知恩院友禅苑・知恩院見どこ

知恩院友禅苑

●知恩院友禅苑は1954年(昭和29年)に友禅染の始祖・宮崎友禅(みやざきゆうぜん・宮崎友禅斎)生誕300年を記念して改修造園されました。
宮崎友禅は江戸時代前期の1654年(承応3年)に能登国(石川県)穴水に生まれたとも言われています。初めに加賀染めを習い、その後京都に出て知恩院の門前町に住居を構え、友禅と号しました。扇絵師として人気を得て、友禅扇が流行しました。宮崎友禅は1682年(天和2年)に井原西鶴(いはらさいかく)が刊行された「好色一代男(こうしょくいちだいおとこ)」に記されています。その後手描きで思いのままの模様を描く扇の図柄を小袖の雛形(ひながた)に写し、門人で、絵師・日置友尽斎(へきゆうじんさい)の協力を得て友禅染を完成させました。1692年(元禄5年)に雛形本「余情(よせい)ひなかた」を刊行しました。友禅染は奢侈禁止令(しゃしきんしれい)により、豪華な織物や金銀の摺箔(すりはく)が使えなくなった町人に歓迎されたと言われています。なお宮崎友禅は金沢に移って亡くなったとも言われています。
●知恩院友禅苑は池泉式庭園と枯山水庭園で構成され、補陀落池(ふだらくいけ)に仏師・高村光雲(たかむらこううん)作の聖観音菩薩立像が建てられています。
池泉回遊式庭園は大きな池を中心に築山や池の中に小島・橋・名石などを配し、池の周囲に設けられた園路を回遊して鑑賞します。池泉回遊式庭園では休憩所・展望所・茶亭・東屋なども設けられます。なお回遊式庭園は室町時代に禅宗寺院、江戸時代に大名によって多く作庭され、日本庭園の集大成とも位置付けられています。
枯山水は池や遣水(やりみず)などの水を用いず、地形や石・砂礫(されき)などで山水の風景を表現する庭園様式です。枯山水は水がない庭で、石で滝、白砂で水などを表現する石組みを主体とし、植物が用いられてもごく僅かです。枯山水は中国の庭園や中国の宋(そう)・明(みん)の山水画(破墨山水(はぼくさんすい))などの影響を受け、南北朝時代(1336年~1392年)から室町時代(1336年~1573年)に禅宗寺院を中心に発達しました。禅宗寺院では方丈前庭などに多く作庭されました。枯山水は最初実景の写実的な模写が多かったが、次第に象徴化・抽象化が進み、石の配列による空間構成の美が重視されるようになった。枯山水は仮山水(かさんすい)・故山水(ふるさんすい)・乾泉水(あらせんすい)・涸山水(かれさんすい)などとも言われています。
●知恩友禅苑内には裏千家ゆかりの茶室・華麓庵(かろくあん)と知恩第86世・中村康隆(なかむらこうりゅう)の白寿を記念して移築された茶室・白寿庵(はくじゅあん)があります。
裏千家は茶道流派のひとつで、表千家(おもてせんけ)・武者小路千家(むしゃのこうじせんけ)とともに三千家に数えられています。裏千家は千利休(せんのりきゅう)の孫・千宗旦(せんそうたん)が建てた茶室・今日庵(こんにちあん)を受け継いだ千宗旦の四男・仙叟宗室(せんそうそうしつ)に始まります。裏千家は茶室・今日庵が通りから見ると表千家の茶室・不審庵(ふしんあん)の裏にあることから言われるようになりました。今日庵は1646年(正保3年)に建てられ、1788年(天明8年)の天明の大火で焼失し、その直後に現在の今日庵が再建されました。
知恩院見どころ

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