東福寺

東福寺

東福寺を観光するなら歴史的に関係が深い東福寺の塔頭である芬陀院(ふんだいん)・光明院(こうみょういん)・同聚院(どうじゅいん)・霊雲院(れいうんいん)・龍吟庵(りょうぎんあん)・天得院(てんとくいん)も一緒に回るのもいいかもしれません。ただ龍吟庵・天得院など公開期間が限定されている塔頭があり、拝観には注意が必要です。なお東福寺には通常非公開の塔頭である退耕庵・即宗院・正覚庵・海蔵院・桂昌院・願成寺・荘厳院・盛光院・善慧院(明暗寺)・大機院・永明院・龍眠庵・栗棘庵・霊源院・一華院・南明院・万寿寺・勝林寺・東光寺もあります。

【東福寺・塔頭 基本情報】
東福寺(アクセス・見どころ・・・)情報
東福寺の塔頭・芬陀院(アクセス・見どころ・・・)情報
東福寺の塔頭・光明院(アクセス・見どころ・・・)情報
東福寺の塔頭・同聚院(アクセス・見どころ・・・)情報
東福寺の塔頭・霊雲院(アクセス・見どころ・・・)情報
東福寺の塔頭・龍吟庵(アクセス・見どころ・・・)情報
東福寺の塔頭・天得院(アクセス・見どころ・・・)情報

【東福寺・塔頭 マップ・地図】

【東福寺 歴史・簡単概要】
東福寺(とうふくじ)は924年(延長2年)に公卿・藤原忠平(ふじわらのただひら)が創建した藤原氏の氏寺・法性寺(ほっしょうじ)があった場所です。東福寺は1236年(嘉禎2年)に摂政・九条道家(くじょうみちいえ)が高さ5丈(約15メートル)の釈迦像を安置する寺院を創建することを発願し、聖一国師(しょういちこくし)・円爾(えんに)を開山として仏殿を建立したのが起源です。仏殿の建立には1236年(嘉禎2年)から1255年(建長7年)までの約19年も掛かり、天台・真言・禅の三宗兼学の堂塔も建立されました。東福寺の名称は奈良における最大の寺院である東大寺(とうだいじ)と奈良で最も盛大を極めた興福寺(こうふくじ)から1字ずつ取り、東福寺となりました。ただ1319年(元応元年)の火災で釈迦像は焼失し、1334年(建武元年)・1336年(延元元年)の火災によって伽藍の大部分を焼失しました。その後1346年(貞和3年)に関白・一条経道(いちじょうつねみち)が仏殿を再建したが、1881年(明治14年)の火災によって仏殿などが焼失しました。なお本堂(仏殿兼法堂)は1917年(大正6年)から再建が始まり、1934年(昭和9年)に完成しました。
東福寺は臨済宗東福寺派の大本山です。
*参考・・・東福寺(アクセス・歴史・・・)ホームページ東福寺(アクセス・歴史・・・)wikipedia

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【芬陀院 歴史・簡単概要】
芬陀院(ふんだいん)・雪舟寺は元亨年間(1321年~1323年)に関白・一条経通(いちじょうつねみち)が父・内経(うちつね)の為に東福寺(とうふくじ)を開山した聖一国師(しょういちこくし)・円爾(えんに)の法孫で、東福寺27世・定山祖禅(じょうざんそぜん)を開山として創建しました。芬陀院の名称は内経の法号・芬陀利華院に由来し、芬陀院は以来摂関家・一条家の菩提寺になりました。その後荒廃し、元禄年間(1688年~1704年)に公卿・一条兼輝(いちじょうかねてる)が再興したが、1755年(宝暦5年)の火災に見舞われ、その後1778年(安永7年)に第116代・桃園天皇の皇后で、第118代・後桃園天皇の母である恭礼門院(きょうらいもんいん・一条富子)の旧殿が移されて再建されました。
芬陀院は臨済宗東福寺派大本山・東福寺の塔頭です。
*参考・・・芬陀院芬陀院(アクセス・歴史・・・)wikipedia

