北野天満宮見所ランキング-本殿・三光門・牛・梅・御土居

北野天満宮一の鳥居・北野天満宮見どころ

北野天満宮見所ランキング-修学旅行・観光必見

北野天満宮の見所は1位が豊臣秀頼が再建した八棟造(権現造)の本殿(国宝)、2位が豊臣秀頼が建立し、七不思議に数えられる星欠けの三光門(重要文化財)、3位が頭を撫でると頭がよくなると言われるなで牛と梅です。なお国宝・重要文化財など修学旅行・観光で見るべき名所を紹介しています。(詳細下記参照)

北野天満宮見どころ一覧

【関白・豊臣秀吉の子・豊臣秀頼が再建した本殿(国宝)】

本殿は江戸時代初期に豊臣秀頼が再建し、400年以上の歴史があります。本殿は八幡造の最古例とも言われています。なお本殿・拝殿・石の間・楽の間は1897年(明治30年)12月28日に国の重要文化財、1959年(昭和34年)6月27日に国宝に指定されました。

  • 概略-本殿・拝殿・石の間・楽の間は1棟になっており、総面積が約500坪です。本殿などの社殿はその周りを歩くとその複雑な構造と大きさを実感できます。本殿などの社殿には精緻な彫刻や黄金色に輝く装飾が施された桃山建築で、美しい彫刻・装飾などを確認するのもおすすめです。北野天満宮では主祭神・菅原道真(すがわらのみちざね)の縁日である毎月25日に天神市が行われるだけでなく、夕方からライトアップも行われています。本殿などの社殿に吊られている吊燈籠(つりどうろう)に明かりが灯され、幻想的で、神秘的な光景を見ることができます。天神市だけでなく、ライトアップも楽しむのがおすすめです。なお本殿には学問の神とされる菅原道真が主祭神として祀られ、修学旅行生や受験生はご利益を授かる為に必ず参拝しましょう。
  • 歴史-本殿・拝殿・石の間・楽の間は江戸時代初期の1607年(慶長12年)に関白・豊臣秀吉(とよとみひでよし)の子・豊臣秀頼(とよとみひでより)が父・豊臣秀吉の遺志を受け継いで、片桐且元(かたぎりかつもと)を造営奉行として再建しました。ちなみに豊臣秀吉は1587年(天正15年)に北野大茶会(きたのだいさのえ・北野大茶湯)を行いました。ちなみに社殿はかつて平安時代中期の947年(天暦元年)に創建され、959年(天徳3年) に大規模な社殿が建立されました。その後度々焼失し、室町時代中期の1444年(文安元年)に文安の麹騒動(ぶんあんのこうじそうどう)の際にも室町幕府の攻撃で北野天満宮一帯が焼失しました。なお2020年(令和2年)7月に1607年(慶長12年)の再建以来、初めての本格的な本殿内部の修復が完了しました。
  • 重要人物-豊臣秀頼は1593年(文禄2年)に関白・豊臣秀吉と側室・淀殿(よどどの)の間に生まれました。健康な成長を願って、一旦捨てた形にし、幼名は拾丸(ひろいまる)でした。父・秀吉は豊臣秀次(とよとみひでつぐ)の娘と婚約させようとしたが、1595年(文禄4年)に秀次の関白職を奪って自刃させ、継嗣としての地位を確定させました。伏見城に住んでいたが、1598年(慶長3年)に秀吉が亡くなると家督を継ぎ、遺命によって大坂城に移り住みました。1600年(慶長5年)の関ヶ原の戦い後に摂津・河内・和泉を知行する一大名になったが、1603年(慶長8年)に江戸幕府初代将軍・徳川家康(とくがわいえやす)の孫、江戸幕府2代将軍・徳川秀忠(とくがわひでただ)の子・千姫(せんひめ)と結婚しました。1614年(慶長19年)の方広寺鐘銘事件(ほうこうじしょうめいじけん)によって大坂の陣が勃発し、1615年(慶長20年)に母・淀殿らとともに自害しました。
  • 構造-本殿・拝殿・石の間・楽の間は1棟になっており、本殿と拝殿が石の間で繋がり、拝殿の左右に楽の間がある複雑な構造になっています。本殿・拝殿・石の間・楽の間は1棟として、権現造(ごんげんづくり)・八棟造(やつむねづくり)と言われています。
  • 祭神-本殿には主祭神に菅原道真、相殿に道真の長男・中将殿(菅原高視(すがわらのたかみ))と正室の吉祥女(島田宣来子(しまだののぶきこ))を祀っています。
  • 七不思議-本殿は南側の一の鳥居・楼門をくぐった一直線上になく、筋違いの本殿として七不思議に数えられています。北野天満宮が創建される前に天神地祇(てんしんちぎ)の神々を祀る摂社・地主社(じぬししゃ)が祀られており、地主社が一直線上の楼門参道の正面に祀られています。
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【関白・豊臣秀吉の子・豊臣秀頼が建立した三光門(重要文化財)】

