金閣(金箔・金額・放火事件・・・)金閣寺見どころ

金閣寺見どころ(Kinkaku-ji Temple)

金閣・金閣寺見どころ

金閣を簡単に解説しています。金閣は1398年(応永5年)に創建され、1929年(昭和4年)に国宝に指定されていたが、1950年(昭和25年)に放火で焼失し、1955年(昭和30年)に明治時代に作成された資料に基づて再建されました。(詳細下記参照)

金閣寺見どころ(金閣・不動堂など)

【金閣寺 基礎知識】

金閣寺(きんかくじ)・鹿苑寺(ろくおんじ)は1224年(元仁元年)に公卿・西園寺公経(さいおんじきんつね)が山荘・北山殿(きたやまてい)を造営し、氏寺・西園寺を創建したと言われている場所です。1397年(応永4年)に室町幕府3代将軍・足利義満が河内の領地との交換によって山荘・北山殿を譲り受けて御所・北山殿(きたやまどの)を造営しました。1420年(応永27年)に足利義満を開基、夢窓国師(むそうこくし)・夢窓疎石(むそうそせき)を開山として、舎利殿を中心に禅寺・北山鹿苑寺に改められました。鹿苑寺の名称は足利義満の法号「鹿苑院殿(鹿苑院天山道義)」に由来しています。

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【金閣・概要概略の解説】

●概要概略:金閣(舎利殿(しゃりでん))は金閣寺のハイライトです。金閣は池泉回遊式庭園の中心である鏡湖池(きょうこち)の南側の畔にあります。金閣は木造三階建てで、一階は金箔が張られずに素木仕上げ、二階は外面が金箔張り、三階は外面・内部(床除く)が金箔張りです。
●仏像:一階は宝冠釈迦如来像(ほうかんしゃかにょらい)・足利義満(あしかがよしみつ)像、二階は岩屋観音(いわやかんのん)像・四天王(してんのう)像を安置しています。
●仏舎利:金閣創建時には三階に仏教の開祖・お釈迦さま(おしゃかさま)の遺骨である仏舎利(ぶっしゃり)が収められました。お釈迦さまは約2,500年前、ネパールのルンビニーの花園で、シャカ族の国王である浄飯王(シュッドーダナ)と摩耶夫人(マーヤー)の間に生まれました。29歳で出家し、35歳の時に明星出現と同時にブッダガヤの菩提樹の下で、悪魔の誘惑に負けずに悟りを開きました。その後約45年間に渡ってインド各地を回って布教し、クシナーラで亡くなりました。遺骸は火葬され、遺骨は各地の饅頭形(半球形)のストゥーパに分けて祀られました。なお仏舎利を祀る堂塔には五重塔などもあります。
●お釈迦さま:お釈迦さまが悟りを開いて最初に説法した鹿野苑(サールナート)は金閣寺の正式名称「鹿苑寺」、足利義満の法号「鹿苑院天山道義」の由来になっています。

【金閣・歴史時代の解説】

●歴史時代:金閣は室町時代前期の1398年(応永5年)に足利義満が創建されました。足利義満は亡くなるまで金閣に住んでいたと言われています。1929年(昭和4年)7月1日に国宝保存法によって(旧)国宝に指定されていたが、1950年(昭和25年)7月2日未明、21歳の学僧の放火により、足利義満坐像(国宝)などとともに焼失しました。その後政府などの補助金や寄付金などにより、明治時代の解体・修理の際に作成された図面・写真などの資料に基づき、1955年(昭和30年)に再建され、同年10月10日に落慶法要が営まれました。
●足利義満:足利義満は1358年(延文3年)に室町幕府2代将軍・足利義詮の子として生まれました。1367年(貞治6年)に父が亡くなると家督を継ぎ、1368年(応安元年)に元服し、1369年(応安2年)に征夷大将軍宣下を受けました。1382年(永徳2年)に相国寺の建立を開始し、その後禅の修行場として塔頭・鹿苑院(金閣寺)も建立しました。1392年(明徳3年)に南北朝の合一を果たし、1394年(応永元年)に将軍職を子・足利義持に譲ったが、その後も実権は手放さずに金閣寺の前身である北山山荘で政務を執りました。足利義満は1408年(応永15年)に亡くなりました。
●鳳凰:焼失した金閣には室町時代に造られた銅製の鳳凰(ほうおう)が南向きに取り付けられていたが、明治時代の解体・修理の際に尾が破損し、取り外されていました。その為第100代・後小松天皇(ごこまつてんのう)筆の「究竟頂(くっきょうちょう)」の額とともに放火による焼失を免れました。
●修復・・2020年(令和2年)12月28日に同年9月1日から行われていた18年振りと金閣屋根(面積約320平方メートル)のこけら葺の葺き替えが完了ししました。葺き替えにはサワラの薄板約10万枚が交換されました。なお同時に縦横約10センチの金箔約1万枚を使って屋根の上の鳳凰や軒下なども補修されました。

【金閣・構造形式の解説】

●構造形式:金閣は木造三階建て(二重三階)の楼閣(ろうかく)建築で、一階が寝殿造り(しんでんづくり)、二階が武家造り(ぶけづくり)、三階が禅宗仏殿造り(ぜんしゅうぶつでんづくり)です。一階と二階が同じ大きさで、三階は一回り小さくなっています。金閣の屋根は宝形造(ほうぎょうづくり)のこけら葺き(ぶき)です。
●各階:一階が法水院(ほうすいいん)、二階が潮音洞(ちょうおんどう)、三階が究竟頂(くっきょうちょう)と言われ、第100代・後小松天皇筆の「究竟頂」の額が残されています。

【金閣・金箔の解説】

●金箔:金閣が1955年(昭和30年)に再建された際、二階・三階に10センチ角の金箔が10万枚(2キロ)使用され、その後の昭和大修復では通常の金箔の5倍の厚さがある五倍箔が20万枚(20キロ)使用されました。なお1986年(昭和61)から1987年(昭和62年)までの昭和大修復では金箔の貼り替えや下地の漆の塗り替えだけでなく、天井画の復元なども行われ、約7億4千万円もの費用が掛かったと言われています。
●旧金閣:焼失した旧金閣は三階のみに金箔が残り、二階には金箔が残っていなかった。しかし明治時代の解体・修理の際、使用されなかった部材に金箔が残っていたことから二階の外面に金箔が張られたそうです。

【金閣・名称名前の解説】

●名称名前:金閣が金閣と言われるようになったのは室町時代中期の1484年(文明16年)以降のことです。それまでは舎利殿(しゃりでん)・重々殿閣・三重殿閣などと言われていたそうです。

【金閣・金閣の放火事件の解説】

●金閣の放火事件:金閣の放火事件や放火した学僧の母親の投身自殺は社会に衝撃を与え、作家・三島由紀夫(みしまゆきお)の「金閣寺」や作家・水上勉(みずかみつとむ)の「五番町夕霧楼(ごばんちょうゆうぎりろう)」・「金閣炎上」の題材にもなりました。「金閣炎上」はノンフィクションです。
●豆知識:学僧は放火後に自殺を図ったが、一命を取り留めました。学僧の母は事情聴取の為に京都に呼ばれ、その帰りに保津峡で自殺しました。

【金閣・金閣寺見どころの簡単まとめ 備考】
*参考・・・金閣寺(見どころ・歴史・・・)ホームページ

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