山王宮日吉神社赤ちゃん初土俵入2025年10月13日(日程時間)
山王宮日吉神社赤ちゃん初土俵入
山王宮日吉神社赤ちゃん初土俵入(日程・時間・・・)を紹介しています。赤ちゃん初土俵入は毎年スポーツの日に行われています。赤ちゃん初土俵入では見えない神様を押し出そうと土俵際まで追い詰めるが、赤ちゃんは押し戻されて負けます。神様と相撲を取って神聖な土俵の砂をお尻に付けることで健康を授かると言われています。(詳細下記参照)
【山王宮日吉神社赤ちゃん初土俵入2025 日程時間(要確認)】
山王宮日吉神社赤ちゃん初土俵入2025は2025年(令和7年)10月13日(月曜日)9:00から行われます。過去の参加受付人数は300名です。9月中頃に申し込みフォームがホームページに設置されます。(現在確認中・要注意)
*参考・・・山王宮日吉神社赤ちゃん初土俵入
【山王宮日吉神社赤ちゃん初土俵入 アクセス・マップ】
場所・・・京都府宮津市宮町1408番地
最寄り駅・バス停・・・宮津駅(徒歩約18分)
アクセス路線は次の通りです。(最終更新2014年末・変更の場合あり)
*京都丹後鉄道
*丹海バスの場合、山王橋バス停(徒歩すぐ)
【山王宮日吉神社赤ちゃん初土俵入 歴史・簡単概要】
山王宮日吉神社赤ちゃん初土俵入(あかちゃんどひょういり)は境内に祀られている摂社・杉末神社(すぎのすえじんしゃ)の例祭で行われています。赤ちゃん初土俵入は江戸時代初期から宮津で地元力士による奉納花相撲が行われ、その影響から江戸時代中期に有力な氏子が屋号などを使た化粧廻しを作り、その息子を土俵に上げたのが始まりと言われています。なお文献には1681年(延宝9年)に「花相撲仕り・・・」と記され、寛政年間(1789年~1801年)までに現在の形が作られたとも言われています。
赤ちゃん初土俵入では先ず神前で神事が行われ、化粧廻し・はちまき姿の赤ちゃんが行司の介添えでしこを踏み、見えない神様と相撲を取って、最後に赤ちゃんのお尻に土俵の砂を付けます。赤ちゃん初土俵入では神様を押し出そうと土俵際まで追い詰めるが、赤ちゃんは押し戻されて負けます。神様と相撲を取って神聖な土俵の砂をお尻に付けることで健康を授かると言われています。なお赤ちゃん初土俵入(有料)は男女・地域を問わずに参加できるそうです。(要確認)
杉末神社は社記によると572年(第30代・敏達天皇元年)に大和三諸山から移されて祀られたのが起源とも言われています。杉末神社は平安時代中期の「延喜式神名帳(えんぎしきじんみょうちょう)・927年(延長5年)編纂」に宮津で唯一記され、宮津最古の神社とも言われています。なお杉末神社は大物主命(おおものぬしのみこと)・大己貴命(おおなむちのみこと)・少彦名命(すくなびこなのみこと)を祀っています。
【山王宮日吉神社 歴史・簡単概要】
山王宮日吉神社(さんのうぐうひよしじんじゃ)は社伝によると摂社・杉末神社(すぎのすえじんじゃ)が572年(敏達天皇元年)に創建されたのが起源とも言われています。杉末神社は「延喜式神名帳(えんぎしきじんみょうちょう)・927年(延長5年)編纂」に宮津で唯一記され、宮津最古の神社とも言われています。ちなみに杉末神社は古くから宮津の守り神として崇敬され、宮津(宮のある船の着くところ)の地名の由来になったと言われています。その後平安時代後期に祭神である大山咋神(おおやまくいのかみ)・大己貴神(おおなむちのかみ)が杉末神社内に勧請され、山王宮日吉神社が創建されたと言われています。江戸時代に歴代の宮津藩主(京極家・永井家・阿部家・奥平家・青山家・松平家)が山王宮日吉神社を宮津の総氏神・藩の守護神として崇敬し、本殿・幣殿・神輿・石灯籠を再建したり、造営したりし、杉末神社をその摂社として宮津西地区の守り神にしました。江戸時代中期には宮津城下のほぼ全てが山王宮の氏子になり、その祭礼である山王祭は宮津藩祭とされ、武士も参加したそうです。なお山王宮日吉神社は大山咋神・大己貴神を祀り、摂社・杉末神社は少彦名神(すくなひこなのかみ)・大物主神(おおものぬしのかみ)を祀っています。
*参考・・・山王宮日吉神社(アクセス・マップ・歴史・見どころ・・・)ホームページ
【山王宮日吉神社赤ちゃん初土俵入 備考】
*イベントの情報(日程・場所・内容など)は必ず主催者に確認して下さい。当サイトの情報はあくまで参考情報です。イベントの内容などが変更になっている場合もあります。
山王宮日吉神社(アクセス・見どころ・歴史概要・・・)情報