東寺見所ランキング-修学旅行・観光で必見

東寺見どころ(To-ji Temple) 

東寺の国宝・重要文化財などの見所紹介

東寺の見所ランキングを紹介します。見所は1位が徳川家光の寄進で再建された五重塔(国宝)、2位が豊臣秀頼の寄進で再建された金堂(国宝)、3位が弘法大師・空海が構想した立体曼荼羅がある講堂(重要文化財)です。番外は大師堂です。(詳細下記参照)

東寺見どころ一覧

【徳川家光の寄進で再建され、400年近い歴史がある五重塔(国宝)の見所】

  • 概略-五重塔は江戸時代(1603年~1868年)前期に江戸幕府3代将軍・徳川家光の寄進によって再建され、その後焼失などを免れたことから400年近い歴史があります。五重塔は高さ約54.8メートルの仏塔で、日本国内で最も高い木造塔(建築物)です。五重塔は高さから境内だけでなく、境外からも見ることができる観光名所・ランドマークで、間近に近付いて見上げるとその高さに圧倒されます。五重塔はできるだけ近づいて見上げましょう。五重塔は通年で夜間にライトアップされ、闇に浮かぶ美しい姿を眺めることができます。時間のある方は夜間に訪れ、境外から眺めましょう。ちなみに東寺は桜・紅葉の名所とされ、桜・紅葉が見ごろを迎える時期にライトアップが行われ、普段と異なった幻想的で、神秘的な五重塔を眺めるとができます。なお五重塔は通常初層内部が非公開だが、春・秋の特別公開などで一般公開されています。
  • 歴史-五重塔は江戸時代(1603年~1868年)前期の1644年(寛永21年)に江戸幕府3代将軍・徳川家光(とくがわいえみつ)の寄進によって再建されました。2018年(平成30年)9月に台風21号で屋根瓦・四隅の風鐸(ふうたく)などが破損し、修理が行われました。五重塔は1644年(寛永21年)の再建後に4回以上も修理が行われています。ちなみに五重塔はかつて平安時代(794年~1185年)前期の826年(天長3年)から創建が開始され、835年(承和2年)に弘法大師・空海が亡くなったが、その後元慶年間(877年~885年)に完成したと言われています。五重塔創建では「東寺の塔を造り奉る材木を曳き運ぶ勧進の表」が朝廷に提出され、京都東山からの材木運搬の協力を願い出た記録が残されています。その後平安時代(794年~1185年)後期の1055年(天喜3年)・鎌倉時代(1185年~1333年)後期の1270年(文永7年)・戦国時代(1493年~1590年)の1563年(永禄6年)・江戸時代(1603年~1868年)前期の1635年(寛永12年)に落雷・不審火によって4度焼失したと言われています。なお五重塔は1897年(明治30年)12月28日に国の重要文化財、1952年(昭和27年)11月22日に国宝に指定されました。
  • 構造-五重塔は高さ約54.8メートルで、本瓦葺です。五重塔は初層から五層までの屋根の大きさ(逓減率0.7)が少しずつ変化しています。一般的に五重塔は歴史が古いほど初層から五層までの逓減率が大きく、五層の屋根が初層の屋根と比較するとより小さくなっています。日本最古の五重塔と言われる奈良・法隆寺(ほうりゅうじ)の五重塔は逓減率が0.5になります。
  • 仏像-五重塔は初層内部に真言密教の教主である大日如来(だいにちにょらい)が説く真理や悟りの境地を表現した両界曼荼羅(りょうかいまんだら)が描かれています。五重塔は大日如来とみなされている心柱(しんばしら)を中心に金剛界(こんごうかい)四仏像・八大菩薩(はちだいぼさつ)像も安置しています。金剛界四仏像は不空成就如来(ふくうじょうじゅにょらい)像・宝生如来(ほうしょうにょらい)像・阿しゅく如来(あしゅくにょらい)・阿弥陀如来(あみだにょらい)像、八大菩薩像は普賢菩薩(ふげんぼさつ)像・地蔵菩薩(じぞうぼさつ)像・除蓋障菩薩(じょがいしょうぼさつ)像・虚空蔵菩薩(こくぞうぼさつ)像・弥勒菩薩(みろくぼさつ)像・金剛蔵菩薩(こんごうぞうぼさつ)像・文殊菩薩(もんじゅぼさつ)像・観音菩薩(かんのんぼさつ)像です。
  • 七不思議-五重塔は江戸時代(1603年~1868年)後期の安政年間(1855年~1860年)に大地震によって傾き、北側の瓢箪池(ひょうたんいけ)を掘って五重塔を安定させたとも言われ、七不思議に数えられています。なお五重塔と瓢箪池のコラボはインスタ映え・写真映えします。
  • 豆知識-五重塔では江戸時代中期(1603年~1868年)頃に国学者・医師である本居宣長(もとおりのりなが)、幕末に西郷隆盛(さいごうたかもり)が登ったと言われています。
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【豊臣秀頼の寄進で再建され、400年以上の歴史がある金堂(国宝)の見所】

