平等院鳳凰・平等院見どころ

平等院鳳凰

●平等院鳳凰は国宝に指定されています。
●平等院鳳凰は1052年(永承7年)の平等院創建・1053年(天喜元年)の鳳凰堂(国宝)建立と同時期(11世紀頃)に製作されたとも言われています。鳳凰はかつて鳳凰堂の中堂大棟の南北両端に一対が設置されていたが、現在ミュージアム鳳翔館に収蔵され、レプリカが設置されています。鳳凰の北方像は総高約235.0センチ・像高約98.8センチ・幅約34.5センチ、南方像は総高約228.8センチ・像高約95.0センチ・幅約44.5センチです。
鳳凰(鳳皇)は中国神話の伝説の霊鳥で、空想上の鳥です。鳳凰は古来中国で麒麟(りん)・亀(霊亀)・竜(応竜)とともに四瑞(しずい)として尊ばれました。鳳凰は頭が鶏(にわとり)、顎(あご)が燕(つばめ)、頸(くび)が蛇(へび)、背中が亀、尾は魚で、前部が麒麟、後部が鹿に似ています。鳳凰は羽が5色(黒・白・赤・青・黄)で、青桐(あおぎり)である梧桐(ごとう)に宿り、竹の実を食べ、醴泉(れいせん)を飲むとされ、聖徳の天子の兆しとして出現すると伝えられています。鳳凰は仏教とともに中国から日本に伝来し、瑞祥文様(ずいしょうもんよう)として用いられました。
鳳凰堂は平安時代後期の1053年(天喜元年)に平等院開基で、関白・藤原頼通(ふじわらのよりみち)が建立しました。鳳凰堂は当方に面して建立され、阿字池(あじいけ)を隔てた西方に極楽浄土(ごくらくじょうど)があることを示しています。なお平安時代後期になるとお釈迦様の入滅から2,000年目以降に仏法が廃れるという末法思想(まっぽうしそう)が信じられるようになり、平等院が創建された1052年(永承7年)は末法元年に当たり、貴族らは極楽往生を願って西方極楽浄土の教主・阿弥陀如来(あみだにょらい)を祀る仏堂を盛んに建立しました。
●平等院鳳凰は鳳凰堂(国宝)に安置されている阿弥陀如来坐像(国宝)を造仏した仏師・定朝(じょうちょう)が原型を製作したとも言われています。
定朝は平安時代中期に仏師職の祖と称される仏師・康尚(こうしょう)の子として生まれたと言われています。1020年(寛仁4年)から父・康尚とともに太政大臣・藤原道長(ふじわらのみちなが)が創建した法成寺(ほうじょうじ・無量寿院(むりょうじゅいん))に9体の丈六阿弥陀像などを造仏し、1022年(治安2年)にその功績によって仏師として初めて僧侶に対し与えられる法橋(ほっきょう)に叙されました。1026年(万寿3年)に藤原道長の娘で、第68代・後一条天皇の中宮・藤原威子(ふじわらのいし)の御産祈祷の為に27体の等身仏を造仏しました。1036年(長元9年)に第68代・後一条天皇仏事の御仏3体、1040年(長暦4年・長久元年)に第69代・後朱雀天皇念持の一尺銀薬師像も造仏しました。1047年(永承2年)に前年に焼失した興福寺(こうふくじ)の仏像の修理・造仏し、その功績によって法眼(ほうげん)に叙されました。1053年(天喜元年)に平等院(びょうどういん)鳳凰堂(ほうおうどう)に本尊・阿弥陀如来坐像を造仏し、阿弥陀如来坐像が定朝唯一の確実な仏像と言われています。阿弥陀如来坐像は全てを柔らかな曲線と曲面でまとめ、平安時代後期の最高傑作とも言われています。定朝は寄木造(よせぎづくり)技法の完成者とされ、その和様の仏像彫刻様式は定朝様(じょうちょうよう)と言われています。なお定朝は1057年(天喜5年)9月2日に亡くなりました。
平等院見どころ

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