城南宮曲水の宴(春)2024/4/29(日程時間・・・)

曲水の宴

城南宮曲水の宴(春)

城南宮曲水の宴(春)(日程・時間・・・)を紹介しています。曲水の宴(春)は例年4月29日に行われています。曲水の宴では平安時代の装束(狩衣(かりぎぬ)・小袿(こうちき))を身に付け、琴の音色が響く中で和歌を詠んで短冊に記し、川上から流れてきた盃を取り上げてお酒を頂きます。曲水の宴では白拍子(しらびょう)の舞が披露されます。(詳細下記参照)

【城南宮曲水の宴(春)2024 日程時間(要確認)】
城南宮曲水の宴(春)2024は2024年(令和6年)4月29日(月曜日)15:00から約50分間行われます。(雨天中止)2024年は事前申込制です。(現在確認中・要注意)
●曲水の宴は歌題拝見・水辺著座・流觴曲水・一觴一詠・神酒拝戴・披講(和歌朗詠)の順に行われます。
*参考・・・城南宮ホームページ

【城南宮曲水の宴(春) アクセス・マップ】
場所・・・京都府京都市伏見区中島鳥羽離宮町7
最寄り駅・バス停・・・竹田駅(徒歩約15分)

アクセス路線は次の通りです。(最終更新2014年末・変更の場合あり)
*京都駅からは近鉄京都線

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【城南宮曲水の宴 歴史・簡単概要】
城南宮曲水の宴(きょくすいのうたげ)は平安時代の雅を偲ばせる歌会の行事です。曲水の宴では男性が狩衣(かりぎぬ)・女性が小袿(こうちき)の平安時代の装束を身に付けた歌人が庭園の小川・遣水(やりみず)に沿って座り、琴の音色が響く中で歌題に因んだ和歌を詠んで短冊に記し、川上から流れてきた羽觴(うしょう)から盃を取り上げてお酒を頂きます。歌人が和歌を詠んでお酒を頂き終えると短冊が集められ、和歌は平安時代さながらに節をつけて朗詠され、神様に奉納されます。なお曲水の宴では歌人が遣水に沿って座ると白拍子の舞(しらびょうしのまい)が披露されます。白拍子の舞は男装姿の遊女などが今様などを歌いながら舞った歌舞の一種です。
曲水の宴は中国・周公の時代に始まり、353年(永和9年)には政治家で、書家・王羲之(おうぎし)が修禊(しうけい)の儀式として行ったことが「蘭亭序(らんていじょ)」に記されているそうです。その後中国から日本に伝わり、485年(顕宗天皇元年)には顕宗天皇(けんぞうてんのう)の前で行われたと「日本書紀」に記されているそうです。奈良時代から平安時代中期までは宮中の年中行事として行われていたが、その後途絶えたそうです。なお城南宮では御所の杉戸絵を参考に鴛鴦(おしどり)の姿をかたどった羽觴(うしょう)を復元させたそうです。

【城南宮 歴史・簡単概要】
城南宮(じょうなんぐう)は第14代・仲哀天皇の皇后・神功皇后(じんぐうこうごう)による三韓征伐の際に船上に立てた旗とともに神功皇后・大国主神(八千戈神)を祀った真幡寸神社(まはたきじんじゃ)が起源と言われています。その後794年(延暦13年)の第50代・桓武天皇による平安京遷都の際に国土の安泰と都の守護を祈願し、国常立尊(くにのとこたちのみこと)が併祀され、城南神と言われるようになりました。平安時代後期に白河上皇(第72代・白河天皇)が鳥羽離宮(城南離宮)を造営し、院政を始めたことから離宮の一部になりました。その後御所の裏鬼門を守る神となったが、応仁の乱(1467年(応仁元年)~1477年(文明9年))などの兵火によって荒廃し、江戸時代に復興されました。なお1876年(明治10年)に名称を真幡寸神社に改めたが、1968年(昭和43年)に名称を城南宮に戻し、真幡寸神社は境内摂社として、新たな社殿が造営されました。
*参考・・・城南宮(アクセス・マップ・歴史・見どころ・・・)ホームページ

【城南宮曲水の宴(春) 備考】
*イベントの情報(日程・場所・内容など)は必ず主催者に確認して下さい。当サイトの情報はあくまで参考情報です。イベントの内容などが変更になっている場合もあります。
城南宮(アクセス・見どころ・歴史概要・・・)情報
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