龍安寺歴史見どころ・簡単まとめ(修学旅行)

龍安寺

龍安寺見どころ

龍安寺見どころ・簡単まとめ(修学旅行)。石庭(特別名勝・史跡)は油土塀に囲まれた縦約10メートル・横約25メートルだが、油土塀の高さを変えて広く見えるようにトリックが施されています。15個の石はどこから眺めても必ず1個が他の石に隠れるように配置されています。(龍安寺見どころ下記参照)

【龍安寺 歴史・簡単概要】
龍安寺(りょうあんじ)・竜安寺は平安時代中期の984年(永観元年)に創建され、四円寺(しえんじ(円教寺・円乗寺・円宗寺))に数えられた第64代・円融天皇(えんゆうてんのう)の御願寺(ごがんじ)・円融寺(えんゆうじ)があった場所です。その後左大臣・藤原実能(ふじわらのさねよし)が山荘を営み、徳大寺(とくだいじ)を建立しました。その後1450年(宝徳2年)に室町幕府管領(かんれい)・細川勝元(ほそかわかつもと)が権大納言(ごんだいなごん)・徳大寺公有(とくだいじきんあり)から山荘を譲り受け、妙心寺(みょうしんじ)5世・義天玄詔(ぎてんげんしょう)を開山、玄詔の師である妙心寺4世・日峰宗舜(にっぽうそうしゅん)を勧請開山として創建しました。
龍安寺歴史(起源・・・)

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【龍安寺 石庭】★★★修学旅行見どころ
石庭(方丈庭園)は特別名勝・史跡(1954年(昭和29年)3月20日指定)です。石庭は油土塀(あぶらどべい)に囲まれた縦約10メートル・横約25メートル・面積約75坪の枯山水(かれさんすい)式庭園です。石庭は白砂を敷いて帚目(ほうきめ)を付け、15個の石を一見無造作に配置しています。石庭は寺伝によると室町時代末期に禅僧によって作庭されたとも言われています。また中興された室町時代中期の応仁の乱(1467年(応仁元年)~1477年(文明9年))後に作庭されたとも言われています。なお石庭は水平ではなく、東南の隅が低く、雨水などを排水しやすくなっています。
龍安寺石庭詳細(概略・見どころ・・・)
(龍安寺 石庭・ポイント)
●油土塀は最大高さ50センチの差があり、目の錯覚(遠近法)によって実際よりも広く見えます。ちなみに油土塀は土に菜種油(なたねあぶら)を混ぜて造られています。
●15個の石はどこから眺めても必ず1個の石が他の石に隠れるように意図的に配置され、「不完全さ」を表しているとも言われています。裏山に多い堆積岩(たいせきがん)の一種・チャートも使われています。
●作庭者は明確ではありません。「小太郎・■二郎」と刻まれた石があり、作庭に関係した人物とも言われています。なお作庭者は開山の義天玄承・開基の細川勝元・絵師の相阿弥(そうあみ)・勝元の嫡男の細川政元(ほそかわまさもと)・茶人の金森宗和(かなもりそうわ)などの諸説があり、相阿弥説が長く信じられています。
●石は七石(五石と二石)・五石(三石と二石)・三石の3群に分けられ、「七五三(しちごさん)の庭」とも言われます。また石庭は中国の説話「癸辛雑識(きしんざっしき)・虎の子渡し」から「虎の子渡しの庭」とも言われています。
龍安寺石庭(概略・見どころ・・・)

【龍安寺 庭園】★★修学旅行見どころ
庭園は名勝(1955年(昭和30年)2月3日指定)です。庭園は裏山の衣笠山(きぬがさやま)・朱山(しゅやま)を借景にし、鏡容池(きょうようち)を中心とした池泉回遊式(ちせんかいゆうしき)庭園です。庭園はかつて石庭よりも有名だったそうです。 鏡容池は境内の南側半分を占め、弁天島(べんてんじま)・伏虎島(ふしとらじま)などがあります。なお鏡容池はかつて灌漑(かんがい)用の溜池(ためいけ)で、それを池泉にしたとも言われています。鏡容池はオシドリ(鴛鴦)の名所だったそうです。
(龍安寺 庭園・ポイント)
●鏡容池では弁天島に関白・豊臣秀吉(とよとみひでよし)が鏡容池には霊力があるとして礼拝した弁財天を祀っています。
●鏡容池は平安時代に名池のひとつに数えられ、貴族が龍頭(りょうず)の船を浮かべ、歌舞音曲(かぶおんぎょく)を楽しんでいたそうです。鏡容池は江戸時代中期の1780年(安永9年)の「都名所図会(みやこめいしょずえ)」にも紹介されています。
龍安寺庭園(概略・見どころ・・・)

