南禅寺の見所ランキング-修学旅行・観光で見学必見
南禅寺の見所は方丈・三門・水路閣・別院塔頭
南禅寺の見所ランキングを紹介します。見所は1位が女院御所の対面御殿を移築した大方丈などの方丈(国宝)、2位が藤堂高虎が寄進した高さ約22メートルの三門(重要文化財)、3位が明治時代に建設された水路閣(史跡)です。なお国宝・重要文化財など修学旅行・観光で見るべき名所を紹介しています。(詳細下記参照)
- 1位-女院御所の対面御殿が前身で、400年以上の歴史がある大方丈(国宝)
- 2位-藤堂高虎が寄進し、350年以上の歴史がある三門(重要文化財)
- 3位-明治時代に建設され、100年以上の歴史がある水路閣(史跡)
- 番外-明治時代に再建され、100年以上の歴史がある法堂
【女院御所の対面御殿が前身で、400年以上の歴史がある大方丈(国宝)】
大方丈は天正年間に関白・豊臣秀吉が建てた女院御所の対面御殿が前身で、400年以上の歴史があります。小方丈は江戸時代前期に建立され、350年以上の歴史があります。大方丈・小方丈は南禅寺最大の名所です。なお方丈(大方丈・小方丈)は1902年(明治35年)7月31日に国の重要文化財、1953年(昭和28年)11月14日に国宝に指定されました。
- 概略-方丈は大方丈と小方丈から構成されています。大方丈には内陣(仏間)・御昼の間・鳴滝の間・麝香の間・鶴の間などがあり、内陣以外に桃山時代に狩野派の絵師(狩野元信(かのうもとのぶ)・狩野永徳(かのうえいとく)・狩野山楽(かのうさんらく)・狩野探幽(かのうたんゆう)など)が描いた障壁画(重要文化財)124面が飾られています。御昼の間は御所・清涼殿(せいりょうでん)の昼の御座であった御帳の間の別称に由来しています。小方丈には虎の間・三室(九畳・六畳・二十畳)などがあり、虎の間には絵師・狩野探幽が描いたと言われている「群虎図(重要文化財)」が飾られ、部屋の名称の由来になっています。なお大方丈前の方丈庭園(国の名勝)は江戸時代初期に茶人・建築家・作庭家で、備中松山藩第2代藩主・小堀遠州(こぼりえんしゅう・小堀政一(こぼりまさかず))が作庭したと言われる枯山水庭園で、虎の子渡しの庭とも言われています。小方丈庭園・如心庭は1966年(昭和41年)に官長・柴山全慶老師が作庭しました。
- 歴史ポイント-大方丈は江戸時代前期の1611年(慶長16年)に三后(太皇太后(たいこうたいごう)・皇太后(こうたいごう)・皇后(こうごう))の女院御所(にょいごしょ)の対面御殿を移築して再建されました。大方丈は安土桃山時代の天正年間(1573年~1593年)に関白・豊臣秀吉(とよとみひでよし)が女院御所の対面御殿として造営し、桃山時代から江戸時代前期の慶長年間(1596年~1615年)の御所建て替えの際に南禅寺に移されました。なお大方丈は寺伝によると平安時代に天皇が居住していた御所・清涼殿(せいりょうでん)を移して再建されたとも言われています。小方丈は江戸時代前期の寛永年間(1624年~1645年)に建立されました。なお小方丈は桃山時代に関白・豊臣秀吉が築城した伏見城の遺構とも、江戸時代前期の寛永年間(1624年~1645年)に建てられた伏見城の小書院とも言われています。
- 構造-大方丈は入母屋造(いりもやづくり)のこけら葺(こけらぶき)です。小方丈は切妻造(きりづまづくり)のこけら葺です。
【藤堂高虎が寄進し、350年以上の歴史がある三門(重要文化財)】
三門は江戸時代前期に伊勢津藩初代藩主・藤堂高虎が寄進し、350年以上の歴史があります。高さ20メートル以上の三門は登って眺望を楽しむことができます。なお三門は1899年(明治32年)4月5日に国の重要文化財に指定されました。
- 概略-三門は高さ約22メートルで、両側に山廊(さんろう)があります。三門は近づいて見上げるとその高さ・大きさを実感することができます。三門は上層が五鳳楼(ごほうろう)と言われています。ちなみに三門は水路閣(すいろかく)とともにテレビドラマなどの撮影に使われています。見た覚えがある方もいるかもしれません。三門は登って拝観することもでき、登るとその高さを実感することもできます。桜や紅葉のシーズンには普段と違った美しい光景を見ることができます。三門は知恩院(ちおんいん)の三門・東本願寺(ひがしほんがんじ)の御影堂門(ごえいどうもん)とともに京都三大門と言われ、日本三大門にも数えられています。なお三門は歌舞伎「楼門五三桐(さんもんごさんのきり)」で、安土桃山時代に天下を狙う大盗賊・石川五右衛門(いしかわごえもん)が「絶景かな、絶景かな。・・・」と見得を切る「南禅寺山門の場」とされています。ただ三門は桃山時代の1594年(文禄3年)に三条河原で煎り殺された石川五右衛門の死後30年以上経ってから建立されました。
