南禅寺(亀山法皇)歴史簡単まとめ

南禅寺見どころ

南禅寺歴史

南禅寺歴史を簡単にまとめて紹介しています。南禅寺はかつて園城寺の別院・最勝光院や後嵯峨天皇が造営した離宮・禅林寺殿があった場所です。1291年(正応4年)に亀山法皇(第90代・亀山天皇)が大明国師・無関普門を開山として禅林寺殿を禅寺に改め、龍安山禅林禅寺と称したのが起源です。

【南禅寺歴史以外の情報】
南禅寺見どころ

★南禅寺歴史年表
【前史 南禅寺】
●南禅寺が建立されている場所は僧・道智(どうち)が創建した滋賀・園城寺(おんじょうじ・三井寺(みいでら))の別院・最勝光院(さいしょうこういん)があった場所でした。その後最勝光院は衰退し、鎌倉時代中期の1264年(文永元年)に第88代・後嵯峨天皇(ごさがてんのう)が母の大宮院御所(おおみやいんごしょ)として、離宮・禅林寺殿(ぜんりんじどの)を造営したと言われています。禅林寺殿には上の御所(上の宮)と下の御所(下の宮)があり、1287年(弘安10年)に上の御所に持仏堂(じぶつどう)を建立したのが南禅寺発祥の地とされる南禅院(南禅寺の別院)の起源と言われています。ちなみに禅林寺殿の名称は現在も南禅寺北側に建立され、永観堂(えいかんどう)とも言われる禅林寺に由来しています。

【創建(起源・由来)の歴史 南禅寺】
●鎌倉時代後期の1291年(正応4年)に亀山法皇(第90代・亀山天皇(かめやまてんのう)が大明国師(だいみょうこくし)・無関普門(むかんふもん)を開山として離宮・禅林寺殿を禅寺に改め、龍安山禅林禅寺と名付けたのが南禅寺の起源です。南禅寺は皇室発願の最初の禅寺になりました。ちなみに亀山法皇は大明国師・無関普門の師で、父・後嵯峨天皇が帰依した聖一国師(しょういちこくし)・円爾(えんに)のもとで受戒し、1289年(正応2年)に了遍僧正(りょうへんそうじょう)を戒師(かいし)として落飾(出家)し、法皇(金剛眼)になりました。その後亀山法皇は禅林寺殿に夜な夜な出没する妖怪変化(ようかいへんげ)に悩まされたが、大明国師・無関普門が弟子とともに禅林寺殿で静かに座禅するだけで妖怪変化を退散させたと言われ、南禅寺開山に招聘されたと言われています。

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【鎌倉時代の歴史 南禅寺】
●1291年(正応4年)の南禅寺創建直後に大明国師・無関普門が亡くなると大明国師・無関普門の弟子である南院国師(なんいんこうくし)・規庵祖円(きあんそえん)が2世住職になり、伽藍を整備しました。南禅寺創建時には伽藍として機能する堂塔はなく、亀山法皇が崩御した1305年(嘉元3年)頃に伽藍がほぼ完成したと言われています。
●正安年間(1299年~1302年)に名称を龍安山禅林禅寺から太平興国南禅禅寺(たいへいこうこくなんぜんぜんじ)に改めたと言われています。
●1307年(徳治2年)に後宇多上皇(第91代・後宇多天皇(ごうだてんのう))が鎌倉幕府に令し、南禅寺を鎌倉五山に准ずるものとしました。

【南北朝時代の歴史 南禅寺】
●1334年(建武元年)に南朝初代で、第96代・後醍醐天皇(ごだいごてんのう)が五山の第一に列しました。
●1342年(興国3年・暦応5年)に室町幕府初代将軍・足利尊氏(あしかがたかうじ)が南禅寺を京都五山の第一位に列しました。
●1385年(元中2年・至徳2年)に室町幕府3代将軍・足利義満(あしかがよしみつ)が自ら創建した相国寺(しょうこくじ)を京都五山の第一にする為、南禅寺を京都五山と鎌倉五山の上である別格・「五山之上」に列しました。なお京都五山は天龍寺(てんりゅうじ)・相国寺・建仁寺(けんにんじ)・東福寺(とうふくじ)・万寿寺(まんじゅじ)、鎌倉五山は建長寺(けんちょうじ)・円覚寺(えんかくじ)・寿福寺(じゅふくじ)・浄智寺(じょうちじ)・浄妙寺(じょうみょうじ)です。

【室町時代の歴史 南禅寺】
●1393年(明徳4年)と1447年(文安4年)に火災によって焼失しました。
●室町時代中期に応仁の乱(1467年(応仁元年)~1477年(文明9年))によって伽藍の多くを焼失しました。応仁の乱では裏山に赤松(あかまつ)軍が陣を敷き、山名(やまな)軍などと戦いになったそうです。

