安祥寺(拝観料・見どころ・アクセス・歴史概要・・・)
安祥寺
安祥寺(アクセス・見どころ・歴史概要・料金・・・)情報を紹介しています。安祥寺はかつて裏の山にある「上寺」と麓にある「下寺」があり、東西10町・南北15町に及ぶ広大な寺地を有していました。しかし安祥寺の創建を発願した藤原順子が亡くなると朝廷の庇護を失って次第に衰微しました。
【安祥寺 アクセス・マップ】
場所・・・京都府京都市山科区御陵平林町22
最寄り駅・バス停・・・山科駅(徒歩約10分)
アクセス路線は次の通りです。(最終更新2014年末・変更の場合あり)
*京都駅からはJR東海道本線
*地下鉄東西線の場合、最寄り駅は山科駅(徒歩約12分)
【安祥寺 拝観時間・時間(要確認)】
通常非公開
【安祥寺 拝観料金・料金(要確認)】
通常非公開
【安祥寺 歴史・簡単概要】
安祥寺(あんしょうじ)は平安時代前期の848年(嘉祥元年)に入唐八家(最澄・空海・常暁・円行・円仁・円珍・宗叡)に数えられた真言宗の僧・恵運(えうん・慧運)が第54代・仁明天皇の女御で、第55代・文徳天皇の母・藤原順子(ふじわらののぶこ)の発願によって創建しました。855年(斉衡2年)に定額寺(じょうがくじ)になり、上寺に礼仏堂・五大堂・僧房・庫裏・浴堂、下寺に塔・仏堂・僧坊・門楼など建立されていたとも言われています。その後衰微し、平安時代後期に宗意(そうい)が下寺を再興しました。ちなみに上寺は延文年間(1356年~1360年)まで存続していたとも言われています。応仁の乱(1467年(応仁元年)~1477年(文明9年))の兵火によって上寺・下寺ともに焼失して廃寺になり、江戸時代に寺宝を元に下寺が現在の場所に移って再興され、1614年(慶長19年)に高野山・宝性院(ほうしょういん)に属し、宝暦年間(1751年~1764年)に現在の伽藍が建てられました。なお安祥寺は毘沙門堂(びしゃもんどう)にほとんどの寺領を売却し、1906年(明治39年)に多宝塔を焼失しました。
安祥寺は真言宗の寺院です。
*参考・・・安祥寺(アクセス・マップ・歴史・見どころ・・・)ホームページ・安祥寺(アクセス・マップ・歴史・見どころ・・・)wikipedia
【安祥寺 見どころ・文化財(非公開の場合あり)】
重要文化財・・・木造五智如来坐像、木造十一面観音立像
【安祥寺 連絡先(現在確認中)】*電話は控えて下さい。迷惑になります。
電話番号・・・+81-75-581-0853
【安祥寺 備考(アクセス・御朱印・駐車場・・・)】
【安祥寺 おすすめ散策ルート】
安祥寺からのおすすめ散策ルートは東にある大立寺・瑞光院・龍華院を経由し、毘沙門堂に向かうルートです。20分ほど散策すれば、東山の自然を感じながら毘沙門堂に行くことができ、京都観光・旅行を楽しむことができます。なお毘沙門堂の近くには双林院(山科聖天)があり、そちらも一緒に散策するのもいいかもしれません。