下鴨神社の見所ランキング-修学旅行・観光で見学必見
下鴨神社の見所は東西本殿・楼門・摂末社・糺の森です。
下鴨神社の見所ランキングを紹介します。見所は1位が幕末の式年造営で建てられた東西本殿(国宝)、2位が江戸時代前期に建立された楼門(重要文化財)、3位が鏡絵馬が知られる河合神社・御手洗社などの摂末社です。なお国宝・重要文化財など修学旅行・観光で見るべき名所を紹介しています。(詳細下記参照)
- 1位-幕末に建て替えられ、150年以上の歴史がある東・西本殿(国宝)
- 2位-江戸時代に建立され、400年近い歴史がある楼門(重要文化財)
- 3位-鏡絵馬で知られる河合神社などの摂末社
- 番外-縄文時代の土器などが発見された糺の森(史跡)
【幕末に建て替えられ、150年以上の歴史がある東・西本殿(国宝)の見所】
東本殿・西本殿は普段直接参拝できません。東本殿・西本殿は幕末、江戸時代(1603年~1868年)末期の式年遷宮で建て替えられ、150年以上の歴史があります。下鴨神社ではかつて21年毎に社殿が建て替えられていました。なお東本殿・西本殿は1901年(明治34年)8月2日に国の重要文化財、1953年(昭和28年)3月31日に国宝に指定されました。
- 概略-東本殿・西本殿は祝詞舎(のっとりや)を挟んで東西に建立されています。東本殿は玉依姫命(たまよりひめのみこと)、西本殿は玉依姫命の父・賀茂建角身命(かもたけつぬみのみこと)を祀っています。玉依姫命は上賀茂神社(かみがもじんじゃ)の祭神・賀茂別雷命(かもわけいかづちのみこと)の母神になります。東本殿には縁結び・安産、西本殿には厄除け・方除け・旅行安全などのご利益があると言われています。
- 歴史-東本殿・西本殿は江戸時代(1603年~1868年)末期の1863年(文久3年)に式年遷宮(しきねんせんぐう)で建て替えられました。東本殿・西本殿はかつて式年遷宮で建て替えられていたが、現在は国宝に指定されていることから桧皮葺(ひわだぶき)の屋根の葺き替えなどの修復のみが行われています。
- 構造-東本殿・西本殿は三間社(さんけんしゃ)流造(ながれづくり)で、檜皮葺(ひわだぶき)です。西本殿西側には印璽社(いんじしゃ)、更にその西隣に叉蔵(あぜくら)が建立さています。
- 式年遷宮-下鴨神社では平安時代(794年~1185年)中期の「鴨社正遷宮也、当社廿年一度・・・定例也」という記録や公家の日記などの記録を抜粋・編集した「百錬抄(ひゃくれんしょう)・鎌倉時代後期成立」により、平安時代中期の1036年(長元9年)を第1回式年遷宮とする21年毎の式年遷宮が始りました。式年遷宮は21年一度の制が原則だが、戦乱・飢饉・災害などで延期され、30年・50年になったこともありました。なお2015年(平成27年)4月27日に第34回式年遷宮の正遷宮が行われました。
【江戸時代に建立され、400年近い歴史がある楼門(重要文化財)の見所】
楼門は江戸時代(1603年~1868年)前期に建立され、400年近い歴史があります。楼門では葵祭・路頭の儀に先立って歩射神事が行われています。なお楼門は1901年(明治34年)8月2日に国の重要文化財に指定されました。
- 概略-楼門は参拝者が本殿(東本殿・西本殿)にお参りする際の出入口です。楼門は舞殿(重要文化財)前に建立されている高さ約13メートルです。例年5月に行われている葵祭(あおいまつり)の前儀である歩射神事(ぶしゃしんじ)では葵祭に先立って勅使(天皇の使者)が通る楼門の屋根を越えるように音の鳴る蟇目鏑(ひきめかぶら)が付けられた鏑矢(かぶらや)を放って楼門の邪気を祓っています。西廻廊には葵祭の際に勅使が剣を解く剣の間があります。なお楼門では夏越神事(なごししんじ)の際に楼門前に茅の輪(ちのわ)が設置され、穢れを祓います。
- 歴史-楼門は江戸時代(1603年~1868年)前期の1628年(寛永5年)頃に建立されました。
- 構造-楼門は三間一戸(さんげんいっこ)で、入母屋造(いりもやづくり)の檜皮葺です。楼門は左右(東西)に東西廻廊(重要文化財)があります。
