平等院梵鐘・平等院見どころ

平等院梵鐘

●平等院梵鐘は国宝に指定されています。
●平等院梵鐘は1052年(永承7年)の平等院創建と同時期(12世紀頃)に鋳造されたとも言われています。平等院梵鐘はかつて鳳凰堂(ほうおうどう)南側の阿字池(あじいけ)の畔に建立されていた鐘楼に吊られていたが、現在ミュージアム鳳翔館に収蔵されています。ちなみに現在の鐘楼には新たに鋳造されたレプリカが吊るされています。平等院梵鐘には天人(てんにん)・獅子(しし)・唐草文様(からくさもんよう)などが全面に浮き彫りがあります。平等院梵鐘は総高約199.0センチ・竜頭高約41.8センチ・笠形高約10.9センチ・身高約146.0センチ・撞座径約19.7センチ・口径約123.0センチ・口厚約12.0センチです。
一般的に梵鐘は寺院で時刻や非常を告げる鐘です。梵鐘は除夜の鐘でも知られています。梵鐘は釣鐘(つりがね)・撞鐘 (つきがね) とも言われるが、大鐘(おおがね)・洪鐘(おおがね・こうしょう)・撞鐘(どうしよう)・蒲牢(ほろう)・鯨鐘(げいしょう)・巨鯨(きょげい)・華鯨(かげい)・突鐘(つきがね)・鴻鐘(こうしよう)・鳧鐘(ふしよう)・九乳(くにゆう)・青石(せいせき)・霊鐘(れいしよう)などとも言われています。梵鐘はインド(天竺)で集会の際に用いられた木製のかん稚(かんち)と中国の銅鐘に基づいて造られました。日本最古の正史「日本書紀(にほんしょき)・奈良時代成立」には562年(第29代・欽明天皇23年)に古墳時代後期の豪族・大伴狭手彦(おおとものさでひこ)が梵鐘を高句麗(こうくり)から日本に持ち帰ったとの記録が残っています。ただ梵鐘は現存せず、梵鐘の内面に「戊戌年(698年)筑前糟屋評(福岡市)造云々」の銘がある京都・妙心寺(みょうしんじ)の梵鐘(国宝)が日本製の最古の梵鐘です。梵鐘は銅に少量の錫(すず)・亜鉛(あえん)などを混じて鋳造されます。梵鐘は上部に鐘楼に吊るす釣り手として竜頭(りゅうず)があり、下部に一対の蓮華(れんげ)状の撞座(つきざ)を配し、これを橦木(しゅもく)で突きます。梵鐘に上帯・中帯・下帯・乳の間・乳・草の間・池の間・駒の爪などがあります。
●平等院梵鐘は姿の平等院と謳われ、音の三井寺(みいでら・園城寺(おんじょうじ))・銘の神護寺(じんごじ)または音の三井寺(園城寺)・勢の東大寺(とうだいじ)とともに「天下の三名鐘」と言われています。
三井寺(園城寺)は寺伝によると686年(朱鳥元年)に大友与多王(おおとものよたのおおきみ)が672年(天武天皇元年)の壬申の乱(じんしんのらん)で大海人皇子(第40代・天武天皇)と皇位を争って敗れた父・大友皇子(第39代・弘文天皇)の霊を弔う為、田園城邑(じょうゆう)を寄進して創建したのが起源とも言われています。第40代・天武天皇からは「園城」という勅額を賜わったと言われています。なお三井寺は第38代・天智天皇、第40代・天武天皇、第41代・持統天皇の誕生の際に産湯に使われたという霊泉があることから「御井(みい)の寺」と言われるようになり、一般的に三井寺と言われています。
神護寺は824年(天長元年)に和気清麻呂(わけのきよまろ)の五男・真綱(まつな)と六男・仲世(なかよ)の要請により、いずれも和気氏の私寺であった神願寺と高雄山寺が合寺し、名称を神護国祚真言寺(じんごこくそしんごんじ)と改めたのが起源です。神願寺は781年(天応元年)に和気清麻呂が河内に創建したとも言われているが、その場所は明確ではありません。高雄山寺も同じ頃に創建され、白雲寺・月輪寺・日輪寺・伝法寺とともに愛宕五寺(愛宕五坊)とも言われました。高雄山寺は伝教大師・最澄や弘法大師・空海を相次いで招き、その後一切を空海に付嘱し、真言宗の寺院になりました。
東大寺は728年(神亀5年)に第45代・聖武天皇と光明皇后が早逝した皇太子・基皇子(もといのみこ)の菩提を追修する為に東大寺初代別当・良弁僧正(ろうべんそうじょう)ら9人の智行僧を住まわせた若草山の山房を起源とする金鍾山寺(きんしょうせんじ・金鍾寺(きんしょうじ)が起源と言われています。741年(天平13年)に国分寺(金光明寺)・国分尼寺(法華寺)建立の詔が発せられると翌742年(天平14年)に大和国分寺になり、名称を大和金光明寺(きんこうみょうじ)に改められました。745年(天平17年)に東大寺で大仏の造立が開始され、752年(天平勝宝4年)に大仏開眼供養会(だいぶつかいげんくようえ)が行われ、758年(天平宝字2年)に大仏殿が完成しました。
平等院見どころ

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