知恩院濡髪大明神・知恩院見どころ(修学旅行)

知恩院濡髪大明神

●知恩院濡髪大明神は白狐とも言われる濡髪童子(濡髪大明神)を祀っています。江戸時代前期、知恩院32世・霊巖上人(れいがんしょうにん)の枕元に濡れ姿ですすり泣く童子が現れました。童子は古くから御影堂(みえいどう)の地に住む白狐で、御影堂が再建された為に棲み処をなくしたということでした。霊巖上人は哀れに思って童子の為に寝ぐらを作りました。後日、再び霊巖上人の枕元に現れた童子はお礼に知恩院を火災から守ることを誓い、その証に御影堂の軒下に傘を置いていったと言い伝えられ、忘れ傘が知恩院の七不思議に数えられています。なお忘れ傘は名工・左甚五郎(ひだりじんごろう)が魔除けに置いたとも言われています。
霊巖上人は戦国時代(室町時代後期)の1554年(天文23年)5月9日に今川氏系の沼津土佐守氏勝の三男として駿河国で生まれました。同年の三河攻めで父と兄が亡くなり、11歳の時に駿河・浄運寺(じょううんじ)の増誉上人(ぞうよしょうにん)に師事して出家しました。15歳の時に下総国生実・大巌寺(だいがんじ)の貞把(ていは)・虎角(こかく)に学び、大巌寺三世になりました。その後大巌寺三世を辞し、奈良・霊巌院(れいがんいん)など奈良の浄土宗寺院の建立に尽力しました。江戸幕府初代将軍・徳川家康(とくがわいえやす)がその功績を知り、「大巌寺で再び法幢を立つべき」として再び呼び寄せて大巌寺に戻りました。その後安房大網・大巌院(だいがんいん)、江戸霊巌島・霊巌寺(れいがんじ)を建立し、1629年(寛永6年)に知恩院32世になりました。1633年(寛永10年)の火災で知恩院の伽藍の多くが焼失し、徳川家・後水尾天皇の帰依を受けて伽藍の再建に尽力しました。霊巖上人は1638年(寛永15年)に江戸に戻り、1641年(寛永18年)に江戸で亡くなりました。
御影堂は江戸時代初期の1603年(慶長8年)に江戸幕府初代将軍・徳川家康が建立したが、江戸時代前期の1633年(寛永10年)1月9日に焼失し、1639年(寛永16年)に江戸幕府3代将軍・徳川家光(とくがわいえみつ)が再建しました。焼失した際に知恩院32世・霊巖上人は江戸に下がって徳川家光に報告し、徳川家光が再建の命を下し、大和小泉藩第2代藩主・片桐貞昌(かたぎりさだまさ)が造営奉行になりました。なお御影堂は山内最大の建物(間口約45メートル・奥行約35メートル)で、内内陣に浄土宗(じょうどしゅう)の宗祖・法然上人(ほうねんしょうにん)の御影(みえい)を祀っています。
知恩院見どころ

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