  • 概略-金堂は江戸時代(1603年~1868年)初期に豊臣秀頼の寄進によって再建され、その後焼失などを免れたことから400年以上の歴史があります。金堂は豊臣秀吉が建立した方広寺大仏殿(1603年(慶長8年)焼失)に似ており、七不思議に数えられています。金堂は東寺の本堂で、台座・光背(こうはい)を含めた総高が圧巻の10メートルに達する本尊・薬師如来(やくしにょらい)坐像を安置しています。金堂近づくと桁行七間・梁間五間の大きさを実感することができ、その迫力に言葉を失うかもしれません。ちなみに金堂は和様(わよう)と大仏様(だいぶつよう・天竺様(てんじくよう))が併用され、高い天井を支える建築様式に大仏様の特徴が表れています。大仏様は東大寺(とうだいじ)の南大門(国宝)が代表例で、東大寺の大仏殿(国宝)にも採り入れられています。金堂は独特の建築様式も魅力です。なお方広寺大仏殿は現在はないが、金堂から想像するのもいいかもしれません。
  • 歴史-金堂は江戸時代(1603年~1868年)初期の1603年(慶長8年)に関白・豊臣秀吉(とよとみひでよし)の子・豊臣秀頼(とよとみひでより)の寄進により、片桐且元(かたぎりかつもと)を奉行として再建されました。金堂は桃山時代(1583年~1603年)に豊臣秀吉が建立した方広寺(ほうこうじ)大仏殿を模して再建されたとも言われ、七不思議に数えられています。1606年(慶長11年)に狩野内膳が描いた「豊国祭礼図屏風」の中の方広寺大仏殿と金堂の外観が極めて類似していると言われています。歴史の不思議さを感じることができます。なお金堂はかつて平安時代(794年~1185年)初期の823年(弘仁14年)頃に完成したが、室町時代(1336年~1573年)中期の1486年(文明18年)に文明の土一揆によって講堂・南大門などとともに焼失しました。なお金堂は1897年(明治30年)12月28日に国の重要文化財、1953年(昭和28年)3月31日に国宝に指定されました。
  • 構造-金堂は大仏様(だいぶつよう・天竺様(てんじくよう))を受け継ぎ、和様(わよう)も取り入れています。金堂は入母屋造(いりもやづくり)の本瓦葺(ほんがわらぶき)です。金堂はその外観から二階建て(二重)に見えるが、本来の屋根の下にもう一つ屋根を設けた一重裳階(もこし)付きです。裳階は風雨から建物を保護する役割があり、重要な建物であることを現しています。
  • 仏像-金堂は像高2.88メートルの本尊・薬師如来坐像(重要文化財)と両脇侍(日光菩薩(にっこうぼさつ)・月光菩薩(がっこうぼさつ))像(重要文化財)を安置しています。薬師三尊像は七条大仏師・康正(こうせい)が造仏しました。

