高台寺(圓徳院・月真院・岡林院・春光院)

高台寺(Kodai-ji Temple)

高台寺

高台寺を観光するなら歴史的に関係が深い高台寺の塔頭である圓徳院(えんとくいん)・月真院(げっしんいん)・岡林院(こうりんいん)・春光院(しゅんこういん)も一緒に回るのもいいかもしれません。ただ月真院・岡林院・春光院は通常非公開の為、拝観には注意が必要です。なお高台寺では燈明会(とうみょうえ)などが行われ、行事も一緒に見るのもいいかもしれません。

【高台寺・塔頭 基本情報】
京都・高台寺(アクセス・見どころ・歴史概要・・・)情報
高台寺の塔頭・圓徳院(アクセス・見どころ・歴史概要・・・)情報
高台寺の塔頭・月真院(アクセス・見どころ・歴史概要・・・)情報
高台寺の塔頭・岡林院(アクセス・見どころ・歴史概要・・・)情報
高台寺の塔頭・春光院(アクセス・見どころ・歴史概要・・・)情報

【高台寺・塔頭 マップ・地図】

【高台寺 歴史・簡単概要】
高台寺(こうだいじ)は1606年(慶長11年)に関白・豊臣秀吉の正室・北政所(ねね)が1598年(慶長3年)に亡くなった秀吉の菩提を弔う為、曹洞宗の僧・弓箴善彊(きゅうしんぜんきょう)を開山として創建しました。北政所は当初実母・朝日局(吉子)が弔われている菩提寺・康徳寺(こうとくじ)に弔うとしたが、手狭だったことから岩栖院(がんせいいん)を移転させ、康徳寺を移して新たに高台寺を創建しました。北政所は門前に伏見城の化粧御殿などを移して屋敷を構え、晩年の19年間を過ごして亡くなり、その後甥である備中足守藩第2代藩主・木下利房(きのしたとしふさ)が塔頭・圓徳院(えんとくい)を創建しました。高台寺の名称は北政所が落飾後の1603年(慶長8年)に第107代・後陽成天皇から賜った院号・高台院湖月心尼(高台院快陽心尼)に由来しています。その後1624年(寛永元年)に臨済宗・建仁寺(けんにんじ)から建仁寺295世・三江紹益(さんこうじょうえき)を招き、曹洞宗から臨済宗に改めました。
高台寺は臨済宗建仁寺派の寺院です。
*参考・・・京都・高台寺(アクセス・マップ・歴史・見どころ・・・)ホームページ

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【圓徳院 歴史・簡単概要】
圓徳院(えんとくいん)・円徳院は関白・豊臣秀吉の正室・北政所(ねね)が秀吉の菩提を弔う為に高台寺(こうだいじ)創建を発願し、1605年(慶長10年)に伏見城の化粧御殿とその前庭を移して住したのが起源です。高台寺は1606年(慶長11年)に弓箴善彊(きゅうしんぜんきょう)を開山として創建されました。北政所は1624年(寛永元年)に亡くなるまでの19年間を化粧御殿で過ごし、北政所が亡くなると甥である備中足守藩第2代藩主・木下利房(きのしたとしふさ)が化粧御殿を譲り受けて永興院と号しました。1632年(寛永9年)に木下利房が建仁寺295世・三江紹益(さんこうじょうえき)を開基として高台寺の塔頭寺院に改め、木下家の菩提寺にしました。圓徳院の名称は木下利房の院号・圓徳院に由来しています。
圓徳院は臨済宗建仁寺派・高台寺の塔頭です。
*参考・・・圓徳院(アクセス・マップ・歴史・見どころ・・・)ホームページ圓徳院(アクセス・マップ・歴史・見どころ・・・)wikipedia

【月真院 歴史・簡単概要】
月真院(げっしんいん)は1616年(元和2年)に関白・豊臣秀吉の正室・北政所(ねね)の従弟(いとこ)で、臨済宗の僧・久林玄昌(きゅうりんげんしょう)が石見津和野藩初代藩主・亀井政矩(かめいまさのり)の保護の下で創建し、亀井家の菩提寺になりました。なお亀井政矩は鹿野藩初代藩主・亀井茲矩(かめいこれのり)の次男で、江戸幕府初代将軍・徳川家康に仕えました。政矩は1619年(元和5年)頃から病気になり、親しかった北政所に会う途中に伏見で落馬し、これが元で30歳で亡くなったそうです。ちなみに高台寺は政矩の墓所のひとつになっています。
月真院は臨済宗建仁寺派・高台寺の塔頭です。

【岡林院 歴史・簡単概要】
岡林院(こうりんいん)は1608年(慶長13年)に関白・豊臣秀吉の正室・北政所(ねね)の従弟(いとこ)で、臨済宗の僧・久林玄昌(きゅうりんげんしょう)が創建しました。ちなみに岡林院は高台寺(こうだいじ)の塔頭である春光院(しゅんこういん)・月真院(げっしんいん)・圓徳院(えんとくいん)の中で最も早く創建されました。その後1616年(元和2年)に建仁寺295世・三江紹益(さんこうじょうえき)が中興したとも言われています。なお三江紹益は1606年(慶長11年)に建仁寺に入山して建仁寺295世になり、1632年(寛永9年)に高台寺を中興し、曹洞宗から臨済宗に改めました。
高台寺は臨済宗建仁寺派・高台寺の塔頭です。

【春光院 歴史・簡単概要】
春光院(しゅんこういん)・春光禅院は1648年(慶安元年)に関白・豊臣秀吉の正室・北政所(ねね)の甥・木下勝俊(きのしたかつとし)が娘で、公家・阿野公業(あのきんなり)の妻・春光院万花紹三(しゅんこういんばんかじょうさん)を弔う為に創建したと言われています。なお木下勝俊は木下家定(きのしたいえさだ)の嫡男で、秀吉に仕えて小田原征伐などに参陣し、1588年(天正16年)には豊臣姓を賜りました。その後江戸時代に剃髪して東山に隠棲し、高台寺の南隣りに挙白堂(きょはくどう)を営んで長嘯子(ちょうしょうし)と号し、後水尾天皇が勅撰したとも言われている集外三十六歌仙に名を連ねました。ちなみに高台寺が木下勝俊の墓所になっています。
春光院は臨済宗建仁寺派・高台寺の塔頭です。

【高台寺燈明会 歴史・簡単概要】
高台寺燈明会(とうみょうえ)は関白・豊臣秀吉を偲び、8月1日から命日である8月18日(新暦の9月18日)まで参道などに数百張の弔いの提灯が灯されます。ちなみに豊臣秀吉は1537年(天文6年)3月17日(旧暦の2月6日)に織田信長の足軽(百姓)・木下弥右衛門と百姓の娘・なか(天瑞院)との間に生まれ、1554年(天文23年)に織田信長に仕え、1561年(永禄4年)には浅野長勝の養女・北政所(ねね)と恋愛結婚しました。その後戦功を重ねて頭角を現し、1582年(天正10年)に明智光秀が信長に謀反を起こした本能寺の変後、山崎の戦いで光秀を破り、四国・九州・関東・奥羽を平定し、1590年(天正18年)に天下を統一を成し遂げ、1598年(慶長3年)9月18日(旧暦の8月18日)に62歳で伏見城内で亡くなりました。なお燈明会は例年8月1日から18日まで行われています。

【高台寺 備考】
*イベントの情報(日程・場所・内容など)は必ず主催者に確認して下さい。当サイトの情報はあくまで参考情報です。イベントの内容などが変更になっている場合もあります。
高台寺見どころ(霊屋・開山堂など)

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