東福寺見所ランキング-修学旅行・観光で見学必見
東福寺見所ランキング-三門・禅堂・紅葉・通天橋・東司
東福寺の見所ランキングを紹介します。見所は1位が足利義持が再建した高さ約22メートルの三門(国宝)、2位が南北朝時代に再建された禅堂(重要文化財)、3位が京都屈指の紅葉(通天モミジ)と東福寺三名橋の通天橋です。なお国宝・重要文化財など修学旅行・観光で見るべき名所を紹介しています。(詳細下記参照)
- 1位-室町幕府4代将軍・足利義持が再建した三門(国宝)
- 2位-南北朝時代に再建された日本最古の禅堂(重要文化財)
- 3位-京都屈指の紅葉(通天モミジ)・東福寺三名橋の通天橋
- 番外-室町時代前期に建立された東司(重要文化財)
【修学旅行・観光で絶対に見学すべき三門(国宝)】
三門は室町時代前期に室町幕府4代将軍・足利義持が再建し、600年以上の歴史があります。三門は禅寺の三門として日本最古と言われています。三門は東福寺最大の名所です。なお三門は1897年(明治30年)12月28日に国の重要文化財、1952年(昭和27年)3月29日に国宝に指定されました。
- >概略-三門は高さ約22メートルで、楼上から洛南(京都市南部)一帯が一望できます。ちなみに三門は悟りに至る三つの関門(空門(くうもん)・無相門(むそうもん)・無願門(むがんもん))を表しています。三門は近づくと高さ・大きさを実感することができます。三門は1405年(応永12年)に再建され、禅寺の三門としては日本最古とも言われています。なお東福寺では例年3月にお釈迦さまの遺徳追慕と報恩の為に涅槃会(ねはんえ)が行われ、三門が特別公開されます。(要確認)涅槃会では通常非公開とされ、京都三大涅槃図に数えられる縦約12メートル・横約6メートルの涅槃図(ねはんず)も本堂に掲げられて公開されます。(要確認)
- 歴史ポイント-三門は室町時代前期の1405年(応永12年)に室町幕府4代将軍・足利義持(あしかがよしもち)が再建しました。なお三門は桃山時代の1596年(慶長元年)に慶長伏見地震(けいちょうふしみじしん)で損傷し、関白・豊臣秀吉(とよとみひでよし)が四隅に柱を取り付けて補修し、柱は太閤柱(たいこうばしら)とも言われています。
- 重要人物-足利義持は1386年(元中3年・至徳)に室町幕府第3代将軍・足利義満(あしかがよしみつ)の子として生まれました。兄がいたが、嫡男として扱われました。1394年(応永元年)に父から将軍職を譲られ、室町幕府4代将軍に就任したが、政務は父が執りました。その後父と不仲であり、父が弟・義嗣(よしつぐ)を偏愛したことから一時地位が危ぶまれました。1408年(応永15年)に父が亡くなり、1418年(応永25年)に上杉禅秀の乱(うえすぎぜんしゅうのらん)に加担した弟・義嗣を殺害しました。1419年(応永26年)に父が進めた日明貿易の明(中国)との国交を断絶し、父に太上法皇の称号を贈ろうとする朝議を辞しました。1423年(応永30年)に嫡子・義量(よしかず)に将軍職を譲て足利氏の菩提寺・等持院(とうじいん)で出家しました。ただ1425年(応永32年)に義量が急死すると再び政務を執りました。足利義持は1428年(応永35年)に亡くなりました。
- 構造-三門は禅宗様(ぜんしゅうよう)で、柱・梁(はり)・屋根などに大仏様(だいぶつよう・天竺様(てんじゅくよう))、上層屋根の垂木(たるき)の配置に和様(わよう)が見られます。三門は五間三戸二階二重門(ごけんさんこにかいにじゅうもん)で、入母屋造(いりもやづくり)の本瓦葺(ほんがわらぶき)です。両脇の山廊は切妻造(きりづまづくり)の本瓦葺です。
- 仏像-三門は二階に釈迦如来(しゃかにょらい)・十六羅漢(じゅうろくらかん)を安置しています。ちなみに三門では二階に臨済宗(りんざいしゅう)の画僧・吉山明兆(きつさんみんちょう・兆殿司(ちょうでんす))が極彩色で描いた半人半鳥の迦陵頻伽(かりょうびんが)などの壁画があります。また三門には足利義持が書いた扁額「妙雲閣(みょううんかく)」も掲げられています。
【修学旅行・観光で見学すべき禅堂(重要文化財)】
禅堂は南北朝時代に再建され、650年以上の歴史があります。禅堂は日本最古の禅堂と言われています。なお禅堂は1898年(明治31年)12月28日に国の重要文化財に指定されました。
