穴太寺(拝観料・見どころ・アクセス・歴史概要・・・)

穴太寺
穴太寺(アクセス・見どころ・歴史概要・料金・・・)情報を紹介しています。穴太寺の本堂内陣に安置されている釈迦如来涅槃像は鎌倉時代に造仏され、1896年(明治29年)に本堂の屋根裏で発見されました。釈迦如来涅槃像は病気の場所と同じところを撫で、自分の体を撫で返すと病気平癒のご利益があるとされ、撫で仏(なで仏)とも言われています。
【穴太寺 アクセス・マップ】
場所・・・京都府亀岡市曽我部町穴太東辻46
最寄り駅・バス停・・・穴太口(徒歩約10分)
アクセス路線は次の通りです。(最終更新2014年末・変更の場合あり)
*京阪京都交通バス・穴太寺循環(59・34系統)または京都学園大学行(60系統)
【穴太寺 拝観時間・時間(要確認)】
8:00~17:00
【穴太寺 拝観料金・料金(要確認)】
本堂・庭園
個人
500円
団体
400円
【穴太寺 歴史・簡単概要】
穴太寺(あなおじ)は起源が明確ではありません。穴太寺は「穴太寺観音縁起・1450年(宝徳2年)成立」によると飛鳥時代後期の705年(慶雲2年)に左大弁・大伴古麻呂(おおとものこまろ)が第42代・文武天皇の勅願によって創建したとも言われています。穴太寺は説話集「今昔物語集(こんじゃくものがたりしゅう)・平安時代末期成立」に聖観音像が「身代わり観音」として取り上げられ、穴太寺が平安時代末期に観音霊場として知られていたとも言われています。「今昔物語集」では丹波国桑田郡の郡司が都の仏師に聖観音像の造仏を依頼し、褒美に名馬を与えたが、その後名馬を惜しくなって家来に命じて仏師を矢で射たが、仏師は無事で、聖観音像の胸に矢が刺さっていました。ちなみに本尊・聖観音立像は平安時代中期に造仏されとも、鎌倉時代に造仏されとも言われているが、1968年(昭和43年)に盗難の被害に遭いました。その後1735年(享保20年)に本堂、1804年(文化元年)に多宝塔、江戸時代中期に仁王門が建立されました。また江戸時代中期に庭園が作庭されました。穴太寺は本尊・薬師如来を安置し、聖観音像が西国三十三所の第21番札所です。なお穴太寺は「穴穂寺」・「穴生寺」とも表記され、「あなおおじ」・「あのうじ」・「あなおうじ」とも読まれます。
穴太寺は天台宗の寺院です。
*参考・・・穴太寺(アクセス・マップ・歴史・見どころ・・・)ホームページ
【穴太寺 見どころ・文化財(非公開の場合あり)】
穴太寺の見どころは江戸時代中期に作庭され、京都府の指定文化財名勝である庭園です。庭園は1804年(文化元年)に建立された多宝塔の東部を借景にして作庭され、夕陽の沈む西庭の景観が美しいとも言われています。なおいずれも京都府指定文化財である本堂・多宝塔やいずれも京都府登録文化財である方丈・仁王門なども見どころです。
【穴太寺 行事・イベント(要確認)】
●福給会は例年1月3日に行われています。福給会では本堂前に組まれた櫓から福札3,000枚が参拝者に撒かれ、扇で扇がれます。赤札3枚を拾うと1年間の幸福を授かり、禍を免れ、また長者になれるとも言われています。
穴太寺福給会
【穴太寺 花暦(梅・桜・紅葉・・・)】
●彼岸花見ごろは例年9月中旬頃から9月下旬頃です。曽我部地区に田んぼが広がり、その畦や農道などに彼岸花が分布し、赤い花を咲かせます。彼岸花と稲刈りをした後に稲わらを三角に組んだ積み藁・黄色い稲穂・田んぼなどの光景が美しいと言われています。
穴太寺彼岸花見ごろ
●紅葉見ごろは例年11月中旬頃から11月下旬頃です。亀岡の名木に選ばれている樹齢約400年の大イチョウ・モミジなどが植えられ、紅葉と本堂・多宝塔・鐘楼・手水舎などの光景が美しいと言われています。
穴太寺紅葉見ごろ
*京都には多くの紅葉名所があり、その紅葉見ごろを下記リンクから確認できます。
京都紅葉見ごろ2023(清水寺・東福寺・永観堂・・・)
【穴太寺 連絡先(現在確認中)】*電話は控えて下さい。迷惑になります。
電話番号・・・0771-24-0809
【穴太寺 備考(アクセス・御朱印・駐車場・・・)】
【穴太寺 おすすめ散策ルート】
穴太寺からのおすすめ散策ルートは東側の走田神社に向かうルートです。10分ほど散策すれば、走田神社に行くことができ、京都観光・旅行を楽しむことができます。なお穴太寺は市街地から少し離れ、周辺には観光スポットがあまり多くない為、次の観光スポットに向かい、その周辺を散策した方がいいかもしれません。