高台寺-修学旅行・観光見所ランキングまとめ

高台寺(Kodai-ji Temple)

高台寺-修学旅行・観光見所ランキング

高台寺見所ランキングを簡単に紹介します。見所は1位が高台寺蒔絵が施され、地下に北政所の遺骸がある霊屋(重要文化財)、2位が小堀遠州が作庭した庭園がある開山堂(重要文化財)、3位が桜・紅葉ライトアップです。なお国宝・重要文化財など修学旅行・観光で見るべき名所を紹介しています。(詳細下記参照)

高台寺見どころ一覧

【1位 霊屋(重要文化財)・北政所の見所】

霊屋は江戸時代初期に北政所が建立し、400年以上の歴史があります。霊屋に安置されている北政所の木像の地下に北政所の遺骸が葬られていると言われています。なお霊屋は1900年(明治33年)4月7日に国の重要文化財に指定されました。
●概略-霊屋は開山堂(重要文化財)東側の一段高い場所に建立されています。霊屋と開山堂は臥龍池(がりょういけ)の上に架けられた全長約60メートルの屋根付きの廊下・階段である臥龍廊(がりょうろう)によって繋がっています。霊屋は関白・豊臣秀吉を祀っている標高約196メートルの阿弥陀ヶ峰(あみだがみね)の豊国廟(ほうこくびょう)に向かって建立されています。霊屋は建立されている方向を確認しながら眺めるのもおすすめです。霊屋は内陣の須弥壇(しゅみだん)や厨子の扉に黒漆の上に金蒔絵(きんまきえ)が施され、高台寺蒔絵と言われています。なお霊屋には絵師・狩野永徳(かのうえいとく)などが描いた絵もあります。
●歴史-霊屋は江戸時代初期の1605年(慶長10年)に北政所が建立しました。霊屋は関白・豊臣秀吉が築城した伏見城の遺構で、湖月堂(こげつどう)とも言われていました。霊屋は1789年(寛政元年)に大方丈などが焼失した火災・1863年(文久3年)に小方丈が焼失した放火で焼失を免れました。
●重要人物-北政所は1548年(天文17年)または1549年(天文18年)に杉原定利(すぎはらさだとし)の次女として生まれました。その後叔母・七曲殿(ななまがりどの)の嫁ぎ先である浅野長勝(あさのながかつ)の養女になり、1561年(永禄4年)に関白・豊臣秀吉(とよとみひでよし)と恋愛結婚しました。秀吉の間に子供がなかったが、加藤清正(かとうきよまさ)・福島正則(ふくしままさのり)など親類縁者を養子や家臣として養育しました。1585年(天正13年)に秀吉が関白になると従三位に叙せられ、「北政所」の称号を許されました。1588年(天正16年)に第107代・後陽成天皇(ごようぜいてんのう)が聚楽第(じゅらくてい)に行幸し、その後従一位に昇叙しました。1598年(慶長3年)に秀吉が亡くなると秀吉の側室・淀殿(よどどの)とともに秀頼(ひでより)を後見し、1603年(慶長8年)に秀頼と徳川家康(とくがわいえやす)の孫・千姫(せんひめ)と結婚すると落飾しました。1606年(慶長11年)に高台寺を創建し、秀吉の菩提(ぼだい)を弔いました。なお北政所は1624年(寛永元年)に亡くなりました。
●構造-霊屋は宝形造(ほうぎょうづくり)の檜皮葺(ひわだぶき)です。正面に向拝(こうはい)・唐破風(からはふ)付きです。
●仏像-霊屋は中央の厨子(ずし)に豊臣秀吉の念持仏(ねんじぶつ)・守り本尊と言われる大随求菩薩(だいずいぐぼさつ)像、右の厨子に豊臣秀吉の坐像、左の厨子に北政所の木像を安置しています。なお北政所の木像の地下約2メートルには北政所の遺骸(いがい)が葬られていると言われています。
●豊国廟-豊臣秀吉は自らの遺命によって阿弥陀ヶ峰に葬られ、山頂に豊国廟、山麓に豊国神社(とよくにじんじゃ)が建立されました。第107代・後陽成天皇(ごようぜいてんのう)から神階・正一位(しょういちい)と神号・豊国大明神(とよくにのだいみょうじん)を賜りました。ただ江戸時代前期の1615年(元和元年)に豊臣氏が滅亡すると江戸幕府初代将軍・徳川家康(とくがわいえやす)によって豊国廟が破壊され、第108代・後水尾天皇(ごみずのおてんのう)の勅許によって神号・豊国大明神が剥奪され、豊国神社が廃絶になりました。なお阿弥陀ヶ峰は奈良時代に僧・行基菩薩(ぎょうきぼさつ)が阿弥陀如来(あみだにょらい)を安置したことに由来し、古くは葬送の地とされていました。