【龍安寺 方丈(本堂)】★★修学旅行見どころ
方丈(本堂)は重要文化財(1967年(昭和42年)6月15日指定)です。方丈にはかつて狩野派(かのうは)の絵師などが描いた襖絵90面があったが、明治維新後の廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)の際に売却されました。方丈には南画家・皐月鶴翁(さつきかくおう)が1953年(昭和28年)から5年掛かりで描いた龍と北朝鮮の金剛山(こんごうさん)の襖絵が飾られています。方丈は江戸時代後期の1797年(寛政9年)に焼失し、江戸時代初期の1606年(慶長11年)に織田信長(おだのぶなが)の弟・織田信包(おだのぶかね)建立した妙心寺の塔頭・西源院(せいげんいん)の方丈を移して再建されました。なお方丈はこけら葺(こけらぶき)の入母屋造(いりもやづくり)です。
(龍安寺 方丈・ポイント)
●方丈は桁行21.0メートル・梁間18.0メートルです。
●方丈は弥勒菩薩(みろくぼさつ)を安置しています。
●西源院は室町幕府管領・細川勝元が徳大寺家から寺地を得て、清源庵(せいげんあん)を建立したのが起源とも言われています。
龍安寺方丈(概略・見どころ・・・)

【龍安寺 勅使門】★修学旅行見どころ
勅使門(ちょくしもん)は重要文化財(1967年(昭和42年)6月15日指定)です。勅使門だった唐門(からもん)は江戸時代後期の1797年(寛政9年)に火災によってが焼失し、1975年(昭和50年)に妙心寺の塔頭・西源院の唐門を移して勅使門が再建されました。なお勅使門はこけら葺の唐破風(からはふ)です。
(龍安寺 勅使門・ポイント)
●勅使門は1975年(昭和50年)に英国・エリザベス女王が来日して訪問した際に使われました。
龍安寺勅使門(概略・見どころ・・・)

【龍安寺 庫裏】★修学旅行見どころ
庫裏(くり)は本来台所だが、玄関としても使われています。庫裏は天井まで吹き抜けになっています。庫裏は江戸時代後期の1797年(寛政9年)に火災によって焼失したが、焼失直後に再建されました。
龍安寺庫裏(概略・見どころ・・・)

【龍安寺 山門】
山門は竜安寺前の交差点近くで、鏡容池(きょうようち)の手前にあります。山門は江戸時代中期の1755年(宝暦5年)の洪水によって破損し、その後江戸時代中期に再建されました。なお山門は切妻造(きりづまづくり)です。

【龍安寺 蹲踞(つくばい)】
蹲踞は茶室・蔵六庵(ぞろくあん)の露地にあります。蹲踞は茶室に入る前に手・口を清める手水鉢です。蹲踞には「吾唯足知(われ ただ たるを しる)」と刻まれています。蹲踞は水戸黄門と知られる水戸光圀(とくがわみつくに・徳川光圀)が歴史書「大日本史」を編纂する際に西源院本「太平記(たいへいき)」を借り、お礼として寄進したと言われています。
(龍安寺 蹲踞・ポイント)
●「吾唯足知」は「仏遺教経(ぶつゆいきょうぎょう)」の中の「知足の者は 賎(いや)しと雖(いえど)も富めり 不知足の者は 富めりと雖も賎し」から引用され、「欲望は際限ないから現状を満ち足りたものとする」という禅の格言を表しているそうです。
●蹲踞のレプリカは方丈裏にあります。レプリカは実物大です。
龍安寺蹲踞(概略・見どころ・・・)

【龍安寺 仏殿】
仏殿は方丈の西にあります。仏殿は檜造り(ひのきづくり)です。仏殿の天井には墨と金泥(きんでい)で描かれた龍があります。仏殿は1981年(昭和56年)に再建されました。なお仏殿は通常非公開だが、特別公開されることがあります。
(龍安寺 仏殿・ポイント)
●仏殿の奥には釈迦如来(しゃかにょらい)像を安置する昭堂があります。
龍安寺仏殿(概略・見どころ・・・)

