葵祭斎王代の起源(斎院・斎王)

葵祭(Aoi Matsuri Festival)

葵祭斎王代の起源(斎院・斎王)

葵祭斎王代(さいおうだい)の起源となった斎院(斎王)は三重・伊勢神宮に使えた斎宮(斎王)に倣って選ばれ、平安時代初期の810年(大同5年)から鎌倉時代の1212年(建暦2年)までの約400年間に渡って日本三大勅祭に数えられた葵祭(賀茂祭)に奉仕してきました。なお斎王代は1956年(昭和31年)に創設されました。

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【葵祭日程(要確認)】
葵祭・路頭の儀は例年5月15日に行われます。ただ悪天候の場合、翌16日に順延されます。
葵祭2024日程(時代行列・流鏑馬神事・・・)
●葵祭路頭の儀では人約500名・馬約40頭・牛4頭・牛車2台・輿(こし)1丁などの時代行列が巡行します。
葵祭路頭の儀

【葵祭斎王代の起源(斎院・斎王) 基礎知識】
斎院(さいいん)・斎王(さいおう)はかつて天皇の娘である未婚の内親王(ないしんのう)または女王(じょうおう)から選ばれました。ちなみに斎院(斎王)は斎皇女(いつきのみこ)とも言われました。また内親王は斎内親王、女王は斎女王とも言われました。初代斎院は810年(大同5年)に賀茂斎院が設置された際の第52代・嵯峨天皇の第8皇女・有智子内親王(うちこないしんのう)です。嵯峨天皇は兄・平城上皇(第51代・平城天皇)と皇位や平城京再遷都などを巡って対立し、賀茂社(上賀茂神社・下鴨神社)の祭神・賀茂大神に皇女を賀茂社の神迎えの儀式に奉仕する阿礼少女(あれおとめ)に捧げると祈願し、薬子の変(くすこのへん)で勝利したことから有智子内親王が初代斎王になったそうです。ちなみに斎院(斎王)は宮中初斎院での2年間潔斎(けっさい)した後、不浄・仏事を避けて清浄な生活を送りながら奉仕し、多くの斎院(斎王)が生涯独身で過ごしたそうです。

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【初代・斎院(斎王) 有智子内親王】
有智子内親王(うちこないしんのう)は第52代・嵯峨天皇の第8皇女で、810年(弘仁元年)から832年(天長8年)まで斎院(斎王)を勤めました。ちなみに有智子内親王は810年(弘仁元年)に4歳で斎院(斎王)に卜定され、847年(承和14年)に41歳で亡くなりました。

【2代・斎院(斎王) 時子内親王】
時子内親王(ときこないしんのう)は第54代・仁明天皇の第9皇女で、832年(天長8年)から833年(天長10年)まで斎院(斎王)を勤めました。

【3代・斎院(斎王) 高子内親王】
高子内親王(こうしないしんのう)は第54代・仁明天皇の第12皇女で、833年(天長10年)から850年(嘉祥3年)まで斎院(斎王)を勤めました。

【4代・斎院(斎王) 慧子内親王】
慧子内親王(あきらけいこないしんのう)は第55代・文徳天皇第8皇女で、850年(嘉祥3年)から857年(天安元年)まで斎院(斎王)を勤めました。

【5代・斎院(斎王) 述子内親王】
述子内親(じゅつしないしんのう)は第55代・文徳天皇第5皇女で、857年(天安元年)から858年(天安2年)まで斎院(斎王)を勤めました。

【6代・斎院(斎王) 儀子内親王】
儀子内親王(ぎしないしんのう)は第55代・文徳天皇第3皇女で、859年(貞観元年)から876年(貞観18年)まで斎院(斎王)を勤めました。

【7代・斎院(斎王) 敦子内親王】
敦子内親王(あつこないしんのう・とんしないしんのう)は第56代・清和天皇の第3皇女または第5皇女で、877年(貞観19年)から881年(元慶4年)まで斎院(斎王)を勤めました。

【8代・斎院(斎王) 穆子内親王】
穆子内親王(ぼくしないしんのう・むつこないしんのう)は第58代・光孝天皇の第7皇女で、882年(元慶6年)から887年(仁和3年)まで斎院(斎王)を勤めました。

【9代・斎院(斎王) 直子女王】
直子女王(なおこじょおう)は第55代・文徳天皇の皇孫、惟彦親王の子で、889年(仁和5年)から892年(寛平4年)まで斎院(斎王)を勤めました。

【10代・斎院(斎王) 君子内親王】
君子内親王(くんしないしんのう・きみこないしんのう)は第59代・宇多天皇の第4皇女で、893年(寛平5年)から902年(延喜2年)まで斎院(斎王)を勤めました。

【11代・斎院(斎王) 恭子内親王】
恭子内親王(きょうしないしんのう)は第60代・醍醐天皇第3皇女で、903年(延喜3年)から915年(延喜15年)まで斎院(斎王)を勤めました。

【12代・斎院(斎王) 宣子内親王】
宣子内親王(せんしないしんのう)は第60代・醍醐天皇の第18皇女で、915年(延喜15年)から920年(延喜20年)まで斎院(斎王)を勤めました。

【13代・斎院(斎王) 韶子内親王】
韶子内親王(しょうしないしんのう)は第60代・醍醐天皇の第29皇女で、921年(延喜21年)から930年(延長8年)まで斎院(斎王)を勤めました。

【14代・斎院(斎王) 婉子内親王】
婉子内親王(えんしないしんのう)は第60代・醍醐天皇の第7皇女で、932年(承平元年)から967年(康保4年)まで斎院(斎王)を勤めました。

