霰天神山(ちまき販売日程・ご利益・・・)祇園祭前祭山鉾

霰天神山

霰天神山

霰天神山(ちまき販売日程・ご利益・マップ)を紹介しています。霰天神山ちまき販売は例年7月14日から16日です。(要確認)霰天神山ちまきのご利益は火除け・雷除けです。霰天神山は山の中央に天神像を祀る社殿が造られています。

★霰天神山のちまき販売(前年):7月14日~16日(10:00~21:00)(変更・中止等あり)
★祇園祭2024は最新情報。

【祇園祭ちまき販売(前祭) 販売日・時間(要確認)】

祇園祭ちまき販売(前祭)は例年7月14日~16日です。一部の山鉾町では7月13日から始まります。ネットでちまき販売が行われることもあります。
祇園祭ちまき販売(前祭)
●祇園祭の主要行事の日程を確認できます。(下記リンク参照)
祇園祭2024日程一覧(宵山屋台・山鉾巡行・・・)

【霰天神山 マップ・アクセス】

場所・・・京都府京都市中京区錦小路室町西入天神山町
位置・・・室町通(南北)・錦小路通(東西)交差点の西約40メートルの錦小路通
最寄り駅・バス停・・・四条駅(徒歩約8分)

アクセス路線は次の通りです。(最終更新2014年末・変更の場合あり)
*京都駅からは地下鉄烏丸線
祇園祭山鉾マップ(前祭)by グーグルマップ

【ちまき(粽)などの授与品】

梅花付きちまき(粽)・手拭・火除け雷除けのお守りなど

【搭乗(要確認)】

【ご利益】

火除け・雷除け

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【霰天神山 歴史・簡単概要】

霰天神山(読み方:あられてんじんやま)は戦国時代(室町時代後期)の永正年間(1504年~1520年)の大火の際に霰が急に降って大火が鎮火し、その時霰とともに降ってきた天神さんを祀ったのが起源とも言われています。霰とともに降ってきた天神像は一寸二分(約3.6センチ)で、霰天神山の上に造られた唐破風(からはふ)春日造(かすがづくり)の社殿に祀られています。また霰天神山は室町時代中期の応仁の乱(1467年(応仁元年)~1477年(文明9年))前の山鉾と地名を記した「祗園社記(ぎおんしゃき)」第15(八坂神社記録)に「天神山(錦と室町間)」と記され、応仁の乱前には既に創建されていたとも言われています。その後多くの山鉾が焼失した江戸時代後期の1788年(天明8年)の天明の大火や幕末(江戸時代末期)の1864年(元治元年)の元治の大火でも焼け残り、霰天神山は火除天神山(ひよけてんじんやま)とも言われています。また錦小路通室町西入にあることから錦天神山(にしきてんじんやま)とも言われています。
天神さんとも言われる菅原道真・すがわらのみちざね)は梅をこよなく愛し、九州・大宰府(だざいふ)に左遷される際に紅梅殿で「東風(こち)吹かば にほひおこせよ 梅の花 主なしとて 春を忘るな(拾遺和歌集(しゅういわかしゅう))」と詠みました。その後梅が菅原道真を慕って、一晩の内に大宰府に飛来したという飛梅伝説も生まれました。その為霰天神山のちまき(粽)には梅花が付けられています。
菅原道真は公家・菅原是善の三男として生まれました。幼少の頃から和歌・漢詩に優れ、862年(貞観4年)に文章生試験に合格し、867年(貞観9年)に文章得業生になりました。886年(仁和2年)に讃岐守に任命されて讃岐国に下向したが、890年(寛平2年)に第59代・宇多天皇の側近として帰京し、その後参議・公卿に列し、899年(昌泰2年)に右大臣に任命されました。しかしその直後に左大臣・藤原時平の讒言(告げ口)により、太宰府に左遷され、4人の子供も流刑に処され、903年(延喜3年)に太宰府で亡くなりました。
*参考・・・霰天神山(祇園祭山鉾前祭)

【特徴・懸装品(変更の場合あり)】

  • 山の中央には天神像を祀る唐破風春日造(からはふかすがづくり)の社殿が造られ、紅梅と松が飾られています。なお欄縁(らんぶち)に沿って朱塗りの廻廊が巡らされています。
  • 前懸は16世紀にベルギーで作られたイーリアス物語を描いた毛綴(けつづれ)だったが、2009年(平成21年)にレプリカに代えられました。前懸には太湖岩鳳凰図(たいこがんほうおうず)の中国刺繍(ししゅう)もあります。左右の胴懸は上村松篁(うえむらしょうこう)の下絵による梅金鶏図(ばいきんけいず)と上村淳之(うえむらあつし)の下絵による銀鶏図(ぎんけいず)で、それぞれ1985年(昭和60年)と2002年(平成14年)に新調されました。なお後懸の紅地雲龍宝尽図(うんりゅうたからずくしず)は2009年(平成21年)に新調されました。

【行事・イベント(要確認)】

【祇園祭 歴史・簡単概要】

祇園祭は平安時代前期の869年(貞観11年)に全国に疫病が流行し、牛頭天王の祟りであるとし、卜部日良麿が神泉苑に国の数と同じ66本の鉾を立て、悪霊を移して穢れを祓い、薬師如来の化身とされる牛頭天王を祀り、更に牛頭天王を主祭神とする八坂神社から3基の神輿を送り、病魔退散を祈願した祇園御霊会が起源と言われています。その後平安時代中期の970年(天禄元年)から毎年に行われるようになりました。
祇園祭歴史年表・由来(869年~)

【霰天神山 備考(要確認)】
●ちまきの販売などの日程・時間は変更になっている場合があります。必ず確認して下さい。
宵山では火防せ雷除けのお守りが授与されます。
祇園祭2024日程(ちまき販売・宵山屋台・・・)
●祇園祭の山鉾(前祭23基・後祭11基・休山1基)の名称・読み方・由緒・ちまき(粽)などの情報を確認できます。
祇園祭山鉾一覧

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