三光門は江戸時代初期に豊臣秀頼が建立し、400年以上の歴史があります。三光門は星欠けの三光門として、影向松などとともに七不思議に数えられています。なお三光門は1898年(明治31年)12月28日に国の重要文化財に指定されました。

  • 概略-三光門(中門)は本殿の前(南側)に建立されています。三光門には一般的に日・月・星が彫刻され、その名称の由来になっています。しかし三光門には真っ赤な太陽(日)と金色の月があるが、星が見当たらずに星欠けの三光門と言われ、七不思議に数えられています。ちなみに星が欠けているのは平安京の御所の正殿・大極殿(だいごくでん)から夜空を眺めると三光門の上に北極星が輝くことからとも言われています。北野天満宮は大極殿の北北西に位置していました。ちなみに大極殿は現在の京都御所よりも西側の千本丸太町に造営されていました。三光門をくぐって本殿に参拝する際には真っ赤な太陽と金色の月を確認してから本殿に参拝するのがおすすです。三光門には第111代・後西天皇(ごさいてんのう)自筆の勅額「天満宮」が掲げられています。
  • 歴史-三光門は江戸時代初期の1607年(慶長12年)に豊臣秀頼が建立しました。
  • 構造-三光門は四脚門(しきゃくもん)で、入母屋造(いりもやづくり)の檜皮葺(ひわだぶき)です。三光門は中央冠木(かぶき)に上に唐獅子(からじし)の大蟇股(おおかえるまた)があり、前後に千鳥破風(ちどりはふ)・軒唐破風(のきからはふ)付きです。

【頭を撫でると頭がよくなると言われるなで牛(臥牛像)】

なで牛(臥牛像)は頭を撫でると頭がよくなるととも言われ、受験生や修学旅行生に人気になっています。

  • 概略-牛は主祭神・菅原道真のお使いとされています。室町時代作の「北野天神縁起絵巻(国宝)」には序文に門前で休む茶色と黒色の牛が描かれ、絵巻物の巻五に菅原道真の遺骸を運ぶ茶色と白色のまだら模様の牛が描かれています。北野天満宮では境内に頭を撫でると頭がよくなるととも、体の悪い場所と同じ場所を撫でると治るとも言われているなで牛(撫で牛・撫牛)が置かれています。また撫でると一つだけ願いが叶うとも言われている一願成就のお牛さんを祀る牛舎(うししゃ)も祀られています。牛舎のなで牛は境内最古のなで牛と言われています。修学旅行生や受験生はなで牛の頭を撫でてご利益を授かるといいかもしれません。なお北野天満宮の牛は伏した姿をしているが、拝殿の欄間(らんま)に立ち姿の牛が刻まれ、七不思議に数えられています。
  • 歴史-牛は「菅原道真が生まれたのが丑年(乙丑(きのとうし))」・「菅原道真亡くなったのが丑の月の丑の日」・「菅原道真は牛に乗って大宰府(だざいふ)に下った」・「牛が刺客から菅原道真を守った」「菅原道真の墓所の位置は牛が決めた」などから菅原道真のお使いとされています。
  • 牛舎-牛舎は境内の北西(乾)の方角にある天狗山(てんぐやま)に祀られ、乾(いぬい)の牛さんと言われています。牛舎はかつて境内の西南隅に遷されたこともあったが、現在は旧地に戻されています。

