仁和寺見所ランキング-五重塔・金堂・御室桜・二王門・御影堂

仁和寺(Ninna-ji Temple)

仁和寺見所ランキング-修学旅行・観光必見

仁和寺の見所は1位が江戸時代前期に再建された五重塔(重要文化財)、2位が最古の紫宸殿遺構と言われる金堂(国宝)、3位が日本さくら名所100選に選ばれた御室桜(名勝)と江戸時代前期に再建された二王門(重要文化財)です。なお国宝・重要文化財など修学旅行・観光で見るべき名所を紹介しています。(詳細下記参照)

仁和寺見どころ一覧

【江戸時代前期に再建された五重塔(重要文化財)】

五重塔は江戸時代前期に再建され、その後焼失などを免れたことから400年近い歴史があります。寛永年間を代表する五重塔と言われています。なお五重塔は1900年(明治33年)4月7日に国の重要文化財に指定されました。

  • 概略-五重塔は高さ約36.18メートルで、高さ約54.8メートルの東寺(とうじ)の五重塔(国宝)、高さ約50.8メートルの奈良・興福寺(こうふくじ)の五重塔(国宝)、高さ約38.8メートルの法観寺(ほうかんじ)の五重塔(重要文化財)、高さ約38.2メートルの醍醐寺(だいごじ)の五重塔(国宝)に次いで、日本国内で5番目に高い五重塔です。五重塔は中門をくぐると右側(東側)に建立され、間近に近づいて見上げるとその高さに圧倒され、言葉を失うかもしれません。ちなみに五重塔は初層から五層までの各層の屋根の大きさ(逓減率0.687)が大きく変わらない美しい姿になっています。一般的に五重塔は歴史が古いほど初層から五層までの逓減率が大きく、五層目の屋根が初層の屋根と比較するとより小さくなっています。五重塔は周囲を回りながら屋根の大きさの変化を確認するのもおすすめです。なお中門をくぐった左側(西側)には御室桜(おむろざくら)が植えられており、春には美しい桜に彩られて五重塔を眺めたり、写真撮影したりすることもできます。春は普段と違った絶景を眺められます。
  • 歴史-五重塔は江戸時代前期の1644年(寛永21年)に再建されました。五重塔は江戸幕府3代将軍・徳川家光の寄進によって再建された日本一高い東寺(教王護国寺)の五重塔とともに寛永年間(1624年~1645年)を代表する仏塔と言われています。
  • 構造-五重塔は高さ約36.18メートルで、本瓦葺です。五重塔は天に向かって突き出た相輪(そうりん)が約3.5メートルで、塔身(とうしん)が約32.7メートルになります。
  • 仏像-五重塔は真言密教(しんごんみっきょう)の教主・大日如来(だいにちにょらい)とその周りに天鼓雷音如来(てんくらいおんにょらい)・宝幢如来(ほうとうにょらい)・無量寿如来(むりょうじゅにょらい・阿弥陀如来(あみだにょらい))・開敷華王如来(かいふけおうにょらい))の四仏を安置しています。五重塔は初層に大日如来(だいにちにょらい)を示す梵字(ぼんじ)の額も掛けられ、龍の鬼瓦も葺かれています。
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【現存する最古の紫宸殿遺構と言われる金堂(国宝)】

金堂は江戸時代初期に建てられた御所の紫宸殿を前身とし、400年以上の歴史があります。金堂は現存する最古の紫宸殿遺構と言われています。なお金堂は1900年(明治33年)4月7日に国の重要文化財、1953年(昭和28年)11月14日に国宝に指定されました。

