上賀茂神社舞殿(橋殿)・上賀茂神社見どころ

上賀茂神社舞殿(橋殿)

●上賀茂神社舞殿(橋殿)は1903年(明治36年)4月15日に国の重要文化財に指定されました。
●上賀茂神社舞殿(橋殿)は1863年(文久3年)に御手洗川(みたらしがわ・ならの小川)を跨ぐように建てられました。なお舞殿は桁行六間・梁間一間で、入母屋造の檜皮葺です。
一般的に舞殿は舞楽(ぶがく)を行う舞台である社殿です。舞殿は神楽殿(かぐらでん)・神楽堂(かぐらどう)とも言われています。舞楽は雅楽(ががく)の一種です。舞楽は唐楽(とうがく)・高麗楽(こまがく)を伴奏とする舞踊です。唐楽を伴奏とする舞楽は左舞(さまい)・高麗楽を伴奏とする舞楽は右舞(うまい)と言われます。
上賀茂神社には北西から賀茂川(かもがわ)に設けられた明神井堰(みょうじんいせき)を源とする御手洗川(みたらしがわ)と北東から蟻ケ池(ありがいけ)などを源とする御物忌川(おものいがわ)が流れ込み、二つの川が合流をして御手洗川と言われ、川を跨ぐように建てられた舞殿(橋殿)付近から楢の小川(ならの小川)と言われ、岩本社付近で沢田川(さわだがわ)が分岐し、境内を出ると明神川(みょうじんがわ)と言われます。なお御手洗川では人を清め、御物忌川では祭器を洗い清めたと言われています。また楢の小川(ならの小川)はかつて川沿いに楢の木があり、その葉で神饌を盛ったことに由来するとも言われています。
入母屋造は切妻造と寄棟造を組み合わせた屋根の形式です。寄棟造の屋根の上に切妻造の屋根を載せた形で、切妻造の四方に庇(ひさし)がついています。京都御所の紫宸殿(ししんでん)のように切妻と寄棟の角度が一続きでないものは錣屋根(しころやね)とも言われています。日本では古くから切妻造は寄棟造よりも格式が上とも言われ、それらの組み合わせた入母屋造は最も格式が高いとも言われています。入母屋造は法隆寺(ほうりゅうじ)の金堂・唐招提寺(とうしょうだいじ)の講堂に採用されています。
檜皮葺は屋根葺手法の一形式です。檜皮葺では檜(ひのき)の樹皮を用いて屋根を葺きます。檜皮葺は日本以外では見られない日本古来の手法です。檜皮葺は飛鳥時代の668年(天智天皇7年)に滋賀県大津市の廃寺・崇福寺(すうふくじ)の諸堂が檜皮で葺かれた記録が最古の記録です。
●上賀茂神社舞殿では夏越大祓(なごしのおおはらえ)の際、人形(ひとがた)が御手洗川(ならの小川)に流されます。
夏越大祓式では過去半年間の罪・穢れを祓い、今後半年間の無病息災を祈願します。夏越大祓式では茅の輪(ちのわ)くぐりや人形流しが行われます。茅の輪くぐりでは立砂の前に設置された茅の輪を神職・巫女などが左回り・右回り・左回りに3回くぐります。
人形流しは神職が大祓詞(おおはらえのことば・中臣大祓(なかとみのおおはらえ))を唱える中、ならの小川に人形が流されます。人形は人間の形をした紙で、名前などを記入し、体を撫でて息を3回吹き掛けて罪・穢れを移します。人形流し中には公卿で、歌人・藤原家隆(ふじわらのいえたか)が小倉百人一首の中で、大祓式の情景を詠んだ和歌「風そよぐ 楢(なら)の小川の 夕暮は 御禊ぞ夏の しるしなりける」が朗詠されます。
上賀茂神社見どころ

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