節分四方参り

吉田神社節分祭

節分四方参りは京都の初春の風物詩です。節分四方参りは毎年節分(立春の前日)に行われます。四方参りは千年ほど前から節分に行われているとも言われる京都の風習です。四方参りでは北東の吉田神社・南西の壬生寺・北西の北野天満宮・南東の伏見稲荷大社(八坂神社)の4つの寺社をめぐり、邪気を祓い、福を招きます。

【節分四方参り 日程時間(要確認)】
節分四方参りは節分の日に吉田神社・壬生寺・北野天満宮・伏見稲荷大社(八坂神社)を巡ります。

【節分四方参り マップ・地図】

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【節分四方参り 歴史・簡単概要】
節分四方参り(よもまいり)は千年ほど前から節分に行われているとも言われる京都の風習です。四方参りでは北東の吉田神社・南西の壬生寺・北西の北野天満宮・南東の伏見稲荷大社(八坂神社)の4つの寺社をめぐり、邪気を祓い、福を招きます。
平安時代から節分には邪気(鬼)が生じると考えられていました。邪気(鬼)は先ず表鬼門(北東)の吉田神社に現れ、そこを追われて次に南東の伏見稲荷大社(八坂神社)に現れ、更にそこを追われて裏鬼門(南西)の壬生寺に現れ、最後に北西の北野天満宮に現れます。北野天満宮では邪気(鬼)が摂社・福部社(ふくべしゃ) に閉じ込められるそうです。ちなみに福部社には金運・開運招福のご利益があると言われ、節分には追儺狂言・福の神が奉納されるそうです。
節分(せつぶん・せちぶん)は元々は季節が変わる節目で、立春・立夏・立秋・立冬の前日を差していたが、江戸時代以降は立春の前日だけを指す場合が多くなりました。節分には邪気悪霊(鬼)が外から入ってくるのを防ぐ為、「鬼は外・福は内」と言いながら福豆を撒き、年の数だけ福豆を食べて厄除けをします。なお豆撒きは平安時代中期の第59代・宇多天皇(867年~931年)の時代に鞍馬山の鬼が都を荒らしたことから鬼の穴を祈祷で封じ、鬼の目を炒り豆で打ちつぶしたということに由来しているそうです。

【節分四方参り 吉田神社】
吉田神社は859年(貞観元年)公卿・藤原山蔭(ふじわらのやまかげ)が奈良・春日大社四座の神(建御賀豆智命・伊波比主命・天之子八根命・比売神)を勧請し、平安京の守護神としたのが起源です。987年(永延元年)に二十二社の前身である十九社奉幣に加列されました。
吉田神社・節分四方参り
吉田神社節分祭

【節分四方参り 壬生寺】
壬生寺は991年(正暦2年)園城寺(三井寺)の僧・快賢僧都(かいけんそうず)が母の為に建立しました。壬生寺は当初地蔵院・宝幢三昧寺などと言われていました。その後融通念仏の円覚上人が再興し、「大念仏狂言」を始めたと言われています。
壬生寺・節分四方参り
壬生寺節分厄除大法会

【節分四方参り 北野天満宮】
北野天満宮は947年(天暦元年)多治比文子(たじひのあやこ)・近江比良宮の神主である神良種(みわのよしたね)・北野朝日寺の僧である最珍(さいちん)らが社殿を造営し、菅原道真を祀ったのが起源です。その後道真が左遷の原因となった左大臣・藤原時平の甥・藤原師輔が私邸を寄贈し、大規模な社殿が造営されました。
北野天満宮・節分四方参り
北野天満宮節分祭追儺式

【節分四方参り 伏見稲荷大社】
伏見稲荷大社は社伝によると711年(和銅4年)伊侶巨秦公(いろこのはたのきみ)が勅命を受け、伊奈利山(稲荷山)の三つの峯の平らな場所に稲荷大神を祀ったことが起源と言われています。その後827年(天長4年)弘法大師・空海が嵯峨天皇から東寺(教王護国寺)を賜った際に東寺の鎮守社になりました。
伏見稲荷大社・節分四方参り
伏見稲荷大社節分祭

【節分四方参り 八坂神社】
八坂神社(やさかじんじゃ)は起源が明確ではありません。八坂神社は656年(斉明天皇2年)高麗から来日した調進副使・伊利之使主(いりしおみ)が新羅・牛頭山に座した素戔嗚尊(すさのおのみこと)=牛頭天王(ごずてんのう)を山城八坂郷に奉斎したのが起源とも、876年(貞観18年)南都の僧・円如が堂(観慶寺)を建立し、薬師千手等の像を奉安したのが起源とも言われています。
八坂神社・節分四方参り
八坂神社節分祭

【節分四方参り 備考】
*イベントの情報(日程・場所・内容など)は必ず主催者に確認して下さい。当サイトの情報はあくまで参考情報です。イベントの内容などが変更になっている場合もあります。

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