上賀茂神社(大田神社・久我神社・藤木社・・・)
上賀茂神社
上賀茂神社を観光するなら歴史的に関係が深い上賀茂神社の摂末社である大田神社(おおたじんじゃ)・久我神社(くがじんじゃ)・藤木社(ふじのきのやしろ)・総神社(そうじんじゃ)も一緒に回るのもいいかもしれません。ただ大田神社・久我神社・藤木社・総神社はいずれも上賀茂神社の境外にあり、拝観には注意が必要です。なお上賀茂神社では葵祭(あおいまつり)などが行われ、行事も一緒に見るのもいいかもしれません。
【上賀茂神社・摂末社 基本情報】
上賀茂神社詳細情報
上賀茂神社の摂末社・大田神社(アクセス・見どころ・歴史概要・・・)情報
上賀茂神社の摂末社・久我神社(アクセス・見どころ・歴史概要・・・)情報
上賀茂神社の摂末社・藤木社(アクセス・見どころ・歴史概要・・・)情報
上賀茂神社の摂末社・総神社(アクセス・見どころ・歴史概要・・・)情報
【上賀茂神社・摂末社 マップ・地図】
【上賀茂神社 歴史・簡単概要】
上賀茂神社(かみがもじんじゃ)・賀茂別雷神社(かもわけいかづちじんじゃ)は起源が明確ではありません。上賀茂神社は社伝によると神代の昔に賀茂別雷命(かもわけいかづちのかみ)が現社殿の北北西にある秀峰・神山(こうやま)に降臨したのが起源とも言われています。その後677年(天武天皇6年)に賀茂神宮が造営されたとも言われています。794年(延暦13年)の第50代・桓武天皇による平安京遷都以降は皇城鎮護の神・山城国一之宮として、桓武天皇を初めとする歴代天皇が行幸・奉幣祈願されたと言われています。807年(大同2年)に最高位である神階・正一位を賜って、葵祭(賀茂祭)が勅祭になり、810年(大同5年)には賀茂斎院が置かれ、第52代・嵯峨天皇の皇女・有智子内親王(うちこないしんのう)が初代斎王として仕え、以降歴代斎王が葵祭に奉仕しました。上賀茂神社は明治時代から戦後まで伊勢神宮に次ぐ、官幣大社の筆頭とされました。なお上賀茂神社は1994年(平成6年)世界遺産条約により、ユネスコ世界文化遺産(古都京都の文化財)のひとつに登録されました。
上賀茂神社は下鴨神社(賀茂御祖神社)とともに古代氏族・賀茂氏の氏神を祀る神社です。
*参考・・・上賀茂神社(拝観料・アクセス・歴史概要・見どころ・・・)ホームページ
【大田神社 歴史・簡単概要】
大田神社(おおたじんじゃ)は起源が明確ではありません。大田神社は上賀茂神社が造営される以前から祀られ、恩多社(おんたしゃ)とも言われていました。927年(延長5年)に成立した「延喜式」の神名帳に太田神社が記載され、式内社に列せらていました。その後1628年(寛永5年)に本殿・拝殿が造り替えられました。1939年(昭和14年)に大田ノ沢の杜若(カキツバタ)野生群落が国の天然記念物に指定されました。なお大田神社は天鈿女命(あめのうずめのみこと)を祀っています。
大田神社は上賀茂神社(賀茂別雷神社)の境外摂社(第三摂社)です。
*参考・・・大田神社(アクセス・マップ・歴史・見どころ・・・)ホームページ
【久我神社 歴史・簡単概要】
久我神社(くがじんじゃ)は起源が明確ではありません。久我神社はかつて地主神社が祀られていたとも、上賀茂神社の造営後に祖神・賀茂建角身命(かもたけつぬみのみこと)を祀ったとも言われています。その後鎌倉時代以降に氏神社(うじがみしゃ)と言われ、賀茂社の末社になりました。しかし応仁の乱の兵火によって荒廃し、1628年(寛永5年)に現在の社殿が再建されました。なお1872年(明治5年)氏神社から久我神社に名称を改めました。
久我神社は上賀茂神社(賀茂別雷神社)の境外摂社(第八摂社)です。
*参考・・・久我神社(アクセス・マップ・歴史・見どころ・・・)wikipedia
【藤木社 歴史・簡単概要】
藤木社(ふじのきのやしろ)・藤木神社は明神川(みょうじんがわ)沿いに佇み、明神川の守護神として祀られてきました。藤木社の祭神は瀬織津姫神(せおりつひめのかみ)です。なお上賀茂神社は神代の昔、賀茂別雷命(かもわけいかづちのかみ)が現社殿の北北西にある秀峰・神山に御降臨したことが起源とも言われています。
藤木社は上賀茂神社(賀茂別雷神社)の境外末社です。
【総神社 歴史・簡単概要】
総神社(そうじんじゃ)は白鳳年間に創建されたと言われています。その後賀茂御読経所・聖神寺(しょうじんじ)の鎮守社になり、社僧が学問向上を祈願したと言われています。なお901年(延喜元年)菅原道真が大宰府に左遷された際、巫女として奉仕していた叔母に別れを告げる為に一泊したとされ、「菅宿坊天神」とも言われました。
総神社は上賀茂神社(賀茂別雷神社)の境外三十八社のひとつです。
【上賀茂神社葵祭 歴史・簡単概要】
上賀茂神社葵祭(あおいまつり)・賀茂祭は古墳時代後期の欽明天皇の時代(539年~571年)に京都をはじめ全国が風水害に見舞われて飢餓・疫病が流行し、賀茂大神(上賀茂神社・下鴨神社)の崇敬者・卜部伊吉若日子(うらべのいきわかひこ)に占わせられたところ賀茂大神の祟りであると奏した為、4月吉日を選んで、馬に鈴を懸け、人は猪頭(いのがしら)を被り、駆競(くち・かけくらべ)して盛大に祭りを行ったことが起源です。葵祭は819年(弘仁10年)に律令制度の中で最も重要な恒例祭祀(中祀)に準じて行われる国家的行事になりました。その為平安時代中期には祭りと言えば、葵祭のことをさすほど隆盛を極めたが、武士の時代の鎌倉時代・室町時代には衰えました。なお葵祭は例年5月15日に行われています。関連行事(前儀・後儀)は例年5月1日から21日頃まで行われます。
*参考・・・葵祭wikipedia
【上賀茂神社 備考】
*イベントの情報(日程・場所・内容など)は必ず主催者に確認して下さい。当サイトの情報はあくまで参考情報です。イベントの内容などが変更になっている場合もあります。
上賀茂神社見どころ(本殿・細殿立砂など)