石清水八幡宮鎮護八幡神火祭2019/6/20

石清水八幡宮鎮護八幡神火祭(日程・時間・・・)を紹介しています。鎮護八幡神火祭は毎年6月に行われています。鎮護八幡神火祭では北海道から沖縄まで日本各地の氏子が願いを込めた祈祷木(護摩木)が神職や氏子などの参列者が見守る中、神職が唱える大祓詞(おおはらえのことば)とともにご神札などとともに焚き上げられます。(詳細下記参照)

【石清水八幡宮鎮護八幡神火祭2019 日程時間(要確認)】
石清水八幡宮鎮護八幡神火祭2019は2019年(令和元年)6月20日(木曜日)12:00から行われます。

【石清水八幡宮鎮護八幡神火祭 アクセス・マップ地図】
場所・・・京都府八幡市八幡高坊30
最寄り駅・バス停・・・八幡市駅(徒歩約15分)

アクセス路線は次の通りです。(最終更新2014年末・変更の場合あり)
*祇園四条駅から石清水八幡宮は京阪電鉄本線

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【石清水八幡宮鎮護八幡神火祭 歴史・簡単概要】
石清水八幡宮鎮護八幡神火祭(ちんごはちまんしんかさい)は毎年6月に行われています。鎮護八幡神火祭は日本各地から全国八幡宮連合に加盟している八幡神社の神職が集まり、午前中に八幡大神奉祀神社遥拝並神威景仰祭を行い、午後から総会を行った後に行われています。なお全国八幡宮連合は1954年(昭和29年)に結成され、現在約830社の神社が加入しているそうです。
鎮護八幡神火祭では北海道から沖縄まで日本各地の氏子が願いを込めた祈祷木(護摩木)が神職や氏子などの参列者が見守る中、神職が唱える大祓詞(おおはらえのことば)とともにご神札などとともに焚き上げられます。
大祓詞は奈良時代から祭祀の際に使われている祝詞(のりと)で、中臣祓詞(なかとみのはらえことば)・中臣祭文(なかとみさいもん)・中臣の祓(なかとみのはらえ)とも言いています。中臣氏(藤原氏)が奈良時代に朱雀門で奏上していたそうです。
八幡宮(八幡神社・八幡社)は八幡神(八幡大神)を祭神とする神社です。八幡神は第15代・応神天皇(おうじんてんのう)と同一とされ、誉田別命(ほんだわけのみこと)とも言われています。また神仏習合では八幡大菩薩(はちまんだいぼさつ)と称されます。八幡神は武運の神(武神)とされ、清和源氏・桓武平氏など武家から篤く崇敬されました。なお八幡神は第15代・応神天皇と同一とされることから皇祖神としても位置づけられ、天照大神(あまてらすおおかみ)に次ぐ皇室の守護神ともされています。

【石清水八幡宮 歴史・簡単概要】
石清水八幡宮(いわしみずはちまんぐう)は平安時代前期の859年(貞観元年)に南都(奈良)大安寺(だいあんじ)の僧・行教(ぎょうきょう)が豊前(大分)・宇佐八幡宮(うさはちまんぐう・宇佐神宮(うさじんぐう))の祭神・八幡大神(はちまんおおかみ)から「吾れ都近き男山の峯に移座して国家を鎮護せん」という神託を受け、男山の峯に神霊を奉安したのが起源と言われています。翌860年(貞観2年)に第52代・清和天皇が八幡造りの社殿(六宇の宝殿(ろくうのほうでん))を造営しました。石清水八幡宮の名称は男山に既にあった石清水山寺(摂社・石清水社)に由来しています。その後939年(天慶2年)の承平天慶の乱(じょうへいてんぎょうのらん・平将門の乱(たいらのまさかどのらん)・藤原純友の乱(ふじわらのすみとものらん))の平定以来、国家鎮護の社として皇室に篤く崇敬され、第64代・円融天皇の行幸から天皇の行幸や上皇の御幸は240余度にもなりました。また清和天皇を祖とする源氏諸氏族の氏神としても崇敬されました。なお明治維新後の神仏分離により、神号を「八幡大菩薩」から「八幡大神」に改め、1871年(明治4年)に社号を「男山八幡宮」に改めたが、1918年(大正7年)には「石清水八幡宮」に改めました。
*参考・・・石清水八幡宮(アクセス・歴史・・・)ホームページ石清水八幡宮(アクセス・歴史・・・)wikipedia

【石清水八幡宮鎮護八幡神火祭 備考】
*イベントの情報(日程・場所・内容など)は必ず主催者に確認して下さい。当サイトの情報はあくまで参考情報です。イベントの内容などが変更になっている場合もあります。
石清水八幡宮(アクセス・見どころ・・・)情報
石清水八幡宮見どころ(見所)

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