暦寺歴史 その後)
1571年(元亀2年)織田信長が浅井・朝倉と通じた延暦寺を焼き討ちし、伽藍の多くが焼失しました。
1585年(天正13年)関白・豊臣秀吉が再興を許可し、1604年(慶長9年)には淀殿が横川の中堂を再建しました。
1607年(慶長12年)江戸幕府初代将軍・徳川家康が天海大僧正(てんかいだいそうじょう)に再興を命じ、1642年(寛永19年)天海大僧正の進言により、江戸幕府3代将軍・徳川家光が根本中堂を再建しました。
明治維新後の廃仏毀釈により、日吉山王社を分離し、1870年(明治3年)には山門派・寺門派・盛門派に分裂しました。

【延暦寺歴史 文化財】
●根本中堂は1642年(寛永19年)江戸幕府3代将軍・徳川家光が再建しました。
●大講堂は1634年(寛永11年)に建立さた坂本の東照宮・讃仏堂であったが、1964年(昭和39年)に移されました。
●転法輪堂は1347年(正平2年)に建立された園城寺・弥勒堂を1595年(文禄4年)関白・豊臣秀吉が無理やり移したとも言われています。
●大乗戒壇院堂は1678年(延宝6年)に再建されました。
●瑠璃堂は室町時代に建立されました。
●常行堂・法華堂は1595年(文禄4年)に建立されました。
●阿弥陀堂の鐘楼は1634年(寛永11年)に建立されました。
●四季講堂(元三大師堂)は第18代天台座主である慈恵大師・良源の住居跡と言われています。

【延暦寺歴史 その他】
●不滅の法灯は788年(延暦7年)の延暦寺開山以来一度も消えることなく、1200年以上灯し続けてきたと言われています。ただ織田信長による比叡山焼き討ちによって一時途絶え、山形・立石寺に分灯していたものを延暦寺に移しました。

【延暦寺歴史 無動寺】
無動寺は865年(貞観7年)回峯行の創始者・相応和尚が創建したと言われています。無動寺は千日回峰行の拠点です。

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