過去の記事一覧

  • 祇園祭と中原師守の「師守記(もろもりき)」

    祇園祭ではかつて神輿渡御が中心行事だったが、南北朝時代に一層賑やかになります。南北朝時代に北朝方の官人・中原師守が記した「師守記」に室町幕府2代将軍・足利義詮が桟敷を設け、祇園祭を見物したことが記されています。
  • 祇園祭と一条兼良の「尺素往来(せきそおうらい)」

    祇園祭では神輿渡御が中心行事だったが、その後中心行事が神輿から山鉾に移ります。室町時代中期頃に一条兼良が編纂した「尺素往来」に定鉾・鵲鉾・跳鉾・風流の造山・白河鉾など巡行し、大変華やかだったことが記されています。
  • 祇園祭と三条公忠の「後愚昧記(ごぐまいき)」

    祇園祭では神輿渡御が中心行事だったが、その後中心行事が神輿から山鉾に移ります。三条公忠の「後愚昧記」には神輿が渡御しなかったが、鉾が巡行し、室町幕府3代将軍・足利義満が桟敷を設けて見物したことが記されています。
  • 祇園祭と「年中行事絵巻(ねんじゅうぎょうじえまき)」

    祇園祭は後白河法皇が絵師・常盤光長らに描かせ、藤原基房に校閲させた「年中行事絵巻」に描かれています。「年中行事絵巻」第9巻の「祇園御霊会の神輿遷幸」には平安時代後期に祇園祭の中心行事だった神輿渡御が描かれています。
  • 祇園祭と「洛中洛外図屏風(上杉本)」

    祇園祭は絵師・狩野永徳が23歳頃に描き、1574年(天正2年)に織田信長が上杉謙信に贈った「洛中洛外図屏風(上杉本)」に描かれています。右隻には長刀鉾・蟷螂山・鶏鉾・岩戸山など山鉾や清水寺などの東山の名所が描かれています。
  • 祇園祭と菊水鉾・菊水の井

    祇園祭の山鉾巡行(前祭)で巡行する菊水鉾の名称は京都市中京区菊水鉾町にあった菊水の井に由来しています。菊水の井は室町時代に夷を祀っていた神社の社殿の隅にありました。菊水鉾町はかつて夷三郎町とも言われていたそうです。
  • 祇園祭と崇徳天皇・祇園臨時祭

    祇園祭では祇園祭の翌日・6月15日に祇園臨時祭が行われていました。祇園臨時祭は975年(天延3年)に第64代・円融天皇が始めました。1124年(天治元年)から崇徳天皇の御願により、永代の祭礼として行われるようになりました。
  • 祇園祭と大嘗会(だいじょうえ)の標山(しめやま)

    祇園祭の山鉾・山鉾巡行は雑芸者・無骨が八坂神社の社頭で、大嘗会の標山に似た作山を制作し、引き廻したことが起源と言われています。標山は大嘗祭の際、大嘗宮の前の悠紀殿・主基殿の前に両国の役人が並ぶ位置を示す目印です。
  • 祇園祭とイエズス会の宣教師

    祇園祭は戦国時代(室町時代後期)から安土桃山時代に日本を訪れていたイエズス会の宣教師も見物し、その記録が残されています。ガスパル・ヴィレラの書簡には高価な絹織物に覆われた山鉾や神輿渡御の様子などが記されています。
  • 祇園祭と平清盛・祇園臨時祭

    祇園祭はかつて6月14日に行われ、翌日6月15日に祇園臨時祭が行われていました。1147年(久安3年)6月15日に平清盛が宿願の成就を祈願する為に田楽を奉納しようとした際、武装した平氏の郎党が八坂神社の下級神職・神人に咎められ、闘乱になりました。
  • 祇園祭と元祇園梛神社の御供石(ごくいし)

    祇園祭の際に使われていた御供石が元祇園梛神社に移されています。御供石は山鉾巡行の際に石の上に神饌を供え、神に献じた石とも言われています。また御供石は江戸時代まで祇園祭の際に御旅所に神饌を献ずる為の台石だったとも言われています。
  • 祇園祭と織田信長(おだのぶなが)

    祇園祭では天皇(上皇・法皇)・貴族・将軍・武将などが見物した記録が残されています。そして織田信長は「信長公記」に「寅 六月十四日 祇園会、信長御見物。」と記され、1582年(天正6年)6月14日に祇園祭を見物しました。

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