【安土桃山時代の歴史 南禅寺】
●1568年(永禄11年)に織田信長(おだのぶなが)が門前で軍勢による乱暴狼藉を禁じました。
●1591年(天正19年)に豊臣秀吉(とよとみひでよし)が寺領を安堵しました。

【江戸時代の歴史 南禅寺】
●1605年(慶長10年)に江戸幕府の参与で、「黒衣の宰相(こくいのさいしょう)」と言われた金地院崇伝(こんちいんすうでん)・以心崇伝(いしんすうでん)が第270世住持になり、伽藍を再建しました。
●1703年(元禄16年)に南禅院が再興されました。

【明治時代以降の歴史 南禅寺】
●1888年(明治21年)に水路閣(琵琶湖疏水)が建設されました。琵琶湖疏水は京都府知事・北垣国道(きたがきくにみち)が京都近代化政策の一環として計画し、1885年(明治18年)に着工し、1894年(明治27年)に完成しました。
●2005年(平成17年)に南禅寺が国の史跡に指定されました。

★南禅寺歴史上人物
【第90代・亀山天皇 南禅寺開基】
●第90代・亀山天皇は南禅寺の歴史上、開基です。第90代・亀山天皇は1249年(建長元年)に第88代・後嵯峨天皇と中宮・西園寺きつ子の皇子として生まれました。亀山天皇は父母から寵愛され、亀山天皇系の大覚寺統と兄で、第89代・後深草天皇系の持明院統との対立の端緒になったと言われています。1258年(正嘉2年)に立太子され、翌1259年(正元元年)に兄・後深草天皇が17歳で譲位し、第90代・亀山天皇に即位しました。即位には父母の意向があったと言われています。1274年(文永11年)に第2皇子で、皇太子・世仁親王(第91代・後宇多天皇)に譲位して院政を開始しました。院政期間中に元寇と言われる1274年(文永11年)の文永の役・1281年(弘安4年)弘安の役が起こりました。1289年(正応2年)に出家して法皇になりました。亀山天皇は禅宗・律宗を手厚く保護し、五山別格とされ臨済宗寺格第一である南禅寺の開基になりました。なお第90代・亀山天皇は1305年(嘉元3年)に崩御しました。

【大明国師・無関普門 南禅寺開山】
●大明国師・無関普門は南禅寺の歴史上、開山です。無関普門は1212年(建暦2年)に長野県長野市若穂の保科の地で生まれました。幼い時に新潟県菅名庄・正円寺に住していた伯父・寂円に預けられ、13歳で得度しました。次に群馬県世良田・長楽寺の釈円栄朝に師事し、初めて禅を学びました。その後東福寺開山になった聖一国師・円爾に師事して苦修を重ねました。1251年(建長3年)に宋(中国)に渡り、浄慈寺の断橋妙倫に参禅し、1262年(弘長2年)に帰国し、新潟県・正円寺に戻りました。その後病気になった師である聖一国師・円爾を見舞う為に上洛し、関白・一条実経(いちじょうさねつね)の招きによって東福寺第3世住持になりました。無関普門は1291年(正応4年)12月に亡くなりました。

【文化財・見どころ 南禅寺】
●大方丈(国宝)は天正年間(1573年~1591年)に建てられた女院御所の対面御殿を移し、1611年(慶長16年)に再建されました。小方丈は寛永年間(1624年~1643年)に建立されました。
●三門(重要文化財)は1628年(寛永5年)に武将・藤堂高虎が寄進しました。
●水路閣は1888年(明治21年)に建設されました。
●勅使門(重要文化財)は慶長年間(1596年~1614年)に建てられた御所・日ノ御門を移し、1641年(寛永18年)に建立されました。
●法堂は1893年(明治26年)に火災で焼失し、1909年(明治42年)に再建されました。
●中門は1601年(慶長6年)に伏見城・松井邸の門を寄進され、勅使門になったが、御所・日ノ御門を賜ったことから中門になりました。
●方丈庭園・虎の子渡しの庭は1611年(慶長16年)頃に小堀遠州が作庭したと言われています。
●小方丈庭園・如心庭は1966年(昭和41年)に管長・柴山全慶が「心を表現せよ」と指示して作庭されました。
●六道庭は1967年(昭和42年)に作庭されました。

【南禅院 南禅寺】
南禅院は南禅寺の別院です。南禅院は1287年(弘安10年)に亀山上皇(第90代・亀山天皇)の離宮・禅林寺殿の上の御所に持仏堂が建立されたのが起源です。

【塔頭 南禅寺】
●金地院は南禅寺の塔頭です。金地院は応永年間(1394年~1427年)に室町幕府4代将軍・足利義持が洛北鷹ケ峯に創建したのが起源です。
●天授庵は南禅寺の塔頭です。天授庵は1339年(延元4年・暦応2年)に虎関師錬が北朝初代・光厳天皇の勅許により、無関普門の塔所として建立したのが起源です。

【南禅寺歴史 備考】
*参考・・・京都・南禅寺(アクセス・マップ・歴史・見どころ・・・)ホームページ

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