上賀茂神社見所ランキング-本殿,権殿,細殿,立砂,舞殿

上賀茂神社(Kamigamo Shrine)

上賀茂神社見所ランキング

上賀茂神社見所ランキングを紹介します。見所は1位が大きさ・形状が同じ本殿(国宝)・権殿(国宝)、2位が細殿(重要文化財)と円錐状の立砂、3位が舞殿(重要文化財)と京都三大祭に数えられる葵祭です。なお修学旅行・観光で必ず見るべき見所を紹介しています。(詳細下記参照)

上賀茂神社見どころ一覧

【1位 本殿(国宝)・権殿(国宝)-上賀茂神社】

見所1位が本殿・権殿です。本殿・権殿は江戸時代末期の式年遷宮で建て替えられ、150年以上の歴史があります。上賀茂神社ではかつて21年毎に社殿が建て替えられていました。なお本殿・権殿は1901年(明治34年)8月2日に国の重要文化財、1953年(昭和28年)3月31日に国宝に指定されました。

  • 概略:本殿(東側・右側)・権殿(西側・左側)は並んで建立されています。本殿は下鴨神社(しもがもじんじゃ)の東本殿に祀られている玉依姫命(たまよりひめのみこと)の子神で、雷を別けるほどの力を持つ祭神・賀茂別雷命(かもわけいかづちのかみ)を祀っています。また神器(神服・食器など)も奉安しています。本殿には厄除け・方除け・開運・八方除け・雷除け・災難除け・必勝などのご利益があると言われています。権殿は本殿が非常時の場合、神儀を代って行う仮殿で、渡殿(わたどの)とも言われています。なお特別参拝では普段入ることのできない神域に入り、神職の案内によって本殿・権殿を参拝することができます。(要確認)
  • 歴史:本殿・権殿は江戸時代末期の1863年(文久3年)に式年遷宮で建て替えられました。本殿・権殿はかつて式年遷宮で建て替えられていたが、現在は国宝に指定されていることから桧皮葺(ひわだぶき)の屋根の葺き替えなどの修復のみが行われています。なお本殿はその長い歴史の中で、室町時代中期の1476年(文明8年)に焼失した記録が残されています。
  • 構造:本殿・権殿は大きさ・形状が同じで、三間社流造(さんげんしゃながれづくり)の檜皮葺(ひわだぶき)です。本殿・権殿は神社建築の一種である流造の原型とも言われています。
  • 式年遷宮:上賀茂神社では平安時代中期の1036年(長元9年)に21年毎に式年遷宮(しきねんせんぐう)を行うことが定められ、戦争などによる中断などもあったが、2015年(平成27年)10月15日に第42回式年遷宮の正遷宮(しょうせんぐう)が行われました。
スポンサーリンク(Sponsor Link)

【2位 細殿(重要文化財)・立砂-上賀茂神社】

見所2位が細殿・立砂です。細殿は江戸時代前期に建て替えられ、400年近い歴史があります。立砂は祭神・賀茂別雷命が降臨した秀峰・神山を模していると言われています。なお細殿は1903年(明治36年)4月15日に国の重要文化財に指定されました。

  • 概略:細殿は二ノ鳥居をくぐった先に建立され、その前に円錐状の2つの砂の山・立砂(たてずな・盛砂)があります。細殿はかつて天皇・上皇・葵祭(あおいまつり)に奉仕した斎王(さいおう)などが参拝する際、装束(しょうぞく)などを整える著到殿(ちゃくとうでん)として使われていました。立砂は神代の昔に祭神・賀茂別雷命が降臨した神体(秀峰)・神山(こうやま)を模し、2つの砂の山の向かって左に3本(陽・奇数)と右に2本(陰・偶数)の松葉が差されています。立砂は細殿前だけでなく、本殿の祝詞座(のりとざ)前とその背後にもあり、祝詞座前・祝詞座背後・細殿前の順で大きく盛られているそうです。ちなみに奇数・偶数は陰陽道(おんみょうどう)に基づき、神の出現を願う意味があるとも言われています。なお細殿・立砂前では9月に烏相撲(からすずもう)が行われ、奉納相撲を行う子どもが行事に引率されて立砂の周りを3度回ります。
  • 歴史:細殿は江戸時代前期の1628年(寛永5年)に建て替えられました。細殿は江戸時代中期の1708年(宝永5年)に御所が火災に見舞われた際、第113代・東山天皇(ひがしやまてんおう)の行在所になり、三種の神器(さんしゅのじんぎ)が弊殿(重要文化財)に移されました。
  • 構造:細殿は入母屋造(いりもやづくり)の檜皮葺です。
  • 立砂:立砂は神を招く憑代(よりしろ)としての役割があります。また立砂は鬼門に撒く清めの砂の起源とも言われています。なお立砂がある場所にはかつて2本の御柱が立てられていたとも言われています。

