阿弥陀寺(アクセス・マップ・見どころ・概要・・・)織田信長

阿弥陀寺
阿弥陀寺(アクセス・見どころ・歴史概要・料金・・・)情報を紹介しています。阿弥陀寺は信長公本廟所と言われています。1917年(大正6年)織田信長に正一位を追贈する位階追陞(いかいついしょう)の為、宮内庁の調査により、阿弥陀寺の信長公墓が廟所であると確認され、勅使の来訪があったと言われています。
【阿弥陀寺 アクセス・マップ】
場所・・・京都府京都市上京区寺町通今出川上ル鶴山町14
最寄り駅・バス停・・・河原町今出川(徒歩約8分)、
アクセス路線は次の通りです。(最終更新2014年末・変更の場合あり)
*京都駅から阿弥陀寺は4系統(A1乗り場)、17系統(A1乗り場)、205系統(A2乗り場)
*四条河原町からは3系統、17系統、205系統
*四条烏丸からは3系統、201系統、203系統
*河原町丸太町からは3系統
路線・時刻表・運賃チェック
*地下鉄烏丸線の場合、最寄り駅は今出川駅(徒歩約10分)
*京阪電鉄鴨東線の場合、最寄り駅は出町柳駅(徒歩約10分)
【阿弥陀寺 拝観時間・時間(要確認)】
9:00~16:00
6月2日のみ堂内が拝観できます。なお6月2日以外の堂内特別回向には事前予約が必要です。
【阿弥陀寺 拝観料金・料金(要確認)】
6月2日のみ堂内拝観料・・・1000円
【阿弥陀寺 歴史・簡単概要】
阿弥陀寺は戦国時代(1493年~1590年)の1555年(天文24年)に清玉上人(せいぎょくしょうにん)・玉誉清玉が近江国(滋賀)坂本に創建したのが起源です。また芝薬師町(堀川上立売通西辺)に創建したとも言われています。その後安土桃山時代(1573年~1603年)に清玉上人が織田信長(いだのぶなが)から帰依を受け、京都・今出川大宮に移しました。1582年(天正10年)6月2日に明智光秀(あけちみつひで)による織田信長への謀反・本能寺の変が起こりました。清玉上人は本能寺の変が起こると明智光秀に討たれた織田信長とその子・織田信忠(おだのぶただ)の遺骨を持ち帰り、阿弥陀寺に葬ったとも言われています。また清玉上人は本能寺の異変を察知して駆けつけるが、間に合わずに織田信長近くの武士から織田信長の遺骸を託されて持ち帰ったとも言われています。本能寺の変後に織田信長の葬儀を行う際、法事葬儀を勤めたいという関白・豊臣秀吉(とよとみひでよし)からの申し出を断ったことが「由緒書」に残されています。1585年(天正13年)に関白・豊臣秀吉の命により、現在の場所に移されました。江戸時代(1603年~1868年)前期の1675年(延宝3年)11月に火災に見舞われ、織田信長の木像・武具・道具類などの遺物が焼失しました。焼け残ったものは大雲院(だいうんじ)に移されたが、大雲院も火災に見舞われ、現在は遺物がほとんど残されていません。1788年(天明8年)に天明の大火で焼失しました。寛政年間(1789年~1801年)に現在の本堂が再建されました。なお阿弥陀寺は阿弥陀如来(あみだにょらい)を本尊として祀っています。
阿弥陀寺は浄土宗の寺院です。
*参考・・・阿弥陀寺(アクセス・マップ・歴史・見どころ・・・)wikipedia
【阿弥陀寺 見どころ・文化財(非公開の場合あり)】
阿弥陀寺の見どころは織田信長・織田信忠の墓です。織田信長に思いをはせながら手を合わせるのもいいかもしれません。なお6月2日の「信長忌」に訪ねるのもいいかもしれません。
重要文化財・・・木造毘沙門天立像
【阿弥陀寺 行事・イベント(要確認)】
●信長忌は例年6月2日に行われています。信長忌は1582年(天正10年)の本能寺の変で自害した織田信長の命日である旧暦の6月2日に信長を偲ぶ法要です。焼香は一般参拝者も行うことができるそうです。普段非公開の本堂が公開され、寺宝も展示されます。
阿弥陀寺信長忌
【阿弥陀寺 連絡先(現在確認中)】*電話は控えて下さい。迷惑になります。
電話番号・・・+81-75-231-3538
【阿弥陀寺 備考(アクセス・御朱印・駐車場・・・)】
【阿弥陀寺 おすすめ散策ルート】
阿弥陀寺からのおすすめ散策ルートは加茂川(鴨川)を渡り、下鴨神社(賀茂御祖神社)に向かうルートです。10分ほど散策すれば、世界遺産である下鴨神社に行くことができ、京都観光・旅行を楽しむことができます。下鴨神社では糺の森(ただすのもり)を散策するのがおすすめです。なお時間があれば、府立植物園を経由し、下鴨神社と同じく世界遺産である上賀茂神社(賀茂別雷神社)まで散策するのもいいかもしれません。