  • 概略-金堂は仁和寺の本堂です。金堂は桃山時代から江戸時代初期の慶長年間(1596年~1615年)に造営された御所の正殿である紫宸殿(ししんでん)の最古の遺構です。ちなみに京都市内には御所から東福寺(とうふくじ)・南禅寺(なんぜんじ)・大覚寺(だいかくじ)などの寺社に移された移築建物も存在するが、紫宸殿では天皇の即位・元服(げんぷく)・立太子(りったいし)・節会(せちえ)などの公的な最重要儀式が行われていたことから他の移築建物よりも重要な文化財とされています。
  • 歴史-金堂は江戸時代初期の1613年(慶長18年)に御所の紫宸殿として造営され、寛永年間(1624年~1645年)に仁和寺に移築されれました。第21世・覚深法親王(かくしんほっしんのう)が上洛していた江戸幕府3代将軍・徳川家光(とくがわいえみつ)に応仁の乱(1467年(応仁元年)~1477年(文明9年))で荒廃していた再興を承諾され、御所の建物が仁和寺に移されました。金堂はかつて平安時代前期の888年(仁和4年)に創建され、平安時代後期の1119年(元永2年)4月に焼失し、同年12月に再建されたが、室町時代中期の応仁の乱で再び焼失しました。応仁の乱では山名宗全(やまなそうぜん)を総大将とする西軍が仁和寺に陣を敷き、細川勝元(ほそかわかつもとが)を総大将とする東軍の攻撃によって全焼しました。
  • 重要人物-覚深法親王は1588年(天正16年)に第107代・後陽成天皇(ごようぜいてんのう)の第1皇子として生まれました。1594年(文禄3年)に次期天皇即位を前提として親王宣下を受け、東宮御所に正親町上皇(第106代・正親町天皇(おおぎまちてんのう))の御所を与えられました。しかし1598年(慶長3年)に後ろ盾の関白・豊臣秀吉(とよとみひでよし)が亡くなると父が皇位継承者から外す意向を示し、1600年(慶長5年)の関ヶ原の戦い後に江戸幕府初代将軍・徳川家康(とくがわいえやす)によって廃され、政仁親王(第108代・後水尾天皇(ごみずのおてんのう)が次期天皇に即位することになりました。1601年(慶長6年)に仁和寺の院家・真光院に入って得度して灌頂(かんじょう)を受け、1614年(慶長19年)に一品に叙せられて法中第一座の宣下を受け、その後仁和寺門跡になりました。なお覚深法親王は1648年(慶安元年)に亡くなりました。
  • 構造-金堂は入母屋造(いりもやづくり)の本瓦葺(ほんがわらぶき)です。金堂は仁和寺に移されてから檜皮葺(ひわだぶき)から本瓦葺に変えられたが、宮殿様式を残す貴重な遺構と言われています。なお金堂には軒下に三軒(みのき)と言われる垂木(たるき)が三段に並ぶ珍しい構造も残されています。
  • 仏像-金堂はかつて本尊・阿弥陀三尊(あみださんぞん)を安置していたが、現在は四天王(してんのう)像・梵天(ぼんてん)像を安置しています。また金堂には極彩色で描かれた浄土図(じょうどず)や観音図(かんのんず)などもあります。なお旧本尊・阿弥陀三尊は現在、霊宝館に安置されています。
  • 豆知識-金堂の前身である紫宸殿では平安時代中期以降、大極殿(だいごくでん)に代わって儀式が行われるようになりました。

【日本さくら名所100選に選ばれた御室桜(名勝)】

御室桜は平安時代を起源とするとも言われています。現在の御室桜は五重塔が再建された江戸時代前期頃に植えられ、400年近い歴史あると言われています。

  • 概略-御室桜は中門(重要文化財)をくぐった西側一帯に植えられている約200本のオムロアリアケ(御室有明)のことを言います。御室桜は京都府内で、京都市の嵐山(あらしやま)、京都市の醍醐寺(だいごじ)、笠置町(かさぎちょう)の笠置山自然公園(かさぎやましぜんこうえん)とともに日本さくら名所100選に選ばれています。御室桜は遅咲きで知られ、例年4月中旬頃に見ごろを迎えます。御室桜は例年3月下旬頃~4月上旬頃に見ごろを迎えるソメイヨシノ(染井吉野)の後で美しい花を楽しむことができます。御室桜では御室桜越しに五重塔を眺めたり、写真撮影したりするのがおすすめです。
  • 歴史-御室桜の名称は平安時代中期の904年(延喜4年)に開基・宇多法皇(第59代・宇多天皇)が山内に僧房・御室(御座所)を設けて住み、御室御所と言われたことに由来しています。1229年(安貞3年)に仁和寺から桜1株が閑院内裏南殿前に移植されたとも言われています。
  • 特徴-御室桜は樹高が2~3メートルと低く、御室桜の謎とも言われてきたが、固い地層と粘土質の土壌に栄養素がほとんど含まれていないことが原因と分かりました。御室桜は「わたしゃおたふく おむろのさくら はなが低くてひとがよく」とも謳われ、おたふく桜とも言われています。また御室桜は厚物桜とも言われています。
  • 名所-御室桜は古くから桜名所としてよく知られていました。仁和寺では957年(天暦11年)に桜会が行われたとも言われています。御室桜は江戸時代中期(1682年(天和2年)~1686年(貞享3年))の「雍州府志(ようしゅうふし)」に「今御室清水為一双」と記されています。また御室桜は江戸時代中期の1718年(享保3年)の貝原益軒(かいばらえっけん)の「京城勝覧(けいじょうしょうらん)」に「春は此御境内の奥に八重ざくら多し。洛中洛外にて第一とす」と記されています。

