平等院(浄土院(塔頭)・最勝院(塔頭))

平等院見どころ

平等院

平等院を観光するなら歴史的に関係が深い平等院の塔頭である浄土院(じょうどいん)・最勝院(さいしょういん)も一緒に回るのもいいかもしれません。浄土院・最勝院は平等院から近いが、おそらく通常非公開です。なお平等院では関白忌(かんぱくき)などが行われ、行事も一緒に見るのもいいかもしれません。

【平等院・浄土院・最勝院 基本情報】
平等院(アクセス・見どころ・歴史概要・・・)情報
平等院の塔頭・浄土院(アクセス・見どころ・歴史概要・・・)情報
平等院の塔頭・最勝院(アクセス・見どころ・歴史概要・・・)情報

【平等院・浄土院・最勝院 マップ・地図】

【平等院 歴史・簡単概要】
平等院(びょうどういん)は859年(貞観元年)に第52代・嵯峨天皇の皇子で、光源氏のモデルとも言われている左大臣・源融(みなもとのとおる)が造営した別荘があった場所です。その後別荘は第59代・宇多天皇、宇多天皇の孫である源重信、そして関白・藤原道長が源重信の婦人から譲り受けて別荘・宇治殿になりました。平等院は1052年(永承7年)に道長の子である関白・藤原頼通が宇治殿の寝殿を本堂に改め、天台宗の僧・明尊(みょうそん)を開山に藤原氏の氏寺として創建しました。ちなみに1052年(永承7年)は末法初年とされ、お釈迦様の入滅後に徐々に正しい教法が衰滅するという末法思想が貴族などに広がっていたと言われています。その後1053年(天喜元年)に西方極楽浄土を出現させたような鳳凰堂(阿弥陀堂)が建立され、定朝作の阿弥陀如来坐像が安置され、1067年(治暦3年)には第70代・後冷泉天皇が初めて行幸したと言われています。なお平等院は1994年(平成6年)世界遺産条約により、ユネスコ世界文化遺産(古都京都の文化財)のひとつに登録されました。
平等院は特定の宗派に属さない単立の寺院です。
*参考・・・平等院(拝観料・アクセス・歴史概要・見どころ・・・)ホームページ

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【浄土院 歴史・簡単概要】
浄土院(じょうどいん)は明応年間(1492年~1501年)に浄土宗の僧・栄久上人が平等院の修復の為、平等院の境内に創建したと言われています。その後1601年(慶長6年)に養林庵書院(重要文化財)が関白・豊臣秀吉が築城した伏見城から移され、羅漢堂(宇治市指定文化財)が1640年(寛永17年)に建立されました。なお平等院(びょうどういん)は1052年(永承7年)関白・藤原頼通が別荘・宇治殿の寝殿を本堂に改め、藤原氏の氏寺にしたのが起源です。その後1053年(天喜元年)に鳳凰堂(阿弥陀堂)が建立されました。
浄土院は平等院の塔頭です。

【最勝院 歴史・簡単概要】
最勝院(さいしょういん)は1654年(承応3年)住心院の僧が平等院に移り、その庵を最勝院と言ったことが起源と言われています。1662年(寛文2年)に大津・円満院の兼帯所になりました。なお平等院(びょうどういん)は1052年(永承7年)関白・藤原頼通が別荘・宇治殿の寝殿を本堂に改め、藤原氏の氏寺にしたのが起源です。その後1053年(天喜元年)に鳳凰堂(阿弥陀堂)が建立されました。
最勝院は平等院の塔頭です。

【平等院関白忌 歴史・簡単概要】
平等院関白忌(かんぱくき)は平等院を創建した関白・藤原頼通(ふじわらのよりみち)を偲んで、頼通の命日である3月2日(旧暦の2月2日)に行われます。関白忌は鳳凰堂で行われる唯一の行事とも言われています。ちなみに藤原頼通(992年~1074年)は御堂関白(みどうかんぱく)と言われた藤原道長の嫡男で、1017年(寛仁元年)に父・道長から後一条天皇の摂政を譲られ、後朱雀天皇・後冷泉天皇の時代には約50年に渡って関白を務め、父とともに摂関政治(藤原氏)の全盛期を築きました。その後1068年(治暦4年)に関白職を弟・教道に譲って平等院に隠棲し、1072年(延久4年)に出家し、1074年(延久6年)に亡くなりました。なお平等院関白忌は例年3月2日に行われています。

【平等院 備考】
*イベントの情報(日程・場所・内容など)は必ず主催者に確認して下さい。当サイトの情報はあくまで参考情報です。イベントの内容などが変更になっている場合もあります。
平等院見どころ(鳳凰堂・観音堂など)

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