安楽寿院桜見ごろ2025(時期:3月下旬~4月上旬頃)
安楽寿院桜見ごろ(見頃)
安楽寿院桜見ごろ(時期・ライトアップ・・・)情報を紹介しています。安楽寿院には参道・境内にソメイヨシノ(染井吉野)が植えられ、桜と大師堂・阿弥陀堂(薬師堂)・書院の枯山水式庭園などの光景が美しいと言われています。参道には桜並木があり、桜が見ごろを迎える時期には桜のトンネルになります。(詳細下記参照)
【安楽寿院桜見ごろ(例年時期)・2025年開花満開予測】
安楽寿院の桜見ごろは例年3月下旬頃から4月上旬頃です。ただ桜の開花状況や見ごろ(満開)はその年の気候などによって多少前後することがあります。なお2025年1月下旬頃から京都の桜開花・桜満開・桜見ごろ情報を発信します。
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【安楽寿院桜 アクセス・マップ】
場所・・・京都府京都市伏見区竹田中内畑町74
最寄り駅・バス停・・・竹田駅(徒歩約10分)
アクセス路線は次の通りです。(最終更新2014年末・変更の場合あり)
*京都駅からは地下鉄烏丸線・近鉄京都線
【安楽寿院桜見ごろ(例年時期)・見どころ 概要】
安楽寿院はあまり知られていない桜の名所です。安楽寿院の桜見ごろは例年3月下旬頃から4月上旬頃です。
安楽寿院には参道・境内にソメイヨシノ(染井吉野)が植えられ、桜と大師堂・阿弥陀堂(薬師堂)・書院の枯山水式庭園などの光景が美しいと言われています。参道には桜並木があり、桜が見ごろを迎える時期には桜のトンネルになります。
大師堂は1596年(慶長元年)の大地震によって新御塔が倒壊した際、仏像を安置する為に一時しのぎに集められた材料で建立されました。その後新御塔が豊臣秀頼(とよとみひでより)によって再建され、以後も大師堂が勤行堂として使用されるようになり、その後現在の場所に移されて真言宗(しんごんしゅう)の宗祖である弘法大師(こうぼうだいし)・空海(くうかい)を祀るようになりました。
阿弥陀堂は本尊・阿弥陀如来像(重要文化財)を安置していた本御塔の後身である堂が台風の被害がもとで倒壊し、1959年(昭和34年)に建立されました。
枯山水式庭園は苔地に飛石・蹲踞・燈籠・植栽などが配されています。枯山水式庭園は江戸時代初期に作庭されたとも言われています。
書院は1795年(寛政7年)に庫裏とともに建立されました。書院はかつて塔頭寺院・前松院でした。
桜(染井吉野)は2月1日以降、毎日の最高気温の合計が600度を超えると開花し、800度を超えると満開になると言われています。また地域によって差があるが、開花から1週間から5日ほどで満開になると言われています。
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【安楽寿院 歴史・簡単概要】
安楽寿院(あんらくじゅいん)はかつて平安時代後期(11~12世紀)に院政の舞台となった鳥羽上皇(第74代・鳥羽天皇)の鳥羽離宮(とばりきゅう・鳥羽殿(とばどの))があった場所です。鳥羽は南に池が広がり、水鳥が群れる風光明媚な地で、貴族が別邸を建てて舟遊びや歌合わせなどに興じていたそうです。院の近臣・藤原季綱(ふじわらのすえつな)が白河上皇(第白河代・白河天皇)に別邸を献上し、鳥羽離宮の造営が始まりました。安楽寿院は1137年(保延3年)に鳥羽上皇が鳥羽殿の東殿に御堂(仏堂)を建立し、本尊・阿弥陀三尊像を安置したのが起源と言われています。その後本御塔・九躰阿弥陀堂・閻魔堂・不動堂・新御塔が建立され、寺領が最盛期に32国63ヶ荘に及びました。南北朝時代の争乱によって寺領の多く失って徐々に衰微しました。安土桃山時代に関白・豊臣秀吉(とよとみひでよし)が近辺の寺領を保証し、江戸時代に歴代将軍も寺領を安堵し、十二院五坊の塔頭(たちゅう)を要する学山として多くの学匠を輩出しました。なお安楽寿院はかつて6つ存在した有力子院の内の前松院が寺籍を継いでいます。
安楽寿院は真言宗智山派の寺院です。
*参考・・・安楽寿院(アクセス・マップ・歴史・見どころ・・・)ホームページ
【安楽寿院桜 備考】
*イベントの情報(日程・場所・内容など)は必ず主催者に確認して下さい。当サイトの情報はあくまで参考情報です。イベントの内容などが変更になっている場合もあります。
安楽寿院(アクセス・見どころ・歴史概要・・・)情報
★京都の桜名所では桜の見ごろに合わせ、ライトアップを行なっているところがあります。(下記リンク参照)
京都桜ライトアップ2025(清水寺・円山公園・東寺・・・)