知恩院見所ランキング-修学旅行・観光で見学必見
知恩院見所ランキング-三門・御影堂・大鐘楼・梵鐘・勢至堂
知恩院の見所ランキングを紹介します。見所は1位が徳川秀忠の寄進で建立された高さ約24メートルの三門(国宝)、2位が徳川家光の寄進で再建された御影堂(国宝)、3位が大鐘楼(重要文化財)と梵鐘(重要文化財)です。なお国宝・重要文化財など修学旅行・観光で見るべき名所を紹介しています。(詳細下記参照)
- 1位-徳川秀忠の寄進で建立され、400年以上の歴史がある三門(国宝)
- 2位-徳川家光の寄進で再建され、400年近い歴史がある御影堂(国宝)
- 3位-日本三大梵鐘に数えられる梵鐘(重要文化財)を釣る大鐘楼(重要文化財)
- 番外-戦国時代に再建され、500年近い歴史がある勢至堂(重要文化財)
【徳川秀忠の寄進で建立され、400年以上の歴史がある三門(国宝)】
三門は江戸時代前期に江戸幕府2代将軍・徳川秀忠の寄進によって建立され、400年以上の歴史があります。三門は京都三大門に数えられています。三門は知恩院最大の名所です。なお三門は1910年(明治43年)8月29日に国の重要文化財、2002年(平成14年)5月23日に国宝に指定されました。
- 見所概略-三門は高さ約24メートル・幅約50メートルで、日本国内の三門(山門)の中で日本最大とも言われ、屋根瓦が約7万枚も葺かれています。三門は南禅寺(なんぜんじ)の山門・東本願寺(ひがしほんがんじ)の御影堂門とともに京都三大門とも言われています。また南禅寺の山門・山梨の久遠寺(くおんじ)の三門とともに日本三大門とも言われています。三門は近づいて石段の下から見上げると高さ・大きさを実感することができます。ちなみに三門は悟りに至る三つの関門(空門(くうもん)・無相門(むそうもん)・無願門(むがんもん))を表しています。三門周辺には桜の木が植えられ、桜が見ごろを迎える時期に普段と一味違った三門を見ることができます。なお三門は通常非公開だが、例年4月の法然上人の御忌大会(ぎょきだいえ)の際にミッドナイト念仏in御忌が三門楼上(仏堂)内で行われ、一般の参拝者でも参加することができます。(要確認)
- 歴史ポイント-三門は江戸時代前期の1621年(元和7年)に江戸幕府2代将軍・徳川秀忠(とくがわひでただ)の寄進によって建立されました。平成の大修理の際に上層屋根の土居葺板に「元和七年(1621年)」の墨書が発見されました。なお知恩院は1633年(寛永10年)に火災に見舞われたが、三門は経蔵・勢至堂とともに焼失を免れました。
- 重要人物-徳川秀忠は1579年(天正7年)に江戸幕府初代将軍・徳川家康(とくがわいえやす)の三男として生まれました。長兄・松平信康(まつだいらのぶやす)が切腹し、次兄・松平秀康(まつだいらひでやす)が結城氏を継いだことから実質的な世子になりました。1590年(天正18年)に関白・豊臣秀吉(とよとみひでよし)が造営した聚楽第(じゅらくてい)で元服し、豊臣秀吉の偏諱(へんき)を受けて徳川秀忠と名乗るようになり、豊臣姓も与えられました。1595年(文禄4年)に秀吉の養女・江(ごう)を継室としました。1600年(慶長5年)の関ヶ原の戦いで本戦に間に合わず、父から叱責を受けたが、1605年(慶長10年)に将軍職を譲られ、2代将軍になりました。1615年(慶長20年)の大坂夏の陣で豊臣家を滅ぼし、1616年(元和2年)に父が亡くなると将軍親政を開始しました。幕政の整備に努め、徳川氏の世襲的政権を確立し、1623年(元和9年)に嫡男・家光(いえみつ)に将軍職を譲りました。徳川秀忠は1632年(寛永9年)に亡くなりました。
- 構造-三門は禅宗寺院形式の五間三戸二階二重門(ごけんさんこにかいにじゅうもん)で、入母屋造の本瓦葺です。両側に山廊(さんろう)付きです。
- 仏像-三門は上層に釈迦如来(しゃかにょらい)及両脇侍(善財童子(ぜんざいどうじ)・月蓋長者(がっかいちょうじゃ))像(重要文化財)・十六羅漢(じゅうろくらかん)像(重要文化財)などを安置しています。三門は天井・柱・壁などに迦陵頻伽(かりょうびんが)・天女・飛龍などが極彩色で描かれています。また三門には畳二畳以上の大きさがある額「華頂山(かちょうざん)」が掲げられています。
- 七不思議-三門には2つの白木の棺が置かれ、知恩院七不思議に数えられています。白木の棺には三門建立の命を請けて完成させたが、予算超過の責任をとって自刃したと言われる大工の棟梁・五味金右衛門(ごみきんうえもん)夫婦の自作の木像が納められています。
【徳川家光の寄進で再建され、400年近い歴史がある御影堂(国宝)】
御影堂は江戸時代前期に江戸幕府3代将軍・徳川家光の寄進によって再建され、400年近い歴史があります。御影堂は知恩院山内で最大の建物です。なお御影堂は1910年(明治43年)8月29日に国の重要文化財、2002年(平成14年)5月23日に国宝に指定されました。
