祇園祭あばれ観音2026年7月23日(南観音山)
祇園祭あばれ観音(日程時間・アクセス・概要・・・)
祇園祭あばれ観音(日程・時間・・・)を紹介しています。あばれ観音は例年7月23日に行われます。あばれ観音は晴天を祈願する祇園祭後祭の日和神楽(ひよりかぐら)が終わった直後に行われます。あばれ観音では楊柳観音像を台座(御輿)に布で縛り付け、激しく揺すりながら町内を3周走り回ります。(詳細下記参照)
★祇園祭最新情報。
【祇園祭あばれ観音2026 日程時間(要確認)】
祇園祭あばれ観音2026は2026年(令和8年)7月23日(木曜日)23:00頃から行われる予定です。南観音山では19:00~21:30に山鉾やその周辺で祇園囃子が奏でられる予定で、その後日和神楽が行われ、日和神楽終了後にあばれ観音が行われるかもしれません。予告なく日時変更・中止の場合があります。
●祇園祭の主要行事の日程を確認できます。(下記リンク参照)
祇園祭2026日程一覧(宵山屋台・山鉾巡行・・・)
【祇園祭あばれ観音・南観音山 アクセス・マップ】
場所・・・京都府京都市中京区新町通錦小路上る百足屋町
最寄り駅・バス停・・・四条駅(徒歩約6分)
アクセス路線は次の通りです。(最終更新2014年末・変更の場合あり)
*京都駅からは地下鉄烏丸線
祇園祭山鉾マップ(後祭)by グーグルマップ
【祇園祭あばれ観音 簡単概要】
祇園祭南観音山あばれ観音(あばれかんのん)は例年7月23日に行われています。
あばれ観音は祇園囃子(ぎおんばやし・コンチキチン)を奏でながら御旅所(おたびしょ)に行き、囃子を奉納して晴天を祈願する祇園祭日和神楽(ひよりかぐら)が終わった直後に行われます。あばれ観音ではご神体・楊柳観音(ようりゅうかんのん)像を台座(御輿)に布で縛り付け、激しく揺すりながら町内を3周走り回ります。あばれ観音はいつ始まったのか、なぜ始まったのかは明確ではありません。ただ山鉾巡行(後祭)の際に静かにしてもらう為に事前に暴れさせるとも、南観音山の観音さまは女性で、男性である北観音山(きたかんのんやま)の観音さまへの恋心を冷めさせる為に暴れさせるとも言われているそうです。なおあばれ観音は南観音山だけで行われる祇園祭の行事です。
●北観音山は山の上には楊柳観音像(ようりゅうかんのんぞう)と韋駄天立像(いだてんりつぞう)を祀っていることに由来しています。なお北観音山はかつて南観音山が下り観音山とも言われたのに対し、上り観音山とも言われました。
●観音菩薩は人々の救いを求める声を聞き、その苦悩から救済すると言われています。観音菩薩は救う相手の姿に応じて千変万化の相となると言われています。「観音経」では様々に姿を変える三十三応化身が説かれています。
祇園祭山鉾巡行(後祭)
【南観音山 歴史・簡単概要】
南観音山は起源が明確ではありません。南観音山は室町時代中期の応仁の乱(1467年(応仁元年)~1477年(文明9年))前の山鉾と地名を記した「祗園社記(ぎおんしゃき)」第15(八坂神社記録)には「普陀落山(錦小路町と四条坊門間)」と記され、応仁の乱前には既に創建されていたと言われています。南観音山は楊柳観音像と脇侍・善財童子像を祀っていることに由来しています。楊柳観音像は恵心僧都・源信作と言われていたが、江戸時代後期の1788年(天明8年)の天明の大火によって頭部以外が焼失し、その後復元されました。楊柳観音は三十三観音の一観音で、病苦からの救済を使命(本誓)としています。楊柳観音は右手に柳の枝を持っていることから楊柳観音と言われています。ただ柳の枝を水瓶に差している場合もあります。室町時代中期の応仁の乱(1467年(応仁元年)~1477年(文明9年))頃から隣町の北観音山(きたかんのんやま)と一年交代で巡行していたが、明治時代から北観音山とともに毎年巡行するようになりました。ちなみに南観音山はかつて舁山だったが、曳山に改められました。なお南観音山はかつては下り観音山とも言われていました。
*参考・・・南観音山(祇園祭山鉾後祭)
【祇園祭あばれ観音 備考】
*イベントの情報(日程・場所・内容など)は必ず主催者に確認して下さい。当サイトの情報はあくまで参考情報です。イベントの内容などが変更になっている場合もあります。
祇園祭2026日程(ちまき販売・宵山屋台・・・)