大将軍八神社天門祭2024/10/19・20(日程時間・・・)

天門祭

大将軍八神社天門祭

大将軍八神社天門祭(日程・時間・・・)を紹介しています。天門祭は例年10月の第3日曜日に行われています。前日の土曜日には宵宮も行われています。天門祭では江戸時代に造られた神輿・里芋の茎(くき)であるずいきを屋根の上に葺き、ススキを飾ったずいき女神輿・モミジを飾ったこども神輿が氏子地区を巡行します。なお天門祭の宵宮では様々なイベントが行われます。(詳細下記参照)

【大将軍八神社天門祭2024 日程時間(要確認)】
大将軍八神社天門祭2024は2024年(令和6年)10月20日(日曜日)10:00から行われます。13:00から神輿が巡行し、17:00頃に宮入します。なお19日(土曜日)に宵宮が行われ、様々なイベントが行われます。(現在確認中・要注意)
*参考・・・大将軍八神社ホームページ

【大将軍八神社天門祭 アクセス・マップ】
場所・・・京都府京都市上京区一条通御前通西入3丁目西町55
最寄り駅・バス停・・・北野天満宮前(徒歩約5分)、北野白梅町(徒歩約5分)

アクセス路線は次の通りです。(最終更新2014年末・変更の場合あり)
*京都駅から大将軍八神社は50系統(B2乗り場)、101系統(B2乗り場)
*四条河原町からは51系統
*四条烏丸からは55系統、101系統、203系統
*河原町丸太町からは10系統
路線・時刻表・運賃チェック

*嵐電(京福電鉄)北野線の場合、最寄り駅は北野白梅町駅(徒歩約7分)

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【大将軍八神社天門祭 歴史・簡単概要】
大将軍八神社天門祭(てんもんさい)・例祭(れいさい)は一年間を通じて、最も重要な大祭です。天門祭は元々10月23日に行われていたが、現在は神輿の巡行を考慮し、10月の第3日曜日に行われるようになったそうです。
天門祭の宵宮では様々なイベントが行われます。(要確認)宵宮では大蛇餅(おろちもち)を奉納し、無病息災などを祈願します。大蛇餅は大将軍八神社から紙屋川までの約70メートルで、餅を大蛇に見立てて伸ばし、お祓いをした後に氏子に授与されるそうです。なお夜店も立ち並ぶそうです。(要確認)
天門祭では午前中に本殿祭が行われ、午後からは江戸時代に造られた神輿・里芋の茎(くき)であるずいきを屋根の上に葺き、ススキを飾ったずいき女神輿・モミジを飾ったこども神輿が氏子地区を巡行します。御旅所では祭典も行われます。
例祭は神社が毎年行う祭礼の内、最も重要な祭礼とされています。例祭は1年に1回行われることが多いが、神社によっては春・秋など1年に2回行われこともあります。なお例祭は例大祭(れいたいさい)とも言われるが、例大祭は俗称で、正式には大祭式例祭(たいさいしきれいさい)と言うそうです。

*参考・・・大将軍八神社天門祭スケジュール

【大将軍八神社 歴史・簡単概要】
大将軍八神社(だいしょうぐんはちじんじゃ)は794年(延暦13年)の第50代・桓武天皇による平安京遷都の際、王城鎮護の為に陰陽道(おんみょうどう)により、平安京の宮城である大内裏(だいだいり)の北西(戌亥)の天門に星神・大将軍堂を建立したのが起源と言われています。大将軍八神社は当初大将軍堂と称しました。ちなみに大将軍は陰陽道の方位神で、建築・転居などの方角の吉凶を司るそうです。室町時代の皇族・伏見宮貞成親王(ふしみのみやさだふさしんのう)の日記「看聞御記(かんもんにっき)・1416年(応永23年)~1448年(文安5年)」によると南北朝時代から約100年間、八坂神社(祇園社)の管理下にあったと言われています。江戸時代に大将軍村の鎮守社として祀られるようになりました。また江戸時代に北斗妙見(ほくとみょうけん)信仰から太白神(たいはくじん・太白精)信仰に移り、暦神と習合して大将軍八神宮とも称しました。明治時代の神仏分離令により、大将軍(素戔鳴尊(すさのおのみこと))・素戔嗚尊の8人(五男三女)の子供である八柱御子神(やはしらのみこがみ)を祀り、第50代・桓武天皇を合祀し、大将軍八神社に社名を改めました。
*参考・・・大将軍八神社(アクセス・マップ・歴史・見どころ・・・)ホームページ

【大将軍八神社天門祭 備考】
*イベントの情報(日程・場所・内容など)は必ず主催者に確認して下さい。当サイトの情報はあくまで参考情報です。イベントの内容などが変更になっている場合もあります。
天門祭では大将軍八神社近くの妖怪ストリートに屋台露店が立ち並びます。(要確認)
大将軍八神社(アクセス・見どころ・歴史概要・・・)情報

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