醍醐寺見所ランキング-修学旅行・観光で必見

醍醐寺見どころ

醍醐寺の国宝・重要文化財などの見所紹介

醍醐寺の見所ランキングを紹介します。見所は1位が京都最古の木造建造物と言われる高さ約38メートルの五重塔(国宝)、2位が豊臣秀吉が和歌山から移築した金堂(国宝)、3位が日本さくら名所100選に選ばれる桜です。番外は西大門です。(詳細下記参照)

醍醐寺見どころ一覧

【平安時代に完成し、1,050年以上の歴史がある五重塔(国宝)の見所】

  • 概略-五重塔は平安時代(794年~1185年)中期に完成し、その後焼失などを免れたことから1,050年以上の歴史があります。五重塔は京都最古の木造建造物と言われています。五重塔は高さ約38メートルの仏塔で、高さ約54.8メートルの東寺(とうじ)の五重塔(国宝)、高さ約50.8メートルの奈良・興福寺(こうふくじ)の五重塔(国宝)、高さ約38.8メートルの法観寺(ほうかんじ)の五重塔(重要文化財)に次いで、日本国内で4番目に高い五重塔です。五重塔は間近に近づいて見上げると言葉を失うほどの圧倒的な高さを実感することができます。五重塔は屋根をじっくり見ると屋根の大きさが初層から上層に行くほど少しずつ小さくなっていることが分かるかもしれません。なお五重塔は例年8月5日に行われている醍醐山万灯会(だいごさんまんとうえ)で金堂とともにライトアップされ、昼間と違った幻想的で、神秘的な姿を見ることができます。
  • 歴史-五重塔は平安時代(794年~1185年)中期の936年(承平6年)に第61代・朱雀天皇(すざくてんのう)が着工し、951年(天暦5年)に完成したとも言われています。五重塔は京都最古の木造建造物で、京都最古の五重塔とも言われています。京都では室町時代(1336年~1573年)中期に約10年に渡って応仁の乱(おうにんのらん)が戦われ、焼失しなかった建物は貴重な文化財になっています。その後安土桃山時代(1573年~1603年)の1585年(天正13年)に伏見大地震で損傷し、1598年(慶長3年)に関白・豊臣秀吉(とよとみひでよし)の援助によって修理されました。豊臣秀吉は1597年(慶長3年)3月にお花見に来て、五重塔修理の為に千五百石を寄進し、同年12月から修理が開始され、翌1598年(慶長3年)3月6日に修理が完了しました。ちなみに五重塔は千年を越える歴史の中で、震度6以上の地震に4度見舞われたと言われています。また1950年(昭和25年)のジェーン台風など台風にも度々見舞われたとも言われています。なお五重塔は1897年(明治30年)12月28日に国の重要文化財、1951年(昭和26年)6月9日に国宝に指定されました。
  • 構造-五重塔は高さ約38メートルで、本瓦葺です。五重塔は天に突き出した相輪(そうりん)が全体の30パーセント以上を占める約12.8メートルもあります。五重塔は屋根の逓減率が最も美しく見えると言われる黄金比の0.61で、理想的で、圧巻のプロポーションと言われています。ちなみに一般的に五重塔は歴史が古いほど初層から五層までの逓減率が大きく、五層の屋根が初層の屋根と比較するとより小さくなっています。日本最古の五重塔である奈良・法隆寺(ほうりゅうじ)の五重塔は逓減率が0.5になっています。
  • 壁画-五重塔は初層に真言密教の教主である大日如来(だいにちにょらい)が説く真理や悟りの境地を表現した両界曼荼羅(りょうかいまんだら)・真言八祖(しんごんはっそ)などが描かれ、五重塔とは別に国宝に指定されています。空海像は日本最古の空海像とも言われています。
スポンサーリンク(Sponsor Link)