- 見所概略-御影堂は間口約45メートル・奥行約35メートルの根本道場(本堂)で、大殿(だいでん)と言われる山内最大の建物です。御影堂は近づくと大きさを実感することができます。御影堂は内内陣・内陣・外陣などに分かれ、幅約3メートルの外縁も周囲に巡らされています。外陣には第123代・大正天皇(たいしょうてんのう)宸筆の勅額「明照」が掲げられています。なお御影堂では例年4月の法然上人の御忌大会(ぎょきだいえ)・12月の御身拭式(おみぬぐいしき)などで堂内にお念仏が響き渡ります。
- 歴史ポイント-御影堂は江戸時代前期の1639年(寛永16年)に江戸幕府3代将軍・徳川家光(とくがわいえみつ)の寄進によって再建されました。2011年(平成23年)から半解体による修理が開始され、2019年(令和元年)に竣工し、2020年(令和2年)4月に落慶法要が行われました。御影堂はは平安時代後期の1175年(承安5年)に法然上人が吉水草庵を結んだ場所と言われています。
- 構造-御影堂は外観が和様(わよう)を基調とし、内部に禅宗様(ぜんしゅうよう・唐様(からよう))が取り入れています。御影堂は入母屋造(いりもやづくり)の本瓦葺(ほんがわらぶき)です。正面・背面に向拝(こうはい)付きです。
- 御影-御影堂は内内陣に宗祖・法然上人の御影(みえい)を祀り、御影堂と言われています。
- 瓦-御影堂は屋根の中央に完璧ではないことを示す「葺き残しの瓦」が意図的に2枚が積まれています。「葺き残しの瓦」は完成すれると後は壊れていくという「満つれば欠くる世の習い」に由来し、未完成を表しています。
- 七不思議-御影堂は軒下に知恩院七不思議に数えられる忘れ傘があります。
【日本三大梵鐘に数えられる梵鐘(重要文化財)を釣る大鐘楼(重要文化財)】
大鐘楼は江戸時代前期に建立され、350年近い歴史があります。梵鐘は重さ約70トンで、日本三大梵鐘に数えられています。なお大鐘楼は1997年(平成9年)5月29日に国の重要文化財に指定されました。
- 見所概略-大鐘楼は四方の主柱と8本の支柱で、日本有数の大鐘である高さ約3.3メートル・口径約2.8メートル・重さ約70トンの梵鐘を釣っています。ちなみに梵鐘は奈良・東大寺(とうだいじ)の奈良次郎(ならじろう)とも言われる梵鐘・方広寺(ほうこうじ)の国家安康(こっかあんこう)の鐘とも言われる梵鐘とともに日本三大梵鐘と言われています。大鐘楼は12月31日の除夜の鐘と4月の法然上人の御忌大会(ぎょきだいえ)の時にだけ撞かれます。ただ除夜の鐘の前(12月下旬)には本番さながらに梵鐘の試し撞きも行われます。ちなみに梵鐘は日本最大級の大きさの為、親綱1人・子綱16人の僧侶が撞く特殊な方法で撞かれます。なお除夜の鐘は年末のテレビ番組で度々紹介されているそうです。
- 歴史ポイント-大鐘楼は江戸時代前期の1678年(延宝6年)に建立されました。梵鐘は江戸時代前期の1636年(寛永13年)に鋳造されました。
構造-大鐘楼は入母屋造の本瓦葺です。
【戦国時代に再建され、500年近い歴史がある勢至堂(重要文化財)】
勢至堂は戦国時代(室町時代後期)に再建され、500年近い歴史があります。勢至堂は知恩院山内で最古の建物と言われています。なお勢至堂は1899年(明治32年)4月5日に国の重要文化財に指定されました。
- 見所概略-勢至堂は境内東側で、急な石段を上った小高い場所(上段)に建立され、山内でもひときわ静穏な空気に包まれているとも言われています。勢至堂は桁行七間(約21メートル)・梁間七間(約20メートル)です。勢至堂は近付くと大きさを感じることができます。勢至堂は法然上人の住房・大谷禅房があった場所で、知恩院発祥の地とされています。また勢至堂は法然上人終焉の本地の堂ともされ、本地堂(ほんじどう)とも言われています。勢至堂は歴史を感じることができます。勢至堂には第105代・後奈良天皇(ごならてんのう)宸翰の額「知恩教院(ちおんきょういん)」が掲げられ、知恩院の名称の由来にもなっています。
- 歴史ポイント-勢至堂は戦国時代(室町時代後期)の1530年(享禄3年)に再建され、山内最古の建物と言われています。
- 構造-勢至堂は入母屋造の本瓦葺です。
- 仏像-勢至堂は内陣に鎌倉時代に造仏され、法然上人の本地身(ほんじしん)とされる本尊・勢至菩薩(せいしぼさつ)坐像(重要文化財)を安置しています。なお法然上人は勢至菩薩の生まれ変わりとされ、幼名を「勢至丸」と言いました。
- 山亭-勢至堂には客殿として山亭も建てられています。山亭は江戸時代中期の1759年(宝暦年)に第112代・霊元天皇(れいげんてんのう)の第13皇女・吉子内親王(よしこないしんのう)の宮殿を賜9って建立されました。山亭庭園は江戸時代後期に枯山水庭園として作庭されました。山亭庭園は北西角に三尊石(阿弥陀三尊(あみださんぞん))が配され、京都市内を一望することができます。
【知恩院 備考】
*参考・・・知恩院(見所・アクセス・・・)ホームページ