鞍馬寺義経祭2018/9/15

鞍馬寺

義経祭は京都の秋の風物詩です。義経祭は毎年9月15日に行われています。義経祭は源義経(牛若丸)を讃え、偲ぶ法要です。義経祭では源義経と義経の妾である白拍子・静御前(しずかごぜん)ゆかりの舞・賤の苧環(しずのおだまき)が奉納されます。なお義経祭では武道の奉納が行われることがあります。(要確認)(詳細下記参照)

●義経祭2018は台風の影響によって中止になったそうです。(要確認)
*参考・・・鞍馬寺公式ホームページ

【義経祭2018 日程時間(要確認)】
義経祭2018は2018年(平成30年)9月15日(土曜日)11:00から行われます。

【義経祭・鞍馬寺 アクセス・マップ地図】
場所・・・京都府京都市左京区鞍馬本町1074
最寄り駅・バス停・・・鞍馬駅(徒歩約1分)

アクセス路線は次の通りです。(最終更新2014年末・変更の場合あり)
*叡山電鉄町柳駅からは鞍馬線

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【義経祭 歴史・簡単概要】
鞍馬寺義経祭(よしつねさい)は源義経(牛若丸)を讃え、偲ぶ法要です。昭和初期には往古さながらの鎌倉時代の武家元服式が行われていたそうです。なお源義経は奥の院の義経堂に遮那王尊(しゃなおうそん)として祀られています。
義経祭では先ず本殿金堂(ほんでんこんどう)で法要が行われ、源義経と義経の妾である白拍子・静御前(しずかごぜん)ゆかりの舞・賤の苧環(しずのおだまき)が奉納されます。なお義経祭では武道の奉納が行われることがあります。(要確認)
源義経は1159年(平治元年)に父・源義朝と母・常盤御前の九男として生まれ、1160年(平治2年)に父が平治の乱で敗死すると4歳で母と別れ、鞍馬寺・東光坊阿闍梨蓮忍に預けられました。1180年(治承4年)に兄・源頼朝が平家打倒の為に挙兵するとそれに呼応して、平泉から鎌倉に駆け付け、1183年(寿永2年)に代官として畿内近国に派遣され、1185年(文治元年)には壇の浦で平氏を滅ぼしました。その後源頼朝と対立し、後白河法皇による源頼朝追討宣旨を得て挙兵するが失敗し、愛妾の白拍子・静御前と共に吉野、更に奥州の藤原秀衡を頼って逃れたが、1189年(文治5年)に藤原泰衡によって衣川館で討たれ、享年31歳で自刃しました。なお源義経の首は酒に浸され、鎌倉に送られたそうです。
賤の苧環は源義経と静御前が奈良吉野山で別れ、鎌倉に送られた静御前が鎌倉幕府初代将軍・源頼朝と妻・政子に所望されて白拍子の舞を披露します。義経を慕う気持ちから頼朝を讃えられず、頼朝の不興をかったという故事に由来しています。

【鞍馬寺 歴史・簡単概要】
鞍馬寺(くらまでら)は社伝によると奈良時代末期の770年(宝亀元年)に律宗の開祖・鑑真和上(がんじんわじょう)の高弟・鑑禎上人(がんていしょうにん)が毘沙門天を祀る草庵を結んだのが起源とも言われています。鑑禎上人が寅の夜の夢告と白馬の導きにより、鞍馬山に登った際に鬼女に襲われ、毘沙門天に助けられたとも言われています。その後796年(延暦15年)に造東寺長官・藤原伊勢人(ふじわらのいせんど)が観世音菩薩を奉安する一宇の建立を念願し、伽藍を整備して毘沙門天を奉安し、千手観音を造仏して祀り、平安時代には京都の北方を守護する寺として信仰されました。寛平年間(889年~897年)に東寺(教王護国寺)の僧・峯延(ぶえん)が入寺して真言宗に改められるが、12世紀に天台宗に改められて青蓮院(しょうれんいん)の末寺になりました。その後1126年(大治元年)・1812年(文化9年)・1945年(昭和20年)など度々焼失したと言われています。なお1947年(昭和22年)住職・信楽香雲(しがらきこううん)が鞍馬弘教を開宗し、1949年(昭和24年)に天台宗から独立しました。
鞍馬寺は鞍馬弘教の総本山です。
*参考・・・鞍馬寺(アクセス・歴史・・・)ホームページ鞍馬寺(アクセス・歴史・・・)wikipedia

【義経祭 備考】
*イベントの情報(日程・場所・内容など)は必ず主催者に確認して下さい。当サイトの情報はあくまで参考情報です。イベントの内容などが変更になっている場合もあります。
鞍馬寺(アクセス・見どころ・・・)情報

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