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【2位 開山堂(重要文化財)・北政所の見所】

開山堂は江戸時代初期に北政所が建立し、400年以上の歴史があります。開山堂は元々北政所の持仏堂を起源としています。なお開山堂は1900年(明治33年)4月7日に国の重要文化財に指定されました。
●概略-開山堂は霊屋(重要文化財)西側に建立され、臥龍池の上に架けられた臥龍廊によって繋がっています。開山堂はかつて北政所の養父母だった浅野長勝(あさのながかつ)と妻・七曲殿(ななまがりどの)の持仏堂だったとも、北政所の持仏堂だったとも言われています。1624年(寛永元年)に臨済宗(りんざいしゅう)建仁寺派の大本山・建仁寺(けんにんじ)から高台寺に三江紹益(さんこうじょうえき)を招聘し、曹洞宗(そうとうしゅう)から臨済宗に改め、1650年(慶安3年)に三江紹益が亡くなると開山堂になったと言われています。ちなみに北政所が住した高台院屋敷は1632年(寛永9年)に北政所の甥で、備中足守藩2代藩主・木下利房(きのしたとしふさ)が三江紹益を開山として塔頭・圓徳院に改めました。開山堂周辺には東山を借景に臥龍池・偃月池(えんげつち)を中心とした池泉回遊式庭園(名勝・史跡)が広がっています。
●歴史-開山堂は江戸時代初期の1605年(慶長10年)に北政所が建立し、1625年(寛永2年)に増築されました。
●構造-開山堂は禅宗様(ぜんしゅうよう)です。開山堂は入母屋造(いりもやづくり)の本瓦葺(ほんがわらぶき)です。
●仏像-開山堂は中央に高台寺中興開山・三江紹益像、右に北政所の兄・木下家定(きのしたいえさだ)と妻・雲照院(うんしょういん)像、左に高台寺の普請に尽力した堀直政(ほりなおまさ)像を安置しています。
●天井-開山堂は天井に関白・豊臣秀吉の御座舟(ござぶね)の天井と北政所の御所車(ごしょぐるま)の天井が使われています。また天井には絵師・狩野山楽(かのうさんらく)が描いたと言われている龍図があります。なお豊臣秀吉の御座舟は瀬戸内海で使われていたものと言われています。
●庭園-庭園は茶人・建築家・作庭家で、備中松山藩第2代藩主・小堀遠州(こぼりえんしゅう・小堀政一(こぼりまさかず))が作庭したと言われています。庭園は桜の名所・萩の名所とされ、桜・萩が見ごろを迎える時期には普段と違った庭園を眺めることができます。なお庭園には関白・豊臣秀吉が築城した伏見城から石・樹木が移されたとも言われ、桃山時代を代表する庭園とも言われています。庭園にはかつて東山・菊谷(菊渓)から流水が流れ込み、滝流れが見られたそうです。