- 見所概略-禅堂は南北約42メートル・東西約22メートルで、日本最大の禅堂とも言われています。禅堂ではかつて400人以上の僧侶が集団生活を行いながら修行していたと言われています。禅堂は近づくと大きさを実感することができます。禅堂は南北朝時代に再建され、日本最古の禅堂と言われています。なお禅堂では毎週日曜日6:30から日曜坐禅会(ざぜんかい)が行われています。(要確認)
- 歴史ポイント-禅堂は南北朝時代の1347年(正平2年・貞和3年)に再建されました。
- 構造-禅堂は切妻造の本瓦葺で、一見二階建てに見える一重もこし(裳階)付です。
- 名称-禅堂にはかつて聖一国師・円爾の師である南宋(中国)の禅僧・無準師範(ぶじゅんしばん)の扁額「選仏場(せんぶつじょう)」が掲げられ、選仏堂(せんぶつじょう)とも言われています。また禅堂では僧侶が修業し、僧堂とも言われました。
【修学旅行・観光で見逃せない紅葉(通天モミジ)・通天橋】
東福寺は京都を代表する紅葉名所とされています。東福寺では近年から紅葉シーズンにライトアップも行っています。
- 見所概略-東福寺では渓谷・洗玉澗(せんぎょくかん)を中心に鎌倉時代の1241年(仁治2年)に聖一国師・円爾が宋(中国)から持ち帰ったと言われる通天モミジ(唐楓)が約2,000本植えられています。通天モミジは葉先が3つに分かれ、黄金色に色付く珍しさから「秋のすゑ」「洛陽の奇観」とも言われています。通天モミジは名称の由来になっている通天橋から美しい光景を見ることができます。ちなみに通天橋では西側に掛けられている臥雲橋(がうんきょう)から見る光景も美しいと言われています。なお紅葉は例年11月中旬頃から11月下旬頃に見ごろを迎え、東福寺では紅葉が見ごろを迎える時期に拝観時間を通常よりも早める看楓特別拝観が行われています。(要確認)
- 歴史ポイント-通天モミジは1869年(明治2年)に第288世・海州楚棟(かいしゅうそとう)が一度全て伐採しました。なお東福寺はかつて桜の名所だったが、臨済宗の画僧・吉山明兆(兆殿司)が桜見物で遊興の地となることを危惧して伐採し、東福寺には桜の木ほとんど植えられていないそうです。
- 名称-通天モミジの名称は渓谷・洗玉澗に架けられた通天橋に由来しています。なお通天橋は1959年(昭和34年)の台風で崩壊し、1961年(昭和36年)に再建されました。
- 三名橋-東福寺では通天橋・臥雲橋とともに日本百名橋にも選ばれてい偃月橋(えんげつきょう)が三名橋に数えられています。
【室町時代前期に建立された東司(重要文化財)】
東司は室町時代前期に建立され、600年以上の歴史があります。東司は日本最古で、日本最大の禅宗式のトイレと言われています。なお東司は1902年(明治35年)7月31日に国の重要文化財に指定されました。
- 見所概略-東司は三門(国宝)西側で、禅堂(重要文化財)の南側にあるトイレです。東司は中央の通路をはさんで左右に円筒の壺が埋められています。東司は桁行七間(約35メートル)・梁間四間(約14メートル)で、一度に100人が使うことができたことから百雪隠(ひゃくせっちん)・百人便所とも言われ、近付くと大きさを感じることができます。ちなみに北側の禅堂は禅宗寺院で修行僧が起居したり、坐禅を修したりする場所とされ、東司がその近くにあるのかもしれません。東司は浴室・食堂(じきどう)とともに私語を謹む三黙堂とされ、用を足すのも修行とされ、手順が事細かに定められていたそうです。
- 歴史ポイント-東司は室町時代前期(1333年~1392年)に建立されました。東司は国内最古・国内最大の東司と言われ、七不思議に数えられています。
- 構造-東司は禅宗様です。東司は切妻造の本瓦葺です。
- 名称-東司には法要などの際に法堂・仏殿の東側に並ぶ東序に属する都寺(つうす)・監寺(かんす)・副寺(ふうす)など僧侶が使用するトイレの意味があり、東浄(とうちん)とも言われています。ちなみに首座(しゅそ)・書記(しょき)・蔵主(ぞうす)などは西側に並び西序(せいじょ)と言われます。
【東福寺 備考】
*参考・・・東福寺(見所・アクセス・・・)ホームページ