【龍安寺 蔵六庵】
茶室・蔵六庵(ぞろくあん)は住持(じゅうじ)・桂芳全久(けいほうぜんきゅう)の居室だったが、茶人・千宗旦(せんのそうたん)の門人・僖首座(きしゅそ)が茶室に改めました。蔵六庵は1929年(昭和4年)に焼失し、その後再建されました。つての蔵六庵は西源院にあり、明治時代に移されたそうです。なお蔵六庵の露地に「吾唯足知」と刻まれた蹲踞(つくばい)があります。
(龍安寺 蔵六庵・ポイント)
●蔵六庵の名称は頭・尾・2本の手・2本の足、計6つを甲羅に隠す亀を表すそうです。
龍安寺蔵六庵(概略・見どころ・・・)

【龍安寺 龍安寺垣】
龍安寺垣(りょうあんじがき)は参道にある竹垣です。竹垣は割り竹を菱型に組み合わせています。なお竹垣は竹垣の高さが低いのが特徴です。

【龍安寺 侘助椿】★修学旅行見どころ
侘助椿(わびすけつばき)は方丈の東庭にある竹垣の横にあります。侘助椿は樹齢400年以上で、日本最古とも言われています。侘助椿は関白・豊臣秀吉が賞賛したとも言われています。侘助椿は3月上旬から4月上旬に見ごろを迎えます。
龍安寺侘助椿(概略・見どころ・・・)

【龍安寺 紅葉】
紅葉の名所です。山内に、モミジ・桜などが分布し、例年11月中旬から11月下旬頃に見ごろを迎えます。なお紅葉は鏡容池から見るといいと言われています。
龍安寺紅葉見ごろ

【龍安寺 桜】
紅葉だけでなく、桜の名所です。山内に染井吉野・枝垂桜など約400本の桜の木が植えられ、例年4月上旬頃に見ごろを迎えます。なお桜は石庭近くにもあり、染井吉野・枝垂桜が石庭の油土塀越しに咲きます。
龍安寺桜見ごろ

【龍安寺 西の庭】
西の庭は仏殿の西にあります。西の庭は室町時代の庭園を復元した回遊式庭園です。西の庭には管領・細川勝元の木像を祀る細川廟があります。なお西の庭は通常非公開だが、特別公開されることがあります。
龍安寺西の庭(概略・見どころ・・・)

【龍安寺 「太平記」】
「太平記」は重要文化財です。「太平記」は南北朝時代を舞台に南朝初代で、第96代・後醍醐天皇(ごだいごてんのう)の即位から約50年間が描かれた軍記物語です。「太平記」は水戸光圀(徳川光圀)が「大日本史」を編纂する際に借りたことが知られています。「太平記」は1929年(昭和4年)に火災に見舞われ、13冊の内、1冊が焼失し、残りの12冊にも焼損痕が残っています。

【龍安寺 襖絵】
襖絵は明治維新後の廃仏毀釈によって散逸しました。2010年(平成22年)に仙人や子どもを描いた「群仙図(ぐんせんず)」20面の内の4面と琴や囲碁などで遊ぶ人を描いた「琴棋書画図(きんきしょがず)」20面の内の2面、2018年(平成30年)に「芭蕉図(ばしょうず)」9面が買い戻されて帰還しました。なお襖絵は特別公開されることがあります。

【龍安寺 妙心寺】
龍安寺は臨済宗妙心寺派大本山・妙心寺(みょうしんじ)の山外塔頭(さんがいたっちゅう)です。塔頭は祖師や高僧の死後、その弟子が祖師・高僧を慕って寄り沿うように創建した小さな寺院です。
(龍安寺 妙心寺・ポイント)
●妙心寺は南北朝時代の1335年(建武2年)に花園上皇(第95代・花園天皇)が落飾して法皇になり、花園御所を禅寺に改めることを発願したのが起源です。
龍安寺本山・妙心寺(アクセス・・・)

【龍安寺 西源院】
西源院も妙心寺の山外塔頭で、龍安寺山内にあります。西源院は室町幕府管領・細川勝元が徳大寺家から寺地を得て、清源庵(せいげんあん)を建てた後に場所を移したのが起源とも、室町時代後期の1489年(延徳元年)に管領・細川政元が特芳禅傑(とくほうぜんけつ)を請じて創建したのが起源とも言われています。
(龍安寺 西源院・ポイント)
●西源院ではランチなどに七草湯豆腐や京野菜を使ったお浸しや胡麻豆腐などがついた精進料理を楽しむことができます。
西源院(アクセス・・・)

【龍安寺 備考】
龍安寺(アクセス・・・)基本情報
*参考・・・龍安寺(アクセス・・・)ホームページ

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