【3位 ライトアップ(桜・紅葉)の見所】

高台寺は京都を代表する桜名所・紅葉名所とされ、桜シーズン・紅葉シーズンに幻想的な情景を見ることができます。
●概略-ライトアップは桜が見ごろを迎える時期からゴールデンウィークまでの春、紅葉が見ごろを迎える時期の秋などに行われています。ライトアップでは昼間と違った光景を見ることができます。ちなみに桜が見ごろを迎える時期には方丈前庭・波心庭(はしんてい)の枝垂桜などがライトアップされ、紅葉が見ごろを迎える時期には臥龍廊(がりょうろう)・臥龍池(がりょういけ)などがライトアップされます。なおライトアップではプロジェクションマッピングが行われることもあります。
●桜-高台寺には枝垂桜・山桜など約50本の桜の木が植えられ、例年4月上旬頃に見ごろを迎えます。
高台寺桜ライトアップ
●紅葉-高台寺にはヤマモミジ・イロハモミジなど約1,000本が植えられ、例年11月中旬から11月下旬頃に見ごろを迎えます。
高台寺紅葉ライトアップ

【番外 天満宮・北政所の見所】

天満宮は江戸時代初期に北政所が日頃崇拝していた綱敷天満宮を勧請したと言われ、400年以上の歴史があります。撫で牛も置かれています。
●概略-天満宮は台所坂を登った先に祀られている高台寺の鎮守社(ちんじゅしゃ)です。ちなみに台所坂は北政所が豊臣秀吉の菩提を弔う為に往き来していたと言われています。北政所は高台院屋敷(圓徳院)で晩年を過ごし、終焉の地とも言われています。天満宮には北政所が豊臣秀吉とともに天下統一・出世、そして長生きしたことから学問の神様だけでなく、開運・出世・健康長寿・災難厄除などのご利益があると言われています。天満宮に参拝してご利益を授かるのがおすすめです。また天満宮近くには撫で牛(なでうし)も置かれ、撫で牛を撫でるとご利益が授かれます。なお天満宮に隣接する高台寺札所は高台寺直営の売店で、学業成就のお札・御朱印帳・高台寺蒔絵の夢お守りなどが販売されています。(要確認)
●歴史-天満宮は江戸時代初期の1606年(慶長11年)に北政所が日頃崇拝していた綱敷天満宮(つなしきてんまんぐう)の祭神・菅原道真(すがわらのみちざね)を勧請したと言われています。天満宮は当初、境内の上壇に祀られ、北政所の兄・木下家定が社殿を建立しました。その後参拝者が増えたことから境内の下壇に移され、下河原の高台天神と言われました。明治維新後の神仏分離によって上壇の旧地に戻されたが、2006年(平成18年)の高台寺開創四百年の際に現在の下壇の旧地に戻されました。なお綱敷天満宮は平安時代前期の901年(延喜元年)に菅原道真が大宰府(だざいふ)に左遷された際、博多に上陸した菅原道真の為に船の綱を敷いて御座にしたことに由来するとも言われています。

【高台寺 備考】
ポイントは関白・豊臣秀吉が築城した伏見城です。伏見城は1592年(文禄元年)に関白・豊臣秀吉が伏見指月に築城したが、1596年(慶長元年)の慶長伏見地震で建物が倒壊し、その後木幡山に場所を移して再築城が開始され、1597年(慶長2年)に天守閣が完成し、1598年(慶長3年)に豊臣秀吉が伏見城内で亡くなりました。高台寺創建時には伏見城から建物が移築され、方丈・傘亭・時雨亭・観月台・表門などが建立されました。また伏見城からは北政所化粧御殿とその前庭も移築され、北政所の邸宅・高台院屋敷になりました。高台院屋敷は1624年(寛永元年)に北政所が亡くなるとその後甥・木下利房が三江紹益を開山として塔頭・圓徳院に改めました。圓徳院にあった北政所化粧御殿は1795年(寛政7年)に焼失した高台寺の小方丈として移築されたが、幕末に公武合体派の福井藩藩主・松平慶永(松平春嶽)の宿所になったことから討幕派の放火によって焼失しました。なお高台寺は創建以来、度々火災に見舞われ、創建時の仏殿・方丈などが焼失し、焼失を免れた伽藍は伏見城から移築された傘亭・時雨亭・観月台・表門と霊屋と言われています。
*参考・・・高台寺(見所・アクセス・・・)ホームページ

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