【1491年に再建され、500年以上の歴史がある講堂(重要文化財)の見所】

  • 概略-講堂は室町時代(1336年~1573年)中期に再建され、その後焼失などを免れたことから500年以上の歴史があります。講堂内で立体曼荼羅を構成する仏像は15体が平安時代(794年~1185年)に造仏され、1,200年近い歴史があります。講堂は金堂の北側で、伽藍のほぼ中心に建立されています。講堂では弘法大師・空海による立体曼荼羅(まんだら)が表現されており、その宗教観を感じることができます。ただ「続日本後紀(しょくにほんこうき)」によると835年(承和2年)に弘法大師・空海が高野山で亡くなり、839年(承和6年)に開眼供養が行われたと言われています。ちなみに2000年(平成12年)に須弥壇(しゅみだん)の下から薄い木を焼いた跡が発見され、823年(弘仁14年)の着工の際に弘法大師・空海が鎮壇(ちんだん)として護摩(ごま)を焚いたとも言われています。発見から想像力が刺激されます。講堂に安置されている五智如来(ごちにょらい・阿弥陀如来(あみだにょらい)の頭部を除く)や金剛波羅密多菩薩(こんごうはらみたぼさつ)は室町時代(1336年~1573年)から江戸時代(1603年~1868年)に造仏されたと言われています。その他の仏像は後補・補修などを除き、平安時代(794年~1185年)の講堂創建時に造仏されたと言われています。なお礎石は創建当初のものと言われています。
  • 歴史-講堂は室町時代(1336年~1573年)中期の1491年(延徳3年)に再建されました。講堂はかつて平安時代(794年~1185年)前期の825年(天長2年)に建立が開始され、839年(承和6年)に完成したが、その後室町時代中期の1486年(文明18年)に土一揆で焼失しました。なお講堂は1940年(明治15年)10月14日に国の重要文化財に指定されました。
  • 構造-講堂は入母屋造の本瓦葺です。講堂はかつて金堂と繋がり、講堂・金堂の周囲を廻廊が巡らせられていたそうです。
  • 仏像-講堂は真言密教の教主・大日如来を中心に二十一尊で立体曼荼羅が表現されています。中央の五智如来は大日如来像(重要文化財)を中心に阿しゅく如来(あしゅくにょらい)像(重要文化財)・宝生如来(ほうしょうにょらい)像(重要文化財)・不空成就如来(ふくうじょうじゅにょらい)像(重要文化財)・阿弥陀如来(あみだにょらい)像(重要文化財)で構成されています。向かって右側(東方)の五大菩薩は金剛波羅密多菩薩像(国宝)を中心に金剛薩た菩薩(こんごうさったぼさつ)像(国宝)・金剛宝菩薩(こんごうほうぼさつ)像(国宝)・金剛業菩薩(こんごうごうぼさつ)像(国宝)・金剛法菩薩(こんごうほう)像(国宝)で構成されています。向かって左側(西方)の五大明王は不動明王(ふどうみょうおう)像(国宝)を中心に金剛夜叉明王(こんごうやしゃみょうおう)像(国宝)・降三世明王(ごうざんぜみょうおう)像(国宝)・大威徳明王(だいいとくみょうおう)像(国宝)・軍荼利明王(ぐんだりみょうおう)像(国宝)で構成されています。そしてその周囲に多聞天(たもんてん)像(国宝)・梵天(ぼんてん)像(国宝)・持国天(じこくてん)像(国宝)・広目天(こうもくてん)像(国宝)・帝釈天(たいしゃくてん)像(国宝)・増長天(ぞうちょうてん)像(国宝)が配置されています。

【南北朝時代に再建され、600年以上の歴史がある大師堂(国宝)の見所】

  • 概略-大師堂は南北朝時代(1337年~1392年)に後堂が再建され、その後焼失などを免れたことから600年以上の歴史があります。大師堂で毎朝行われている生身供は鎌倉時代(1185年~1333年)に始まり、800年近い歴史があります。大師堂は境内西北部の西院(さいいん)に建立されています。大師堂(御影堂・不動堂)はかつて弘法大師・空海の住房とも言われ、前堂に弘法大師坐像(国宝)を安置しています。大師堂を拝観すると弘法大師・空海を間近に感じることができます。大師堂では毎朝、午前6時から住房だった頃と同じように一の膳・二の膳・お茶を供える生身供(しょうじんく)が行われています。午前6時からその光景を見学すると弘法大師・空海信仰やその長い歴史を体感できます。
  • 歴史-大師堂は後堂が南北朝時代(1337年~1392年)の1380年(天授6年・康暦2年)に再建され、前堂・中門が南北朝時代の1390年(元中7年・明徳元年)に増築されました。なお大師堂は1898年(明治31年)12月28日に国の重要文化財、1958年(昭和27年)2月8日に国宝に指定されました。
  • 構造-大師堂は前堂・後堂・中門から構成されています。大師堂は入母屋造の檜皮葺(ひわだぶき)です。
  • 木造仏像-大師堂は前堂に弘法大師坐像(国宝)、後堂に弘法大師・空海の念持仏とされる不動明王(ふどうみょうおう)坐像(国宝)を安置しています。弘法大師坐像は鎌倉時代(1185年~1333年)前期の1233年(天福元年)に長者・親厳大僧正の願により、運慶(うんけい)の四男・康勝が制作しました。弘法大師坐像は弘法大師・空海の弟子・真如が描いた肖像とほぼ同じと言われています。不動明王坐像は平安時代(794年~1185年)前期(9世紀)に造仏され、不動明王像としては日本最古とも言われる秘仏(通常非公開)です。なお不動明王は弘法大師・空海が和歌山・高野山に向かう際に蓮花門(れんげもん)で見送り、その足下や歩んできた跡に蓮花が咲いたとも言われ、蓮花門の名称の由来になり、七不思議に数えられています。
  • 豆知識-生身供は鎌倉時代(1185年~1333年)に後白河法皇(第77代・後白河天皇(ごしらかわてんのう))の第6皇女・宣陽門院(せんようもんいん)が弘法大師・空海に帰依して始めました。宣陽門院は霊夢のお告げにより、伊予国弓削島庄などの荘園を寄進して財政基盤を安定させ、大師堂に五重小塔・仏舎利を奉納したと言われています。

【東寺見所 備考】
*参考・・・東寺(見所・アクセス・・・)ホームページ

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