吉祥院天満宮五穀豊穣祈願祭2024/3/25(日程時間・・・)

五穀豊穣祈願祭

吉祥院天満宮五穀豊穣祈願祭

吉祥院天満宮五穀豊穣祈願祭(日程・時間・・・)を紹介しています。五穀豊穣祈願祭は祭神・菅原道真の命日である例年3月25日に行われています。五穀豊穣祈願祭では神前に御供を供え、秋の五穀豊穣などを祈願します。御供は白いおこわを鏡餅状に整え、白とピンクの菜の花を差し、豆腐や野菜などと一緒に三方にのせたものです。(詳細下記参照)

【吉祥院天満宮五穀豊穣祈願祭2024 日程時間(要確認)】
吉祥院天満宮五穀豊穣祈願祭2024は2024年(令和6年)3月25日(月曜日)6:00から行われます。なお御供は午前中に見ることができます。(現在確認中・要注意)

【吉祥院天満宮五穀豊穣祈願祭 アクセス・マップ】
場所・・・京都府京都市南区吉祥院政所町3
最寄り駅・バス停・・・吉祥院天満宮前(徒歩約3分)

アクセス路線は次の通りです。
*京都駅からは42系統(C4乗り場)
*四条烏丸からは43系統
路線・時刻表・運賃チェック

*JR東海道線の場合、最寄り駅は西大路駅(徒歩約15分)

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【吉祥院天満宮五穀豊穣祈願祭 歴史・簡単概要】
吉祥院天満宮五穀豊穣祈願祭(ごこくほうじょうきがんさい)・御供奉献祭(ごくほうけんさい)は祭神・菅原道真の命日である3月25日(旧暦2月25日)に行われています。
五穀豊穣祈願祭では神前に御供(ごく)を供え、秋の五穀豊穣(ごくほうじょう)などを祈願します。御供は白蒸(しらむし)と言われる白いおこわを鏡餅(かがみもち)状に整え、白とピンクの菜の花(造花)を差し、豆腐やごぼう・にんじん・くわいなどの野菜などと一緒に三方にのせたものです。なお五穀豊穣祈願祭は菜の花を供えることから菜の花御供とも言われます。
五穀豊穣祈願祭では御供が本殿・吉祥院(吉祥天女社)・稲荷社・五社(白太夫社・松梅社・吉野社・琴比羅社・秋葉山)・弁財天社など17社に供えられます。御供は4つの氏子町が4年交代で準備するそうです。ちなみに御供は神仏への供え物という意味です。
菅原道真は845年(承和12年)6月25日(旧暦の8月1日)に平安時代前期の公家・菅原是善(すがわらのこれよし)と母・伴真成の娘の三男として生まれました。幼少の頃から和歌・漢詩に優れ、862年(貞観4年)に文章生試験に合格し、877年(元慶元年)には文章博士・式部少輔になりました。政治家としても手腕を発揮し、899年(昌泰2年)に右大臣に任命されるが、901年(延喜元年)に左大臣・藤原時平(ふじわらのときひら)の讒言(告げ口)により、太宰府に左遷され、903年(延喜3年)3月25日(旧暦の2月25日)に亡くなりました。道真の死後、都では悪疫が続き、道真の怨霊の仕業と恐れられました。その為道真の死後20年目に朝廷は道真の左遷を撤回して官位を復し、正二位を贈りました。993年(正暦4年)には正一位・右大臣・太政大臣を追贈しました。

【吉祥院天満宮 歴史・簡単概要】
吉祥院天満宮(きっしょういんてんまんぐう)・吉祥院の天神さんは794年(延暦13年)桓武天皇による平安京遷都の際、菅原道真(すがわらのみちざね)の曽祖父・土師古人(はぜのふるひと)が天皇から賜って邸を構えた場所です。その後道真の祖父・菅原清公(すがわらのきよきみ)が遣唐使として唐に向かう際に嵐に遭ったが、吉祥天女の霊験によって難を逃れ、菅原家では吉祥天を信仰するようになり、自邸内を吉祥院に改めました。なお道真が左遷された大宰府で亡くなり、吉祥院に聖廟を築いたが、934年(承平4年)朱雀天皇の勅願により、怨霊鎮魂の為に社殿を築き、道真の霊を祀りました。
*参考・・・吉祥院天満宮

【吉祥院天満宮五穀豊穣祈願祭 備考】
*イベントの情報(日程・場所・内容など)は必ず主催者に確認して下さい。当サイトの情報はあくまで参考情報です。イベントの内容などが変更になっている場合もあります。
吉祥院天満宮(アクセス・見どころ・歴史概要・・・)情報

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