堀川通七不思議

紫式部の墓

堀川通七不思議には次のようなものがあります。なお堀川通は北にある加茂街道から始まって油小路通に合流しています。かつては東堀川通・西堀川通・京友禅の染色に使われた堀川に分かれていたが、大戦中の建物疎開・暗渠によって現在の姿になりました。

【堀川通の七不思議 アクセス・地図】

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【堀川通七不思議 紫式部の墓】
紫式部の墓は堀川通を堀川北大路の交差点から南に約100メートルほど進んだ道路の西側にあります。入口には「紫式部墓所」と記され、参道を奥に進んだところに高さ約80センチほどの紫式部の墓(五輪塔)があります。紫式部の墓の近くには小野妹子の子孫・小野篁(おののたかむら)の墓もあります。なお紫式部の墓がある場所はかつて紫草という紫色の草花が生えることから紫野(むらさきの)と言われ、紫式部の紫も紫野に由来しているとも言われています。
(堀川通七不思議 紫式部の墓豆知識)
紫式部の供養塔と言われている十重石は千本閻魔堂(引接寺)にあります。また大徳寺の境外塔頭・雲林院は紫式部が晩年を過ごし、紫式部の墓所もかつてあったと言われています。

【堀川通七不思議 登天石】
登天石(とうてんせき)は堀川通を鞍馬口から南に50メートルほど進んだ水火天満宮(すいかてんまんぐう)にあります。水火天満宮に祀られている菅原道真は太宰府に左遷されて亡くなりました。その後都では天変地異が相次ぎ、道真の怨霊の仕業と恐れられました。そこで醍醐天皇は道真の怨霊を鎮める為に道真の師・尊意僧正(そんいそうじょう)を比叡山から呼びました。尊意僧正が宮中に向かう際、鴨川に差し掛かると急に川が氾濫し、尊意僧正が神劔を捧げて祈ると水が二分し、中央の岩(登天石)に菅原道真が現れました。道真は師の姿を見ると笑みを浮かべ、光の尾を引いて雷雲とともに空に消えたと言われています。
(堀川通七不思議 登天石豆知識)
●登天石がある水火天満宮は923年(延長元年)尊意僧正が醍醐天皇の勅願により、水難火難除けの守護神として、菅原道真の神霊を勧請して建立したの起源です。
水火天満宮(アクセス・見どころ・・・)

【堀川通七不思議 百々橋の礎石】
百々橋(とどのはし)の礎石は宝鏡寺(人形寺)の東にあった小川(こかわ)に架けられていた長さ約8メートルほどの橋の礎石です。小川は1963年(昭和38年)に埋め立てられ、百々橋も解体されたが、橋を支える4基の礎石の内の1基だけが遺構として遺されました。百々橋は洛西ニュータウン・洛西竹林公園に移されて復元されているそうです。
(堀川通七不思議 百々橋豆知識)
●百々橋は古来から名橋と言われ、「京都坊目誌(大正5年刊行)」には「今昔物語に百々の辻子あれば平安京中期の開通ならん。小川の流れを架す。石橋なり。長さ四間一分幅二間二分。都下の名橋なり」と記されています。

【堀川通七不思議 晴明井】
晴明井(せいめいのいど)は陰陽師・安倍晴明を祀っている晴明神社にあります。二の鳥居をくぐった右にある不思議な形をした井戸です。晴明井は安倍晴明の霊力よって湧き出し、吉祥水(きっしょうすい)として無病息災のご利益があると言われています。なお晴明井が湧き出る出口は立春の日にその年の縁起のよい恵方(方角)に向けられています。
(堀川通七不思議 晴明井豆知識)
●晴明井がある晴明神社は1007年(寛弘4年)一条天皇が1005年(寛弘2年)に亡くなった安倍晴明の遺業を賛え、稲荷神の生まれ変わりである晴明を祀ったのが起源です。
晴明神社(アクセス・見どころ・・・)

【堀川通七不思議 五芒星の額束】
五芒星の額束(ごぼうせいのがくつか)は安倍晴明を祀っている晴明神社にあります。一の鳥居の額束には神社の名称ではなく、五芒星が描かれています。五芒星は陰陽道の基本概念(陰陽五行説)木・火・土・金・水の5つの元素の働きの相克を表し、魔除けのご利益があると言われています。
(堀川通七不思議 五芒星の額束豆知識)
●五芒星は晴明桔梗印(せいめいききょうのしるし)と言われている晴明神社の神紋です。

