天龍寺見所ランキング-修学旅行・観光必見

天龍寺見どころ

天龍寺見所ランキング

天龍寺見所ランキングを紹介しています。見所ランキングは1位が前庭・曹源池庭園(そうげんちていえん)から構成されている庭園(特別名勝・史跡)、2位が直径9メートルの二重円の中に八方睨みの龍が描かれている法堂、3位が山内に建立されている三秀院など塔頭です。(天龍寺見所ランキング下記参照)

天龍寺見どころ一覧

【天龍寺 歴史・簡単概要】
天龍寺(てんりゅうじ)とは平安時代前期の承和年間(834年~848年)に第52代・嵯峨天皇(さがてんのう)の后・檀林皇后(だんりんこうごう)が創建した日本最初の禅寺・壇林寺があった場所です。その後第60代・醍醐天皇(だいごてんのう)の皇子・前中書王兼明親王(さきのちゅうしょおうかねあきらしんのう)の亀山山荘、後嵯峨上皇(第88代・後嵯峨天皇(ごさがてんのう))の仙洞御所、亀山上皇(第90代・亀山天皇(かめやまてんのう))の離宮・亀山殿が造営され、1335年(建武2年)に南朝初代で、第96代・後醍醐天皇(ごだいごてんのう)が亀山殿内に臨川寺(りんせんじ)を創建しました。天龍寺は南北朝時代の1339年(延元4年・暦応2年)に室町幕府初代将軍・足利尊氏が後醍醐天皇を弔う為、夢窓国師(むそうこくし)・夢窓疎石(むそうそせき)を開山として創建しました。天龍寺は当初元号から暦応資聖禅寺と称したが、その後足利尊氏が弟・直義(ただよし)が見たという大堰川(おおいがわ)から天に昇る金龍の夢から天龍資聖禅寺に改められました。
天龍寺歴史年表

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【天龍寺1位 庭園・見所解説】
ランキング1位は庭園(特別名勝・史跡)です。庭園は前庭・曹源池庭園(そうげんちていえん)から構成されています。前庭は勅使門(ちょくしもん)から法堂(はっとう)に至る境内の中央にあり、放生池(ほうじょうち)を中心とした庭園です。曹源池庭園は大方丈・小方丈からなる方丈(ほうじょう)に面してあり、曹源池(心字池(しんじいけ))を中心とし、龍門の滝(りゅうもんのたき)に見立てた2枚の巨岩や鯉魚石(りぎょせき)などが置かれた面積約1,200坪の池泉回遊式庭園です。曹源池庭園は紅葉の名所とされている嵐山(あらしやま)・亀山(かめやま)を借景にしていることから眺めると実際の大きさ以上の広さを感じます。龍門の滝は夢窓疎石が考案したとも、南宋(中国)からの渡来僧・蘭渓道隆(らんけいどうりゅう)が考案したとも言われています。天龍寺はカエデ・ハナミズキ・サクラ・ツツジ・ドウダンツツジ・イロハモミジなどが植えられた紅葉の名所で、曹源池庭園は紅葉が見ごろを迎える11月中旬頃~12月上旬頃が一番美しいとも言われています。ちなみに曹源池庭園では紅葉が見ごろを迎える時期に早朝参拝できるように拝観時間が早められ、朝早く訪れるのもいいかもしれません。曹源池庭園は700年前の作庭当時の面影を残しているとも言われ、その歴史を感じることもできます。なお天龍寺では江戸時代末期(幕末)までに兵火を含む8度の大火に見舞われ、伽藍の大部分が明治時代以降に再建された為、歴史を感じられるのは庭園だけかもしれません。
(庭園・ポイント)
●曹源池庭園は夢窓国師・夢窓疎石が最晩年に作庭したと言われています。また庭園は第60代・醍醐天皇の皇子・前中書王兼明親王(さきのちゅうしょおうかねあきらしんのう)の山荘の池泉を改修したとも言われています。
●曹源池庭園(曹源池)の名称は正しい源から流れ出る真実の禅を意味する「曹源一滴」に由来しています。庭園からは「曹源一滴(そうげんのいってき)」と刻んだ石碑が出土しました。ちなみに曹源池は夢窓疎石が選んだ龍寺十境に選ばれています。
●曹源池庭園は読本作者・俳人である秋里離島(あきさとりとう)による「都林泉名勝図会(みやこりんせんめいしょうずえ)・1799年(寛政11年)」に描かれています。
庭園見所(歴史概略・・・)