【平安時代に建立され、800年以上の歴史がある金堂(国宝)の見所】

  • 概略-金堂は平安時代(1086年~1184年)後期に建立された満願寺の本堂を前身とし、関白・豊臣秀吉による移築後に焼失などを免れたことから800年以上の歴史があります。金堂は醍醐寺の本堂です。金堂は正面が約21メートル・奥行きが約17メートルあり、近付くとその圧倒的な大きさを実感できます。金堂はその周囲を回るのもおすすめです。金堂は和歌山(紀州)・満願寺(まんがんじ)から醍醐寺に移築が開始された1598年(慶長3年)に移築を発願した関白・豊臣秀吉が醍醐の花見を催し、同年8月18日に豊臣秀吉が亡くなりました。金堂はその歴史を感じることができる建物です。ちなみに満願寺は12世紀後半(平安時代後期~鎌倉時代初期)に後白河法皇(第77代・後白河天皇(ごしらかわてんのん))の御願寺(ごがんじ)として創建されたと言われています。なお金堂は例年8月5日に行われている醍醐山万灯会で五重塔とともにライトアップされ、金堂前で精霊供養法要(しょうりょうくようほうよう)・お施餓鬼供養(おせがきくよう)が行なわれます。醍醐山万灯会では山内に1千を超えるとも言われている置き灯篭や提灯に明かりが灯され、幽玄な情景に包まれます。
  • 歴史-金堂は平安時代(794年~1185年)後期に紀州国湯浅(和歌山県有田郡湯浅町)・満願寺(まんがんじ)の本堂として建立され、鎌倉時代(1185年~1333年)に改修されました。その後安土桃山時代(1337年~1392年)に豊臣秀吉が紀州征伐(きしゅうせいばつ)を行った際に焼き討ちされる予定だったが、第80代座主・義演僧正(ぎえんそうじょう)が応仁の乱で焼失した金堂の再建を望んだことから移築されることになりました。金堂は豊臣秀吉没後の1600年(慶長5年)に落慶しました。ちなみに金堂はかつて平安時代(794年~1185年)中期の926年(延長4年)に建立され、釈迦堂(しゃかどう)と言われていたが、鎌倉時代(1185年~1333年)後期の1295年(永仁3年)と室町時代(1336年~1573年)中期の1470年(文明2年)の応仁の乱で2度焼失しました。なお金堂は1908年(明治41年)8月1日に国の重要文化財、1954年(昭和29年)3月20日に国宝に指定されました。
  • 構造-金堂は入母屋造(いりもやづくり)の本瓦葺(ほんがわらぶき)です。
  • 仏像-金堂は醍醐寺の本尊・薬師三尊(やくしさんぞん)像(重要文化財)を安置しています。

【日本さくら名所100選に選ばれている桜の見所】

  • 概略-醍醐寺では桃山時代(1583年~1603年)に豊臣秀吉が自身最後のお花見となる醍醐の花見を行ったことで知られています。桜は京都府内で、京都市の嵐山(あらしやま)、京都市の仁和寺御室桜(にんなじおむろざくら)、笠置町の笠置山自然公園(かさぎやましぜんこうえん)とともに日本さくら名所100選に選ばれる京都屈指の桜名所です。山内を散策すると言葉にならないほどの桜の美しさに圧倒されます。桜と五重塔の構図は圧巻で、一緒に眺めたり、写真撮影したりするのがおすすめです。ちなみに醍醐寺とその塔頭・三宝院では桃山時代(1583年~1603年)の1598年(慶長3年)3月15日に関白・豊臣秀吉が豊臣秀頼・北政所(きたのまんどころ)・淀殿(よどどの)・諸大名など約1,300人とともに1日限りの醍醐の花見を行いました。ちなみに豊臣秀吉は同年9月18日に62歳で伏見城内で亡くなっており、最後の花見だったとも言われています。なお醍醐寺では例年4月の第2日曜日に豊臣秀吉などに扮して境内を練り歩く豊太閤花見行列が行われています。豊太閤花見行列では歴史と時代絵巻を感じることができます。
  • 歴史-醍醐寺では1597年(慶長3年)3月に豊臣秀吉がお花見を行い、翌1598年(慶長3年)2月13日に豊臣秀吉の命によって700本の桜の木が移植され、同年3月15日に醍醐の花見を行いました。豊臣秀吉は「あらためて 名をかへてみむ 深雪山 うづもる花も あらはれにけり」、淀殿は「花もまた 君のためにと 咲きいでて 世にならびなき 春にあふらし」と詠みました。
  • 品種-醍醐寺にはソメイヨシノ(染井吉野)・シダレザクラ(枝垂桜)・ヤマザクラ(山桜)など約1,000本の桜の木が植えられ、例年4月上旬頃に見ごろを迎えます。醍醐大しだれ桜は樹齢180年です。

【豊臣秀頼が再建し、400年以上の歴史がある西大門の見所】

  • 概略-西大門は江戸時代(1603年~1868年)初期に豊臣秀頼が再建し、400年以上の歴史があります。安置されている仁王像は800年近い歴史があります。西大門は下醍醐の入口に建立され、受付になっています。西大門は近付くとその大きさが実感できます。西大門に通じる参道は桜馬場と言われ、ひときわ目を引く塔頭(たちゅう)・三宝院(さんぶいん)の唐門(国宝)が建立されています。桜馬場では例年4月の第2日曜日に豊太閤花見行列(ほうたいこうはなみぎょうれつ)が行われています。
  • 歴史-西大門は江戸時代(1603年~1868年)初期の1605年(慶長10年)に関白・豊臣秀吉の子・豊臣秀頼(とよとみひでより)が再建しました。
  • 構造-西大門は入母屋造の本瓦葺です。
  • 仏像-西大門にはかつて南大門に安置されていた仁王像(重要文化財)を安置しています。仁王像は平安時代(794年~1185年)後期の1134年(長承3年)に仏師・勢増と仁増が造仏しました。仁王像は1974年(昭和49年)に修理が行われ、阿形像の胎内銘(木札)から造仏年・仏師などが分かりました。

【醍醐寺見所 備考】
*参考・・・醍醐寺(見所・アクセス・・・)ホームページ

関連記事

京都観光おすすめ

  1. 錦市場(Nishiki Market)
  2. 竹林の道(Bamboo Forest Path)
  3. 嵐山
ページ上部へ戻る