- 豆知識-楼門は南鳥居・舞殿・中門・本殿(東本殿・西本殿)とともにほぼ一直線に建立されているが、楼門・南鳥居・舞殿・中門は本殿(東本殿・西本殿)に祀られている祭神を直視しないように左右に少しずつ位置をずらして建立されています。
【鏡絵馬で知られる河合神社などの摂末社の見所】
摂末社(摂社・末社)には鏡絵馬で知られる河合神社・みたらし団子の発祥の地と言われる御手洗池の畔に祀られている御手洗社などがあります。
- 概略-下鴨神社には河合神社(かわいじんじゃ)・御手洗社(みたらししゃ・井上社(いのうえしゃ))・相生社・(あいおいのやしろ)・言社(ことしゃ)・御蔭神社(みかげじんじゃ)・出雲井於神社(いづもいのへのじんじゃ)・賀茂波爾神社(かもはにじんじゃ)・三井神社(みついじんじゃ)・日吉神社(ひよしじんじゃ)・愛宕社(あたごしゃ)・稲荷社(いなりしゃ)などの摂末社も祀られています。
- 河合神社-河合神社は女性の守護神で、日本第一の美麗神と言われる玉依姫命を祀り、縁結び・安産などのご利益があるとも言われています。河合神社は手鏡の形をし、化粧品でメイクを施して願いを書く美麗の祈願絵馬・鏡絵馬が知られています。河合神社は平安時代(794年~1185年)前期の858年(天安2年)に下鴨川合神が従五位上(じゅうごいじょう)を授けられたと記され、それ以前から祀られていたと言われています。なお河合神社は随筆「方丈記(ほうじょうき)」を記した鴨長明(かものちょうめい)にゆかりがあります。
- 御手洗社-御手洗社は祓戸四神(速開都姫命・気吹戸主命・速佐須良姫命)の一神で、災厄抜除の女神である瀬織津姫命(せおりつひめのみこと)を祀っています。御手洗社は御手洗池がみたらし団子の発祥の地と言われています。御手洗池では葵祭の前儀である斎王代禊の儀(さいおうだいみそぎのぎ)・無病息災を祈願する御手洗祭(みたらしまつり・足つけ神事)・夏越神事(なごししんじ・矢取りの神事)などが行われています。(要確認)御手洗社は加茂川(鴨川)と高野川の合流地の東岸にあった唐先社が起源とも言われています。
【縄文時代の土器などが発見された糺の森(史跡)の見所】
糺の森は一帯の発掘調査により、縄文時代の土器や弥生時代の住居跡などが発見されています。なお糺の森は1983年(昭和58年)に国の史跡に指定されました。糺の森は京都の自然200選にも選ばれています。
- 概略-糺の森は境内の南部で、賀茂川(鴨川)と高野川の合流点付近にあります。糺の森は東京ドーム約3倍に当たる面積約12万平方メートル(約3万6千坪)もあります。糺の森は散策するとその広さを実感することができます。ちなみに糺の森はかつて面積約495万平方メートル(約150万坪)もあったとも言われています。糺の森にはケヤキ・エノキなどの落葉樹を中心に約40種・約4,700本の樹木が分布し、古代の山背(やましろ・山城)原野の原生樹林と同じ植生を現在も残しているとも言われています。
- 歴史-糺の森は紫式部(むらさきしきぶ)作の「源氏物語(げんじものがたり)・平安時代中期成立」や清少納言(せいしょうなごん)作の「枕草子(まくらのそうし)・平安時代中期成立」に記されています。「源氏物語」須磨の巻では光源氏(ひかるげんじ)が「憂き世をば 今ぞ別るる とどまらぬ 名をば糺の 神にまかせて」と詠みました。なお糺の森では1990年(平成2年)度から発掘調査が行われ、平安時代(794年~1185年)の土壇・平安時代後期の土器などが発見されました。
- 七不思議-糺の森のほぼ中心に位置する切芝・糺の森に多い赤椿・糺の森で新しく発見される連理の賢木が何でも柊・みたらし池(御手洗池)のあわ・泉川の石(烏縄手・烏の縄手)・船ヶ島奈良社旧跡とともに鴨の七不思議に数えられています。
- 豆知識-糺の森ではヒオドシチョウ・ゴマダラチョウ・オオムラサキ・テングチョウ・アオスジアゲハ・タマムシ・ウバタマムシ・オオツカヒメテントウムシ・ミカドテントウ見られました。
【下鴨神社 備考】
*参考・・・下鴨神社(見所・アクセス・・・)ホームページ