北野天満宮春の曲水の宴2024/3/9(日程時間・・・)

北野天満宮春の曲水の宴

北野天満宮春の曲水の宴(日程・時間・・・)を紹介しています。春の曲水の宴は例年3月上旬頃に行われています。春の曲水の宴では菅原道真を顕彰する為、「和漢朗詠集(わかんろうえいしゅう)」に収録されている詩文が白拍子の舞と朗詠で披露されます。また春の曲水の宴では平安装束を身に着けた詠み手が雅やかに平安時代の歌会を再現します。(詳細下記参照)

【北野天満宮春の曲水の宴2024 日程時間(要確認)】
北野天満宮春の曲水の宴2024は2024年(令和6年)3月9日(土曜日)13:00~14:00に行われます。(雨天決行)(現在確認中・要注意)
*参考・・・北野天満宮ホームページ

【北野天満宮春の曲水の宴 アクセス・マップ】
場所・・・京都府京都市上京区御前通今出川上る馬喰町
最寄り駅・バス停・・・北野天満宮前(徒歩すぐ)

アクセス路線は次の通りです。(最終更新2014年末・変更の場合あり)
*京都駅から北野天満宮は50系統(B2乗り場)、101系統(B2乗り場)
*四条河原町からは51系統
*四条烏丸からは55系統、101系統、203系統
*河原町丸太町からは10系統
路線・時刻表・運賃チェック

*嵐電(京福電鉄)北野線の場合、最寄り駅は北野白梅町駅(徒歩約7分)

スポンサーリンク(Sponsor Link)

【北野天満宮春の曲水の宴 歴史・簡単概要】
北野天満宮春の曲水の宴(はるのきょくすいのうたげ)は祭神・菅原道真ゆかりで、2016年(平成28年)に千百年振りに再興されました。菅原道真は第59代・宇多天皇(うだてんのう)が主催した曲水の宴に度々招かれ、その際に詠まれた詩文が漢詩文集「菅家文草(かんけぶんそう)」に収録されているそうです。ちなみに「菅家文草」は菅原道真が第60代・醍醐天皇(だいごてんのう)に献上したものだそうです。なお春の曲水の宴は例年3月上旬頃に行われています。
春の曲水の宴では菅原道真を顕彰する為、「和漢朗詠集(わかんろうえいしゅう)1018年(寛仁2年)頃成立」に収録されている詩文「我君一日之沢 萬機之余 曲水雖遙 遺塵雖絶 書巴字而知地勢 思魏文以翫風流(わがきみいちじつのたく ばんきのあまり きよくすゐはるかなりといへども ゐぢんたえたりといへども はじをかきてちせいをしり ぎぶんをおもひてもつてふうりうをもてあそぶ)」が白拍子の舞と朗詠で披露されます。また春の曲水の宴では平安装束を身に着けた詠み手が雅やかに平安時代の歌会を再現します。なお拝観券には見ごろを迎える梅苑入苑料・宝物殿拝観料・記念品付きです。(要確認)
曲水の宴は中国・周公の時代に始まり、353年(永和9年)には政治家で、書家・王羲之(おうぎし)が修禊(しうけい)の儀式として行ったことが「蘭亭序(らんていじょ)」に記されているそうです。その後中国から日本に伝わり、485年(顕宗天皇元年)には顕宗天皇(けんぞうてんのう)の前で行われたと「日本書紀」に記されているそうです。奈良時代から平安時代中期までは宮中の年中行事として行われていたが、その後途絶えたそうです。
白拍子の舞は男装姿の遊女などが今様などを歌いながら舞った歌舞の一種です。ちなみに今様は現代風・当世風という意味で、平安時代中期から鎌倉時代に掛けて流行した歌謡です。
梅苑・境内にはご神木である紅和魂梅(べにわこんばい)や寒紅梅・雲龍梅・思いのまま・月の桂・黒梅など50種・約1,500本の梅の木が植えられ、例年2月中旬頃から3月中旬頃に見ごろを迎えます。
●北野天満宮の歴史(創建から現在)を紹介しています。
北野天満宮歴史(菅原道真・豊臣秀吉・豊臣秀頼)
●北野天満宮の見どころ(本殿・三光門など)を紹介しています。
北野天満宮見どころ(本殿・三光門など)

【北野天満宮 歴史・簡単概要】
北野天満宮(きたのてんまんぐう)は947年(天暦元年)に西ノ京に住んでいた多治比文子(たじひのあやこ)・近江(滋賀)比良宮(ひらのみや)の神主である神良種(みわのよしたね)・北野朝日寺(東向観音寺(ひがしむかいかんのんじ))の僧である最珍(さいちん・最鎮)らが神殿を造営し、祭神・菅原道真(すがわらのみちざね)を祀ったのが起源です。903年(延喜3年)に菅原道真が左遷された大宰府で没し、942年(天慶5年)に多治比文子に宣託があり、947年(天暦元年)に神良種の子・太郎丸に再び託宣があったとも言われています。その後菅原道真の左遷の原因になった左大臣・藤原時平(ふじわらのときひら)の甥・藤原師輔(ふじわらのもろすけ)が私邸を寄贈し、大規模な社殿が建立されました。987年(永延元年)に第66代・一条天皇が勅使を派遣して国家の平安を祈願する勅祭が行われ、神号「北野天満宮天神」を賜り、1004年(寛弘元年)に一条天皇が行幸し、その後皇室に崇敬されました。しかし1444年(文安元年)の文安の麹騒動(ぶんあんのこうじそうどう)で室町幕府の攻撃によって焼失して一時衰退しました。1587年(天正15年)に関白・豊臣秀吉が境内で北野大茶会(きたのだいさのえ)を行い、1607年(慶長12年)には秀吉の子・豊臣秀頼が本殿などを建立しました。
*参考・・・京都・北野天満宮(拝観料・アクセス・歴史概要・見どころ・・・)ホームページ

【北野天満宮春の曲水の宴 備考】
*イベントの情報(日程・場所・内容など)は必ず主催者に確認して下さい。当サイトの情報はあくまで参考情報です。イベントの内容などが変更になっている場合もあります。
京都・北野天満宮(アクセス・見どころ・歴史概要・・・)情報
北野天満宮ずいき祭

関連記事

京都観光おすすめ

  1. 錦市場(Nishiki Market)
  2. 竹林の道(Bamboo Forest Path)
  3. 嵐山
ページ上部へ戻る