【15代・斎院(斎王) 尊子内親王】
尊子内親王(そんしないしんのう)は第63代・冷泉天皇の第2皇女で、968年(康保5年)から975年(天延3年)まで斎院(斎王)を勤めました。

【16代・斎院(斎王) 選子内親王】
選子内親王(せんしないしんのう・のぶこないしんのう)は第62代・村上天皇の第10皇女で、975年(天延3年)から1031年(長元4年)まで斎院(斎王)を勤めました。選子内親王は歴代でも類を見ないほど長期に渡って斎院(斎王)を勤めたことから大斎院(おおさいいん・だいさいいん)とも言われました。

【17代・斎院(斎王) 馨子内親王】
馨子内親王(けいしないしんのう・かおるこないしんのう)は第68代・後一条天皇の第2皇女で、1031年(長元4年)から1036年(長元9年)まで斎院(斎王)を勤めました。

【18代・斎院(斎王) 娟子内親王】
娟子内親王(けんしないしんのう)は第67代・後朱雀天皇の第2皇女で、1036年(長元9年)から1045年(寛徳2年)まで斎院(斎王)を勤めました。

【19代・斎院(斎王) ばい子内親王】
ばい子内親王(ばいしないしんのう・みわこないしんのう)は第69代・後朱雀天皇の第4皇女で、1046年(寛徳3年)から1058年(康平元年)まで斎院(斎王)を勤めました。

【20代・斎院(斎王) 正子内親王】
正子内親王(まさこないしんのう)は第69代・後朱雀天皇の第5皇女で、1058年(天喜6年)から1069年(延久元年)まで斎院(斎王)を勤めました。

【21代・斎院(斎王) 佳子内親王】
佳子内親王(かしないしんのう・よしこないしんのう)は第71代・後三条天皇の第3皇女で、1069年(延久元年)から1072年(延久4年)まで斎院(斎王)を勤めました。

【22代・斎院(斎王) 篤子内親王】
篤子内親王(とくしないしんのう)は第71代・後三条天皇の第4皇女で、1073年(延久5年)3月から1073年(延久5年)5月まで斎院(斎王)を勤めました。

【23代・斎院(斎王) 斉子女王】
斉子女王(せいしじょおう・ただこじょおう・きよこじょおう)は小一条院敦明親王の子で、1074年(承保元年)から1089年(寛治3年)まで斎院(斎王)を勤めました。

【24代・斎院(斎王) 令子内親王】
令子内親王(れいしないしんのう)は第72代・白河天皇の第3皇女で、1089年(寛治3年)から1099年(承徳3年)まで斎院(斎王)を勤めました。

【25代・斎院(斎王) 禛子内親王】
禛子内親王(しんしないしんのう)は第72代・白河天皇の第4皇女で、1099年(承徳3年)から1107年(嘉承2年)まで斎院(斎王)を勤めました。

【26代・斎院(斎王) 官子内親王】
官子内親王(かんしないしんのう・きみこないしんのう・たかこないしんのう)は第72代・白河天皇の第5皇女で、1108年(天仁元年)から1123年(保安4年)まで斎院(斎王)を勤めました。

【27代・斎院(斎王) そう子内親王】
そう子内親王(そうしないしんのう)は第73代・堀河天皇の第1皇女で、1123年(保安4年)から1126年(天治3年)まで斎院(斎王)を勤めました。

【28代・斎院(斎王) 統子内親王】
統子内親王(むねこないしんのう)は第74代・鳥羽天皇の第2皇女で、1127年(大治2年)から1132年(長承元年)まで斎院(斎王)を勤めました。

【29代・斎院(斎王) 禧子内親王】
禧子内親王(きしないしんのう)は第74代・鳥羽天皇の第1皇女で、1132年(長承元年)から1133年(長承2年)まで斎院(斎王)を勤めました。

【30代・斎院(斎王) 怡子女王】
怡子女王(いしじょおう・よしこじょおう)は第71代・後三条天皇の皇孫で、1134年(長承2年)から1159年(平治元年)まで斎院(斎王)を勤めました。

【31代・斎院(斎王) 式子内親王】
式子内親王(しょくしないしんのう・しきしないしんのう・のりこないしんのう)は第77代・後白河天皇の第3皇女で、1159年(平治元年)から1169年(嘉応元年)まで斎院(斎王)を勤めました。

【32代・斎院(斎王) ぜん子内親王】
ぜん子内親王(ぜんしないしんのう・よしこないしんのう)は第78代・二条天皇の第1皇女で、1169年(嘉応元年)から1171年(嘉応3年)まで斎院(斎王)を勤めました。

【33代・斎院(斎王) 頌子内親王】
頌子内親王(しょうしないしんのう・のぶこないしんのう)は第74代・鳥羽天皇の第7皇女で、1171年(嘉応3年)6月から1171年(嘉応3年)8月まで斎院(斎王)を勤めました。

【34代・斎院(斎王) 範子内親王】
範子内親王(はんしないしんのう・のりこないしんのう)は第80代・高倉天皇の第2皇女で、1178年(治承2年)から1181年(養和元年)まで斎院(斎王)を勤めました。

【35代・斎院(斎王) 礼子内親王】
礼子内親王(れいしないしんのう・いやこないしんのう)は第82代・後鳥羽天皇の第3皇女で、1204年(元久元年)から1212年(建暦2年)まで斎院(斎王)を勤めました。ちなみに礼子内親王が歴代最後の斎院(斎王)です。

【葵祭斎院・斎王 備考】
*イベントの情報(日程・場所・内容など)は必ず主催者に確認して下さい。当サイトの情報はあくまで参考情報です。イベントの内容などが変更になっている場合もあります。
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