【光明院 歴史・簡単概要】
光明院(こうみょういん)・苔の寺は1391年(明徳2年)に東福寺70世住持である明祖禅師・金山明昶(きんざんみんしょう)が創建したと言われています。明治維新後の廃仏毀釈よって荒廃し、1911年(明治44年)に横幕滴泉(よこまくてきせん)が入寺して再興しました。横幕滴泉は20年以上に渡って托鉢を続け、現在の本堂を建立したそうです。その後造園家・重森三玲が(しげもりみれい)が方丈前に池泉式枯山水庭園・波心庭(波心の庭)、茶室・蘿月庵(らげつあん)の入り口に雲嶺庭を作庭しました。
光明院は臨済宗東福寺派大本山・東福寺の塔頭です。
*参考・・・光明院

【同聚院 歴史・簡単概要】
同聚院(どうじゅいん)・じゅうまん不動さんは関白・藤原忠平(ふじわらのただひら)が建立した法性寺(ほっしょうじ)・五大堂があった場所です。同聚院は1444年(文安元年)文渓元作(ぶんけいげんさく)が師である東福寺第129世・琴江令薫(きんこうれいこん)の菩提を弔う為に創建しました。なお東福寺は1236年(嘉禎2年)摂政・九条道家が高さ5丈の釈迦像を安置する寺院を建立することを発願したのが起源です。
同聚院は臨済宗東福寺派大本山・東福寺の塔頭です。
*参考・・・同聚院

【霊雲院 歴史・簡単概要】
霊雲院(れいうんいん)は1390年(明徳元年)に東福寺80世・岐陽方秀(ぎょうようほうしゅう)が創建したと言われています。岐陽方秀は東福寺80世だけでなく、天龍寺第64世・南禅寺第96世も歴任し、1394年(明徳4年)に遣明船が持ち帰った四書・詩経集伝などを初めて注釈を加えて講義したとも言われています。霊雲院は当初は不二庵(坊)と言われていたが、1473年(文明5年)に名称が霊雲院に改められました。なお東福寺は1236年(嘉禎2年)摂政・九条道家が高さ5丈の釈迦像を安置する寺院を建立することを発願したのが起源です。
霊雲院は臨済宗東福寺派大本山・東福寺の塔頭です。
*参考・・・霊雲院霊雲院(アクセス・歴史・・・)wikipedia

【龍吟庵 歴史・簡単概要】
龍吟庵(りょうぎんあん)・竜吟庵は1291年(正応4年)に東福寺3世住持である大明国師(だいみょうこくし)・無関普門(むかんふもん)が建てた住房跡です。無関普門は1251年(建長3年)に宋(中国)に渡り、1262年(弘長2年)に帰国し、1262年(弘安4年)に関白・一条実経(いちじょうさねつね)の招きによって東福寺第3世住持になり、1291年(正応4年)12月に亡くなりました。龍吟庵は東福寺の塔頭の中で、第1位に置かれています。なお龍吟庵は本尊・宝冠釈迦如来を安置しています。
龍吟庵は臨済宗東福寺派大本山・東福寺の塔頭です。
*参考・・・龍吟庵龍吟庵(アクセス・歴史・・・)wikipedia

【天得院 歴史・簡単概要】
天得院(てんとくいん)は正平年間(1346年~1370年)に東福寺第30世住持・無夢一清禅師(むむいっせいぜんじ)が創建した5塔頭のひとつが起源です。その後衰微し、大機慧雄禅師(だいきえゆうぜんじ)が再興し、1614年(慶長19年)には東福寺第227世・文英清韓(ぶんえいせいかん)が住持になりました。文英清韓は関白・豊臣秀吉の子・秀頼の要請により、方広寺(ほうこうじ)の梵鐘の鐘銘を撰文したが、鐘銘中に「国家安康」・「君臣豊楽」の文字があり、江戸幕府初代将軍・徳川家康を引き裂き、豊臣家の繁栄を願うとして、家康の怒りを招いて取り壊されました。その後1789年(天明9年)に伽藍が再建され、1868年(明治元年)には東福寺山内塔頭・本成寺を合寺しました。
天得院は臨済宗東福寺派大本山・東福寺の塔頭です。
*参考・・・天得院(アクセス・歴史・・・)ホームページ

【東福寺 備考】
*イベントの情報(日程・場所・内容など)は必ず主催者に確認して下さい。当サイトの情報はあくまで参考情報です。イベントの内容などが変更になっている場合もあります。
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