- 歴史ポイント-三門は江戸時代前期の1615年(元和元年)の大坂夏の陣で戦死した一門の武士の冥福を祈る為、1628年(寛永5年)に伊勢津藩初代藩主・藤堂高虎(とうどうたかとら)が寄進しました。なお三門はかつて鎌倉時代後期の1295年(永仁3年)に太政大臣(だじょうだいじん)・西園寺実兼(さいおんじさねかね)の寄進によって創建され、南北朝時代の応安年間(1368年~1375年)に改築されたが、室町時代中期の1447年(文安4年)に焼失しました。
- 重要人物-藤堂高虎は1556年(弘治2年)に藤堂虎高(とうどうとらたか)の子として生まれました。先ず浅井長政(あざいながまさ)に仕えたが、1573年(天正元年)に小谷城の戦い(おだにじょうのたたかい)で浅井氏が織田信長(おだのぶなが)によって滅ぼされ、1576年(天正4年)に関白・豊臣秀吉(とよとみひでよし)の弟・豊臣秀長(とよとみひでなが)に仕え、秀長の没後に養子・豊臣秀保(とよとみひでやす)に仕えたが、秀保が早世すると高野山で剃髪しました。しかし秀吉の懇望によって直臣になり、1598年(慶長3年)に秀吉が亡くなると江戸幕府初代将軍・徳川家康(とくがわいえやす)に接近し、その後徳川家の重臣として仕え、江戸城の改築などを行いました。1614年(慶長19年)の大坂冬の陣・1615年(慶長20年)の大坂夏の陣に参戦し、一族の藤堂良勝(とうどうよしかつ)など600人余りの死傷者を出しました。家康は臨終の床で、「国家の大事のときには一の先手は藤堂高虎、二の先手は井伊直孝(いいなおたか)」と申し置いたと言われています。藤堂高虎は1630年(寛永7年)に亡くなりました。
- 構造-三門は五間三戸二階二重門(ごけんさんこにかいにじゅうもん)で、入母屋造の本瓦葺(ほんがわらぶき)です。両側の山廊は切妻造の本瓦葺です。
- 仏像-三門は宝冠釈迦(ほうかんしゃか)座像・月蓋長者(がっかいちょうじゃ)・善財童士(ぜんざいどうじ)・十六羅漢(じゅうろくらかん)像、そして藤堂家歴代の位牌や大坂の陣の戦死者の位牌などを安置しています。天井に絵師・狩野探幽が描いた極彩色の鳳凰(ほうおう)・天人(てんにん)図があります。
- 名称-三門は天下竜門とも言われています。ちなみに三門は悟りに至る三つの関門(空門(くうもん)・無相門(むそうもん)・無願門(むがんもん))を表しています。
【明治時代に建設され、100年以上の歴史がある水路閣(史跡)】
水路閣は明治時代に建設され、100年以上の歴史があります。水路閣はテレビドラマなどでロケ地としてよく知られています。拝観エリア外にあり、時間を気にすることなく、眺めることができます。
- 概略-水路閣は延長約93メートルで、最も高い場所が約13メートルあります。水路閣は近づいて見上げるとその高さを実感することができます。水路閣は三門とともテレビドラマなどの撮影に使われています。見た覚えがある方もいるかもしれません。水路閣は見上げるだけでなく、南禅院側から登ることもでき、琵琶湖疏水の流れを見ることもできます。水路閣を流れる水は琵琶湖疏水分線として、哲学の道を北上していきます。水路閣は写真撮影のスポットしても人気があり、写真撮影もおすすめです。
- 歴史ポイント-水路閣は1888年(明治21年)に建設されました。なお水路閣は花崗岩(かこうがん)と煉瓦造(れんがづくり)です。
【明治時代に再建され、100年以上の歴史がある法堂】
法堂は明治時代に再建され、100年以上の歴史があります。法堂の天井には今尾景年作の雲龍図「幡龍」があります。
- 概略-法堂(仏殿)は三門(重要文化財)と方丈(国宝)の間に建立されています。法堂は近付くとその大きさを感じることができます。法堂には天井に明治時代から大正時代に活躍した京都画壇・四条派の日本画家・今尾景年(いまおけいねん)が描いた雲龍図「幡龍(ばんりゅう)」があります。法堂は通常入堂できないが、近付くと雲龍図の一部は外側から見ることができます。ちなみに龍は仏法を守護する八部衆(はちぶしゅう)に数えられ、釈迦如来(しゃかにょらい)の眷属(けんぞく)ともされ、仏法を大衆に説く法堂の天井に描かれ、法の雨(仏法の教え)を降らすとも言われています。また龍神が水を司る神とされ、火災から護る意味もあると言われています。
- 歴史ポイント-法堂は1893年(明治26年)に火災で焼失し、1909年(明治42年)に再建されました。その後1990年(平成2年)に開山大明国師700年大遠忌記念行事として、屋根が葺き替えられました。なお法堂はかつて鎌倉時代の1291年(正応4年)の南禅寺創建時に建立されたが、室町時代中期の応仁の乱(1467年(応仁元年)~1477年(文明9年))で焼失しました。その後1479年(文明11年)頃に再建され、江戸時代初期の1606年(慶長11年)に関白・豊臣秀吉の子・豊臣秀頼(とよとみひでより)の寄進によって大改築されたと言われています。
- 構造-法堂は入母屋造の本瓦葺で、一見二階建て(二重)に見える一重もこし(裳階)付きです。
- 仏像-法堂は本尊・釈迦如来(しゃかにょらい)、右に文殊菩薩(もんじゅぼさつ)、左に普賢菩薩(ふげんぼさつ)を安置しています。
【南禅寺 備考】
*参考・・・京都・南禅寺(見所・アクセス・・・)ホームページ