【堀川通七不思議 一条戻橋】
一条戻橋(いちじょうもどりばし)は晴明神社の南東にある長さ約8メートルほどの橋です。一条戻橋はかつて土御門橋(つちみかどばし)と言われていたが、比叡山の呪術憎・浄蔵貴所(じょうじょうきしょ)が息を吹き返した父と対面してからは戻橋(もどりばし)と言われるようになりました。浄蔵貴所は熊野で修行していたが、父が危篤という知らせを受けて京に戻りました。しかし死に目には間に合わず、土御門橋で父の葬列と出会って「父の魂を戻して欲しい」と読経したところ父は一時的に息を吹き返して最後の対面をすることができました。
(堀川通七不思議 一条戻橋豆知識)
●一条戻橋では安倍晴明の父・保名が芦屋道満の弟に殺害されたが、呪法によって父を蘇生させたとも、晴明は二人の式神を一条戻橋の袂に隠したとも言われています。また自刃した千利休の首が晒されたとも、源頼光の四天王のひとり渡辺綱(わたなべのつな)が鬼女の片腕を斬り落としたとも言われています。
一条戻橋(アクセス・見どころ・・・)

【堀川通七不思議 小町草紙洗いの水】
小町草紙洗いの水(こまちそうしあらいのみず)は一条戻橋から東に約80メートルほどいった場所にあります。「小野小町雙紙洗水遺跡・小野通」と記された石碑が残っています。小町草紙洗いの水は謡曲「草紙洗小町」に由来しています。
(堀川通七不思議 小町草紙洗いの水豆知識)
●小町草紙洗いの水の由来となった「草紙洗小町」では小野小町の才色を妬んでいた大友黒主(おおとものくろぬし)が小町を落とし入れようと歌合わせの前夜に屋敷に忍び込み、小町の歌「蒔かなくに何を種として浮草の 波のうねうね生いしげるらん」を盗み聞きして草紙に書きました。歌合わせの当日、大友黒主が小町の盗作と騒ぎました。そこで小町は京の名水のひとつである清和水を入れた白銀のたらいで草紙を洗うと後から書き入れた部分が洗い流され、小町の潔白が証明されて大友黒主は非難されました。なお清和水はその後小町草紙洗いの水と言われるようになりました。
小野小町も大友黒主も平安時代の歌人で、六歌仙の一人です。

【堀川通七不思議 佐女牛井】
佐女牛井(さめがい)は平安時代に源頼義(みなもとのよりよし)の六条堀川邸にあった井戸です。佐女牛井はいくつもの戦乱をくぐり抜けてきたが、1945年(昭和20年)の堀川通の拡張工事によって撤去されました。
(堀川通七不思議 佐女牛井豆知識)
●佐女牛井は京都三名水に数えられ、三名水の中で天下一の名水と言われました。その為侘び茶の創始者・村田珠光(むらたじゅこう)・武野紹鴎(たけのじょうおう)・千利休などがお茶に使ったと言われています。なお京都三名水には佐女牛井の他に京都御苑の旧一条邸の縣井(あがたい)・梨木神社(なしのきじんじゃ)の染井(そめい)があります。ただ現在も残っているのは染井だけです。

【堀川通七不思議 梅ヶ枝の手水鉢】
梅ヶ枝の手水鉢(うめがえのちょうずばち)は西堀川通と木津屋橋通の交差点の北東角にあります。梅ヶ枝の手水鉢には由来が残されています。源氏の武将・梶原影季(かじわら かげすえ)は宇治川の戦いで佐々木高綱(ささき たかつな)に先陣争いで遅れを取って源頼朝から怒りを買い、世を忍ぶ生活を送ることになりました。その為生活に窮して頼朝から拝領した鎧を質に入れ、妻は「梅ヶ枝」と名前を変えて遊郭で働くことになりました。その後影季は一ノ谷の戦いの出陣を望んだが、質に入れた鎧を買い戻すお金がないことから梅ヶ枝の手水鉢を叩いてお金の工面を祈ると空から小判が降ってきて、無事に出陣することができました。

【堀川通七不思議 芹根水】
芹根水(せりねのみず)はかつて堀川の西岸から間断なく湧き出た湧水です。ただ1914年(大正3年)の堀川の改修の際に枯れてしまい、書家・松下烏石(まつしたうせき)が建てた石標「芹根水」が残っています。
(堀川通七不思議 芹根水豆知識)
●芹根水は平安時代から霊水として知られ、室町時代には茶の七名水(芹根井・佐女牛井・御手洗井・常磐井・水薬師井・大通寺井・中川井)に数えられました。

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