苔寺歴史

苔寺

苔寺歴史(苔寺の歴史)を紹介しています。(簡単歴史)苔寺は起源が明確ではありません。寺伝によると飛鳥時代に聖徳太子の別荘に聖徳太子作の阿弥陀如来像を安置したのが起源とも、奈良時代に行基が聖武天皇の勅願より、別荘を寺院に改めて西方寺と称したのが起源とも言われています。

【苔寺歴史以外の情報】
苔寺歴史以外の基本情報
苔寺歴史以外の情報(見どころ)

【苔寺歴史 年表】
(苔寺歴史 創建)
苔寺(こけでら)・西芳寺(さいほうじ)は起源が明確ではありません。苔寺は寺伝によると飛鳥時代に第31代・用明天皇の皇子・聖徳太子の別荘に聖徳太子作の阿弥陀如来像を安置したのが起源とも、奈良時代に僧・行基(ぎょうき・ぎょうぎ)が第45代・聖武天皇の勅願より、別荘を寺院に改めて、行基作の弥陀三尊(阿弥陀如来・観音菩薩・勢至菩薩)を安置し、西方寺(にしかたでら)と称したのが起源とも言われています。

(苔寺歴史 平安時代)
806年(大同元年)第51代・平城天皇の第3皇子・真如法親王(しんにょほうしんのう)が草庵を結んで修行したと言われています。また真言宗の開祖である弘法大師・空海が入山し、黄金池で放生会(ほうじょうえ)を行ったとも言われています。

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(苔寺歴史 鎌倉時代)
鎌倉時代に摂津守・中原師員員(なかはらもろかず)が再興し、西方寺と穢土寺(えどでら)に分けられ、招聘された浄土宗の開祖・法然上人(ほうねんしょうにん)が浄土宗に改め、本尊を金泥にしたと言われています。
1339年(暦応2年)松尾大社の宮司・藤原親秀(ふじわらのちかひで)が招聘した臨済宗の高僧・夢窓国師(むそうこくし)・夢窓疎石(むそうそせき)が再興し、西方寺と穢土寺を合寺して、臨済宗に改めました。夢窓疎石は庭園も作庭したと言われています。なお夢窓疎石は名称も西方極楽浄土の教主である阿弥陀如来を本尊とする寺から西方寺から西芳寺に改めました。「西芳」は「祖師西来」・「五葉聯芳」という禅宗の初祖・達磨大師に由来しているそうです。

(苔寺歴史 その後)
1342年(興国3年)北朝初代・光厳天皇が室町幕府初代将軍・足利尊氏を従えて行幸しました。光厳天皇は1347年(正平2年)にも再び行幸したそうです。
応仁の乱(1467年(応仁元年)~1477年(文明9年))では東軍の総大将・細川勝元(ほそかわかつもとが)が西芳寺に陣を敷き、山名宗全(やまなそうぜん)が総大将となった西軍の攻撃により、伽藍を焼失しました。その後も兵火や洪水に度々見舞われました。江戸時代以降の洪水などにより、庭園が苔の庭になったと言われています。

【苔寺歴史 建物】
●茶室・湘南亭(しょうなんてい)は夢窓疎石が建て、千利休の次男・千少庵が宗淳が利休自決後に遁世し、その際に再建したとも言われています。また1591年(天正19年)関白・豊臣秀吉から切腹を命じられた千利休が一時移ったとも言われています。
●開山堂(指東庵)は1878年(明治11年)に再建されました。
●本堂(西来堂)は1969年(昭和44年)に再建されました。
●観音堂は明治時代に再建されました。
●三重納経塔は1978年(昭和53年)に建立されました。
●茶室・潭北亭(たんほくてい)は1928年(昭和3年)に建てられました。
●茶室・少庵堂(しょうあんどう)は1920年(大正9年)に建てられました。
●山門は明治時代に建立されました。山門は本瓦葺です。

【苔寺歴史 その他】
●庭園は天龍寺開山・夢窓疎石が作庭しました。庭園が苔の庭になったのは江戸時代以降と言われています。
●影向石(ようごうせき・えいこうせき)は室町時代に松尾明神が安座し、「我れ、素より此の処に跡を垂る。我が社殿を営むことなかれ」と松尾大社の社司・藤原親秀に告げたとも、松尾明神が夢窓疎石の説法を聞く為に現れたとも言われています。

【苔寺歴史 天龍寺】
天龍寺(てんりゅうじ)は1339年(暦応2年)足利尊氏が後醍醐天皇を弔う為に夢窓疎石を開山として、離宮・亀山殿の地に創建しました。
苔寺歴史・天龍寺

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