安楽寺の歴史-修学旅行・観光の簡単解説

安楽寺の歴史を時代別年表にまとめ
安楽寺の歴史を簡単にまとめています。安楽寺は法然上人の弟子である安楽・住蓮が布教活動の拠点として鹿ヶ谷草庵を結んたのが起源と言われています。鹿ヶ谷草庵は現在、安楽寺が建立されている場所よりも東側の山中にあったと言われています。(時代別年表・重要人物下記参照)
【鹿ヶ谷(ししがたに)】
●鹿ヶ谷は1177年(安元3年)に平氏打倒の謀議である鹿ヶ谷の陰謀が行われたことで知られています。鎌倉時代(1185年~1333年)初期に浄土宗(じょうどしゅう)の宗祖・法然上人(ほうねんしょうにん)の弟子である安楽(あんらく)・住蓮(じゅうれん)が東山を散歩していると山中から一匹の白い鹿が現れ、俊寛(しゅんかん)の山荘跡あたりで姿を消し、不思議な霊告を感じました。
【安楽寺の起源・始まり】
●安楽寺は鎌倉時代初期に法然上人の弟子である安楽・住蓮が布教活動の拠点として鹿ヶ谷草庵を結んたのが起源と言われています。鹿ヶ谷草庵は現在、安楽寺が建立されている場所よりも東側約1キロの山中にあったと言われています。なお安楽・住蓮は唐(中国)・善導大師(ぜんどうだいし)の「往生礼讃」に京都大原魚山(ぎょざん)の礼讃声明(らいさんしょうみょう)を転用し、浄土礼讃を完成されました。
【鎌倉時代(1185年頃~1333年頃)の歴史・出来事】
●1206年(建永元年)に後鳥羽上皇(第82代・後鳥羽天皇(ごとばてんのう))紀州熊野行幸の留守中、寵愛した女官である19歳の松虫(まつむし)・17歳の鈴虫(すずむし)が法然上人・安楽・住蓮からの念仏の教えに感銘して出家し、法然上人が讃岐(香川)に流罪、安楽が京都六条河原で斬首、住蓮が近江国(滋賀)馬淵で斬首となる建永の法難(承元の法難)が起こります。松虫(妙智法尼)・鈴虫(妙貞法尼)は瀬戸内海の生口島・光明防で念仏三昧の余生を送り、松虫は35歳、鈴虫は45歳で亡くなったと言われています。建永の法難(承元の法難)以降、鹿ヶ谷草庵は荒廃しました。
●1211年(建暦元年)に讃岐(香川)から京都に戻った法然上人が安楽・住蓮の菩堤(ぼだい)を弔う為に鹿ヶ谷草庵を復興するように命じられ、住蓮山安楽寺と名付けました。山号「住蓮山」は住蓮、寺号「安楽寺」は安楽に由来しています。その後幾度かの興廃を繰り返したと言われています。
【戦国時代(1493年頃~1590年頃)の歴史・出来事】
●天文年間(1532年~1555年)に現在の場所に再興されたと言われています。
【江戸時代(1603年頃~1868年頃)の歴史・出来事】
●寛政年間(1789年~1801年)頃に真空益随上人(しんくうえきずいしょうにん)が修行中に本尊・阿弥陀如来(あみだにょらい)から「夏の土用の頃、当地の鹿ヶ谷カボチャを振る舞えば、中風(ちゅうふう)にならない」という霊告を受け、例年7月25日に行われているカボチャ供養の起源になりました。鹿ヶ谷カボチャは寺伝によると寛政年間(1790年頃)に京都粟田に住んでいた玉屋藤四郎(たまやとうしろう)が青森に旅行した際、カボチャの種を持ち帰って鹿ヶ谷の庄米兵衛に与え、栽培すると突然変異でひょうたん(瓢箪)の形になったと言われています。
【明治時代以降(1868年頃~)の歴史・出来事】
●1892年(明治25年)に山門が再建されました。
●2010年(平成22年)に客殿「椛」に建立されました。
●2015年(平成27年)にくさの地蔵堂が再建され、150年振りに地蔵縁日が再開されました。
【安楽寺の開山である安楽・住蓮】
安楽は中原師秀の子として生まれたと言われています。大蔵卿・高階泰経に仕え、その後出家して法然上人に師事しました。法然上人が「選択本願念仏集」を撰述した際に執筆を命じられました。後鳥羽上皇が寵愛した鈴虫・松虫が出家する建永の法難(承元の法難)により、後鳥羽上皇の怒りを買って京都六条河原(東本願寺近く)で斬首されました。辞世は「いまはただ 云ふ言の葉も なかりけり 南無阿弥陀仏の み名のほかに葉」です。安楽は美僧で、美声の持ち人だったと言われています。
住蓮は東大寺の僧・実遍の子として生まれたと言われています。その後出家して法然上人に師事しました。後鳥羽上皇が寵愛した鈴虫・松虫が出家する建永の法難(承元の法難)により、後鳥羽上皇の怒りを買って近江国(滋賀)馬淵(滋賀県近江八幡市)で斬首されました。辞世は「極楽に 生まれむことの うれしさに 身をば仏に まかすなりけり」です。住蓮は美声の持ち人だったと言われています。
【安楽寺の歴史 備考】
*参考・・・安楽寺(アクセス・マップ・歴史・見どころ・・・)ホームページ