【江戸時代前期に再建された二王門(重要文化財)】

二王門は江戸時代前期に建立され、400年近い歴史があります。二王門は京の三大門に数えられています。なお二王門は1931年(昭和6年)1月19日に国の重要文化財に指定されました。

  • 概略-二王門は伽藍南側に建立されている和様建築の正門です。二王門は高さ約18.7メートルの五間三戸二階二重門(ごけんさんこにかいにじゅうもん)です。二王門は高さ約24メートルの知恩院(ちおんいん)の三門(国宝)、高さ約22メートルの南禅寺(なんぜんじ)の三門(重要文化財)とともに京の三大門と言われています。(諸説あり)二王門は正門であることから拝観する際に近付くだけで、その大きさを感じ、迫力を感じることができます。なお二王門の写真撮影は南側を走るきぬかけの路越しに撮影するのもおすすめです。
  • 歴史-二王門は江戸時代前期の1641年(寛永18年)から1645年(正保2年)に建立されました。
  • 構造-二王門は五間三戸(ごけんさんこ)二階二重門(にかいにじゅうもん)で、入母屋造の本瓦葺です。
  • 仏像-二王門は阿吽(あうん)の二王像(金剛力士(こんごうりきし)像)・唐獅子(からじし)像を安置しています。

【清涼殿の一部を起源とする御影堂(重要文化財)】

御影堂は清涼殿に使われていたを部材とし、400年近い歴史があります。金具なども清涼殿のものが転用されています。なお御影堂は1908年(明治41年)8月1日に国の重要文化財に指定されました。

  • 概略-御影堂は御所の清涼殿(せいりょうでん)の一部として造営され、金堂(国宝)と同様に御所から移され、その部材を使って建立された約10メートル四方の小堂です。清涼殿は平安京遷都の際に天皇の私的な在所である内裏(だいり)の殿舎のひとつだったが、平安時代中期以降に天皇の日常生活の居所になり、日常の政務や四方拝(しほうはい)・叙位(じょい)・除目(じもく)などの行事が行われるようになりました。御影堂はその貴重さを感じることができます。なお仁和寺には御所の御常御殿(おつねごてん)が移され、宸殿(しんでん)が建立されていたが、明治時代に宸殿が焼失し、御影堂・金堂は貴重な文化財になっています。
  • 歴史-御影堂は安土桃山時代から江戸時代初期の慶長年間(1596年~1615年)に清涼殿の一部として造営され、寛永年間(1624年~1645年)に仁和寺に移され、その部材を使って建立されました。2016年(平成28年)秋に檜皮葺の葺き替えられました。御影堂は鎌倉時代前期の1211年(承元5年)に創建されたが、応仁の乱で焼失しました。
  • 構造-御影堂は屋根が宝形造(ほうぎょうづくり)の檜皮葺です。蔀戸(しとみど)には清涼殿の金具などが使われています。
  • 木造仏像-御影堂は真言宗(しんごんしゅう)の宗祖である弘法大師(こうぼうだいし)・空海像、仁和寺第1世・宇多法皇像、第67代・三条天皇(さんじょうてんのう)の第4皇子で、仁和寺第2世・性信入道親王(しょうしんにゅうどうしんのう)像を安置しています。

【仁和寺 備考】
ポイントは皇室ゆかりの門跡寺院です。仁和寺は第58代・光孝天皇が発願し、光孝天皇崩御後に子で、第59代・宇多天皇が父・光孝天皇の遺志を引き継いで創建しました。宇多法皇は僧房・御室を造営してて住み、その後皇族などが代々門跡(住職)を務める門跡寺院にもなりました。仁和寺では朱雀法皇が移り住んでだり、鳥羽法皇の発願によって孔雀明王堂が建立されたりもしました。室町時代中期の応仁の乱で多くの伽藍を焼失し、江戸時代前期に仁和寺第21世・覚深入道親王が上洛していた江戸幕府3代将軍・徳川家光に仁和寺再興を申し入れ、承諾されると御所から紫宸殿・清涼殿・御常御殿などの建物を賜り、現在の金堂(紫宸殿)・御影堂(清涼殿)が再建されました。ただ御常御殿は明治時代に焼失しました。ちなみに覚深入道親王は1594年(文禄3年)に関白・豊臣秀吉の後ろ盾もあって次期天皇即位を前提として親王宣下を受けたが、1600年(慶長5年)の関ヶ原の戦い後に江戸幕府初代将軍・徳川家康によって廃され、1601年(慶長6年)に仁和寺の院家・真光院に入って得度しました。なお仁和寺では1867年(慶応3年)に仁和寺第30世・純仁法親王が還俗し、明治維新後に皇族が門跡に就かなくなったことから「旧御室御所」と称しています。
*参考・・・仁和寺(見所・アクセス・・・)ホームページ

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