【天龍寺2位 法堂・見所解説】
ランキング2位は法堂です。法堂には1997年(平成9年)に天龍寺開山・夢窓国師650年遠諱記念事業として、京都市上京区出身で、「現代の琳派」とも言われた日本画家・加山又造(かやままたぞう)が描いた八方睨みの龍(雲龍図)があります。八方睨みの龍は縦10.6メートル・横12.6メートルの天井に厚さ3センチのヒノキ板159枚を張り、漆を塗った上に白土を塗り、直径9メートルの二重円の中に描かれています。雲龍図は仏の使いである雲龍が悟りの心を表す二重円(結界)の中にあることを表しているとも言われています。八方睨みの龍は法堂の天井を見上げるとその大きさや迫力を実感することができます。ちなみに八方睨みの龍(雲龍図)は土曜日・日曜日・祝日や春・夏・秋の特別参拝(毎日公開)の際に公開され、眺めましょう。なお一般的に雲龍図には龍が法(仏法の教え)の雨を降らすとも言われることや龍神が水を司ることから防火の意味が込められているとも言われています。
(法堂・ポイント)
●法堂は江戸時代末期(幕末)の1864年(元治元年)の禁門の変(蛤御門の変)によって焼失し、明治時代に江戸時代後期に建立された雲居庵禅堂(うんごあんぜんどう・選佛場(せんぶつじょう))を移して再建されました。
●法堂は須弥壇(しゅみだん)に釈迦三尊(しゃかさんぞん)像、後の壇に光厳上皇(北朝初代・光厳天皇(こうごんてんのう))の位牌・夢窓疎石像・足利尊氏像を安置しています。
●法堂にはかつて明治時代に日本画家・鈴木松年(すずきしょうねん)が描いた雲龍図がありました。雲龍図は一部が保存され、毎年2月に大方丈で公開されています。
法堂見所(歴史概略・・・)

【天龍寺3位 塔頭・見所解説】
ランキング3位は天龍寺の塔頭(たっちゅう)です。天龍寺は山内に三秀院(さんしゅういん)・弘源寺(こうげんじ)・慈済院(じさいいん)・松厳寺(しょうげんじ)・永明院(ようめいいん)・寿寧院(じゅねいいん)・妙智院(みょうちいん)などの塔頭が建立されています。天龍寺と三秀院・弘源寺・慈済院・松厳寺・永明院・寿寧院・妙智院では毎年節分に天龍寺七福神めぐりが行われ、1年の幸福を祈願します。また天龍寺では毎年節分に節分会が行われています。(要確認)節分に天龍寺やその塔頭を訪れ、行事を楽しむのもいいかもしれません。
(塔頭・ポイント)
●三秀院は南北朝時代の1363年(正平18年・貞治2年)に臨済宗(りんざいしゅう)の僧・不遷法序(ふせんほうじょ)が創建しました。
●弘源寺は室町時代中期の1429年(永享元年)に室町幕府管領・細川持之(ほそかわもちゆき)が夢窓疎石の法孫・玉岫禅師(ぎょくしゅうえいしゅ)を招聘して創建しました。
●慈済院は南北朝時代の1363年(正平18年・貞治2年)に第2世・無極志玄(むごくしげん)が創建しました。
●松厳寺は南北朝時代の1353年(正平8年・文和2年)に公家・四辻善成(よつつじよしなり)が臨済宗の僧・晦谷祖曇(まいこくそどん)を開山として創建しました。
●永明院は室町時代中期の1413年(応永20年)に臨済宗の僧・太岳周祟(たいがくしゅうそう)が創建しました。
●寿寧院は南北朝時代の貞治年間(1362年~1367年)に臨済宗の僧・龍湫周沢(りゅうしゅうしゅうたく)が創建しました。
●妙智院は室町時代に臨済宗の僧・竺雲等連(じくうんとうれん)が堺の貿易商・雲栖軒奇峯道夏居士の外護によって創建しました。

【天龍寺番外 方丈・見所解説】
ランキング番外は方丈です。方丈は曹源池庭園に面し、大方丈と小方丈(書院)に分かれています。大方丈は正面約30メートル・奥行き約20メートルで、正面と背面に幅広い広縁(ひろえん)が巡らせたれ、その外に落縁(おちえん)も巡らせた山内最大の建物で、曹源池庭園を拝観していいるとその大きさを感じることができます。ちなみに大方丈は表3室・裏3室の6室に分かれ、日本画家・物外道人(もつがいどうじん)が描いた雲龍の襖絵(ふすまえ)が東西を仕切っています。小方丈は法要や来客の接待などに使われています。曹源池庭園だけに目を奪われないで、方丈も拝観しましょう。なお方丈は1丈(約3メートル)四方の部屋を意味し、禅宗寺院では住持(じゅうじ・住職)や長老の居室を指します。
(方丈・ポイント)
●大方丈は1899年(明治32年)に建立され、小方丈は1924年(大正13年)に建立されました。
●大方丈は中央の48畳敷きの室中に本尊・釈迦如来(しゃかにょらい)坐像(重要文化財)を安置しています。天龍寺は大きな火災だけでも南北朝時代の1358年(延文3年・正平13年)・1367年(貞治6年・正平22年)・1373年(応安6年・文中2年)・1380年(康暦2年・天授6年)・1447年(文安4年)・1468年(応仁2年)・1815年(文化12年)・江戸時代末期の1864年(元治元年)の8回も見舞われたが、平安時代後期に造仏された釈迦如来は焼失を免れ、山内最古の仏像と言われています。
方丈見所(歴史概略・・・)

【天龍寺見所ランキング 備考】
*参考・・・京都世界遺産・天龍寺(アクセス・歴史概要・見どころ・・・)ホームページ

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