【3位 舞殿(重要文化財)・橋殿-上賀茂神社】

見所3位が舞殿です。舞殿は江戸時代末期の式年遷宮で建て替えられ、150年以上の歴史があります。舞殿は御手洗川をまたぐように建立された珍しい様式なっています。なお舞殿は江戸時代末期の1863年(文久3年)に建て替えられられました。

  • 概略:舞殿は賀茂川(かもがわ・鴨川)の分水である御手洗川(みたらしがわ)をまたぐように建立されています。御手洗川はかつて名前の通り、御手洗の水だったそうです。舞殿は眺めると御手洗川の上に建立されていることが確認できます。舞殿では夏越大祓(なごしのおおはらえ)の際に人形(ひとがた)が御手洗川に流されます。なお御手洗川は葵祭(あおいまつり)の前儀である斎王代禊の儀(さいおうだいみそぎのぎ)で斎王代(さいおうだい)が両手を浸して禊を行います。
  • 文化財:舞殿は1903年(明治36年)4月15日に国の重要文化財に指定されました。舞殿は日本百名橋に選ばれています。
  • 構造:舞殿は入母屋造の檜皮葺です。舞殿は御手洗川をまたぐように建立され、橋殿(はしどの)とも言われています。
  • 葵祭:舞殿では葵祭・社頭の儀(しゃとうのぎ)の際に勅使の拝殿になり、紅紙(べにがみ)に書かれた御祭文(ごさいもん)を奏上し、雅楽(ががく)の一種である東游(あづまあそび)が奉納されます。

【3位 葵祭(京都三大祭り・三大勅祭)-上賀茂神社】

見所3位が葵祭です。葵祭は上賀茂神社と下鴨神社で行われる祭礼で、石清水八幡宮の石清水祭・春日大社の春日祭とともに三大勅祭に数えられました。また京都三大祭りにも数えられています。

  • 概略:葵祭は7月の祇園祭(ぎおんまつり)・10月の時代祭(じだいまつり)とともに京都三大祭りに数えられています。葵祭の路頭の儀(ろとうのぎ)では斎王代(さいおうだい)など平安時代の衣装を身に着けた行列が京都御苑(京都御所)から下鴨神社を経て、上賀茂神社まで巡行します。京都御苑や上賀茂神社の参道などでは時代絵巻を見ることができます。なお上賀茂神社では賀茂競馬足汰式(かもくらべうまあしそろえしき)・賀茂競馬(かもくらべうま)・献茶祭(けんちゃさい)など葵祭の関連行事も行われます。
  • 由来:葵祭は正式には賀茂祭(かもまつり)と言われているが、祭儀に関わる全ての人や社殿の御簾(みす)・牛車(御所車)に至るまで二葉葵を桂の小枝に挿し飾ることから葵祭と言われています。

葵祭2024日程(時代行列・流鏑馬神事・・・)

【番外 ならの小川(楢の小川)-上賀茂神社】

見所番外がならの小川です。ならの小川は上賀茂神社境内を流れていることもあり、時代劇などのロケ地に利用されています。

  • 概略:ならの小川(楢の小川)は境内を流れる小川です。ならの小川は本殿西側(北西)を流れ、人を清める御手洗川(みたらしがわ)と本殿東側(北東)を流れ、祭器を洗い清める御物忌川(おものいがわ)が手水舎(ちょうずしゃ)近くで合流し、ならの小川となります。ならの小川は岩本社(いわもとしゃ)近くで沢田川(さわだがわ)を分岐し、その一部が渉渓園(しょうけいえん)を流れてならの小川と合流し、境内を出ると明神川(みょうじんがわ)に名前を変え、その後琵琶湖疏水(びわこそすい)分線に合流しています。ちなみに御物忌川には片岡橋・玉橋が架けられ、ならの小川には川を跨ぐように橋殿(舞殿)が建立され、夜具橋・神事橋が架けられています。なおならの小川は時代劇などの撮影にも使われ、見覚えのある方もいるかもしれません。またならの小川では夏季に足を浸したり、川遊びをしたりする姿も見られます。
  • 行事:ならの小川では古くから夏越大祓式(なごしのおおはらえしき)が行われ、平安時代後期から鎌倉時代前期の公卿・歌人である藤原家隆(ふじわらのいえたか)は「風そよぐ 楢(なら)の小川の 夕暮は 御禊ぞ夏の しるしなりける」と詠みました。また葵祭の前儀である斎王代禊の儀も行われています。上賀茂神社では古くから川を使って禊を行っていた歴史を感じることができます。

【上賀茂神社 備考】
*参考・・・上賀茂神社(見所・アクセス・・・)ホームページ

関連記事

京都観光おすすめ

  1. 錦市場(Nishiki Market)
  2. 竹林の道(Bamboo Forest Path)
  3. 嵐山
ページ上部へ戻る