【祭神・菅原道真がこよなく愛した梅】

北野天満宮は京都を代表する梅名所とされています。北野天満宮では梅シーズンに全国的にも珍しいライトアップが行われることもあります。

  • 概略-梅は主祭神・菅原道真がこよなく愛し、梅は北野天満宮の神紋・星梅鉢紋に使われています。北野天満宮では本殿の前に松とともにご神木・紅和魂梅(べにわこんばい)が植えられています。また境内・梅苑には寒紅梅・雲龍梅・思いのまま・月の桂・黒梅など50種・約1,500本の梅も植えられています。梅苑では例年2月上旬頃から3月中旬頃に見ごろを迎え、梅苑を散策しながら梅を楽しむことができます。ちなみに北野天満宮では梅が見ごろを迎える例年2月25日に天神市だけでなく、梅花祭・梅花祭野点大茶湯も行われ、梅花祭野点大茶湯では上七軒の舞妓・芸妓の奉仕による野点を楽しむことができます。なお北野天満宮では境内で実った梅の実は採取・加工され、12月13日から大福梅(おおふくうめ)として授与されます。大福梅は平安時代中期頃から新年の祝膳に用いられているとも言われています。
  • 由緒-菅原道真は大宰府(だざいふ)への左遷前に「東風(こち)吹かば にほひおこせよ 梅の花 主なしとて 春を忘るな(拾遺和歌集)」と詠みました。その後梅が菅原道真を慕って一晩の内に大宰府に飛来したという飛梅伝説が生まれています。
  • 歴史-梅苑は1966年(昭和41年)に開苑したと言われています。梅苑には2022年(令和4年)に明治時代に壊された花の庭が復興されました。花の庭は俳諧の祖と言われる松永貞徳(まつながていとく)が神宮寺・成就院(じょうじゅいん・成就坊)に作庭し、妙満寺(みょうまんじ)の塔頭・成就院の雪の庭と清水寺(きよみずでら)の塔頭・成就院の月の庭とともに成就院の「雪月花の三名園」と言われていたが、明治維新後に成就院が廃寺になると花の庭も壊され、庭石が残されました。

【関白・豊臣秀吉が築いた御土居(史跡)】

御土居は桃山時代に関白・豊臣秀吉が築き、400年以上の歴史があります。御土居は多くが失われ、最長の遺構と言われています。なお御土居は1965年(昭和40年)に国の史跡に指定されました。

  • 概略-御土居は境内西側にあるもみじ苑内で、紙屋川(かみやがわ)沿いに築かれた土塁です。御土居は安土桃山時代に関白・豊臣秀吉が外敵の侵入を防いだり、鴨川の氾濫から町を守る為、町を囲むように東側は鴨川、北側は鷹ヶ峯(たかがみね)、西側は紙屋川、南側は九条あたりに築かれました。ただ御土居は南北約8.5キロ・東西約3.5キロの縦長い形をしているが、川・池・沼などを利用していることから西側などに数箇所凹凸があったりします。御土居は規則正しい正方形や長方形などの形をしていません。御土居は延長約22.5キロも築かれたとも言われ、境内には長さ約250メートルが残され、現存する御土居の遺構として最長とも言われています。御土居はその歴史を感じることができます。御土居では内側が洛中、外側が洛外と言われ、その出入口に鞍馬口(くらまぐち)・丹波口(たんばぐち)など七口が設けられました。なお御土居の内、1930年(昭和5年)に北区紫竹上長目町・堀川町(加茂川中学校など)、北区大宮土居町、北区鷹峯旧土居町2番地、北区鷹峯旧土居町3番地(御土居史跡公園)、北区紫野西土居町、北区平野鳥居前町、上京区北之辺町(廬山寺)、中京区西ノ京原町 (市五郎神社)が国の史跡に指定されました。
  • 歴史-御土居は安土桃山時代の1591年(天正19年)に関白・豊臣秀吉が京都改造事業として、細川幽斉(ほそかわゆうさい・細川藤孝(ほそかわふじたか))・前田玄以(まえだげんい)などに命じて築きました。1591年(天正19年)1月に着工され、同年3月頃に完成したとも言われています。

【北野天満宮 備考】
ポイントは菅原道真と豊臣家(豊臣秀吉・豊臣秀頼)です。菅原道真は主祭神として本殿に祀られています。菅原道真は梅をこよなく愛し、本殿前にご神木・紅和魂梅が植えられ、境内に梅苑が造営されています。ちなみに境内で収穫された梅の実は塩漬け・天日干しなどの加工が行われ、12月に大福梅として授与されています。菅原道真は丑(うし)年生まれ、墓所は牛が決めたなどの理由から牛が菅原道真のお使いとされ、境内になで牛(撫で牛・撫牛)が建立され、撫でると菅原道真に因んで頭がよくなるとも言われています。豊臣秀頼は父・豊臣秀吉の遺命により、菅原道真を主祭神として祀る本殿や三光門・透塀・廻廊・東門・後門などを建立しました。北野天満宮には豊臣秀頼が奉納した青銅鏡31枚や「北野天満天神豊臣秀頼公御造営之時于時慶長十二丁未十一月日信濃守国広造(堀川国広作)」という銘がある刀も残されています。関白・豊臣秀吉は1587年(天正15年)に北野大茶湯(北野大茶会)を催し、楼門近くに茶点ての水として使ったと言われる太閤井戸が残されています。ちなみに北野天満宮では梅が見ごろを迎える例年2月25日に梅花祭が行われ、北野大茶湯に因んで梅花祭野点大茶湯が行われています。なお北野天満宮には外敵の侵入を防いだりする為、1591年(天正19年)に豊臣秀吉が築いた総延長約22.5キロメートルの土塁・御土居の遺構(長さ約250メートル)も残されています。
*参考・・・京都・北野天満宮(見所・アクセス・・・)ホームページ

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