智積院ツツジ・サツキ見ごろ2021(5月中旬~下旬頃)

智積院ツツジ・サツキ見ごろ(例年)・見どころ

智積院ツツジ・サツキ見ごろ(時期・イベント・・・)情報を紹介しています。智積院には利休好みの庭とも言われる名勝庭園にツツジ・サツキが植えられ、ツツジ・サツキと名勝庭園などの光景が美しいと言われています。築山に丸く刈り込んだり、四角く刈り込んだりした独特の意匠の刈り込みがあります。(詳細下記参照)

【智積院 ツツジ・サツキ見ごろ(例年)】
智積院のツツジ・サツキの見ごろは霧島ツツジ・平戸ツツジが例年5月中旬頃、サツキが例年5月下旬頃です。ただツツジ・サツキの見ごろはその年の気候などによって多少前後することがあります。
京都ツツジ・サツキ名所・見ごろ

【智積院ツツジ・サツキ見ごろ アクセス・マップ】
場所・・・京都府京都市東山区東大路通七条下ル東瓦町964
最寄り駅・バス停・・・東山七条(徒歩約3分)

市バスのアクセス路線は次の通りです。(最終更新2014年末・変更の場合あり)
*京都駅からは100系統(D1乗り場)、110系統(D1乗り場)、206系統(D2乗り場)、208系統(D2乗り場)
*四条河原町からは207系統
*四条烏丸からは207系統
*河原町丸太町からは202系統
京都市バス・アクセスダイヤ京都バス・鉄道乗換案内システム「歩くまち京都」

*京阪電鉄本線の場合、最寄り駅は七条駅(徒歩約5分)

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【智積院 ツツジ・サツキ見ごろ(例年)・見どころ解説】
智積院はツツジ(躑躅)・サツキ(皐月)の名所です。智積院のツツジ・サツキの見ごろは霧島ツツジ・平戸ツツジが例年5月中旬頃、サツキが例年5月下旬頃です。
智積院には利休好みの庭とも言われる名勝庭園・池泉廻遊式庭園にツツジ・サツキが植えられ、ツツジ・サツキと名勝庭園などの光景が美しいと言われています。名勝庭園には築山からの滝の水を受ける南北に細長い池に石橋が架けられ、築山に丸く刈り込んだり、四角く刈り込んだりした独特の意匠の刈り込みがあります。ちなみに講堂回りにもサツキが植えられています。なおかつて長谷川等伯・久蔵父子が描き、国宝に指定されていた大書院には名勝庭園の池が縁の下に入り込み、その前に手水鉢が置かれています。
名勝庭園は「利休好みの庭」とも言われています。名勝庭園は安土桃山時代に関白・豊臣秀吉が祥雲禅寺(しょううんぜんじ)を創建した際に原形が造られたと言われています。その後江戸時代前期に智積院第7世・運敞(うんしょう)僧正が修復し、1674年(延宝2年)に完成して東山随一とも言われるようになりました。名勝庭園は築山が中国江西省・廬山(ろざん)、池が長江(ちょうこう・揚子江(ようすこう))をモデルとし、築山・泉水庭の先駆と言われています。築山は土地の高低を利用して造られ、その前面に池が掘られ、山の中腹や山裾に石組みが配されています。名勝庭園にはサツキ・ツツジ・モミジ・サルスベリなども植えられています。
霧島ツツジ(霧島躑躅)はツツジ科ツツジ属の常緑低木です。霧島ツツジは鹿児島に野生するサタツツジ (佐田躑躅)とヤマツツジ(山躑躅)を主とし、ミヤマキリシマ(深山霧島)が加わった交配種とも言われています。霧島ツツジは樹高が60センチ~90センチで、葉は広い楕円形です。霧島ツツジは春に小枝の先に紅色の漏斗状の花を数個つけます。
平戸ツツジ(平戸躑躅)はツツジ科の常緑低木です。平戸は古くから交通・交易の中心地であったことからケラマツツジ(沖縄諸島)を主な親とし、キシツツジ(西部日本)・リュウキュウツツジ(沖縄諸島)・モチツツジ(中部日本)・タイワンヤマツツジ(台湾)などと交雑し、平戸ツツジが生まれたと言われています。平戸ツツジは樹高1~2メートルで、花冠が大きく、白・桃・紅・赤・朱・紫色など多彩な花を咲かせます。
サツキ(皐月・杜鵑)はツツジ科ツツジ属の常緑低木です。サツキの名称は旧暦の5月 (皐月) 頃に一斉に咲くことに由来し、花期は他のツツジに比べると1ヶ月程度遅く、5月~6月頃になります。サツキは関東以西と九州南部に分布し、川岸の岩上などに自生しています。サツキは樹高が1メートル前後で、枝は細く密生して横に広がり、葉は披針形または狭倒披針形で先が尖っています。サツキは花色が深紅から白色で、咲き分け・絞り・八重咲などがあります。

【智積院 歴史・簡単概要】
智積院(ちしゃくいん)は南北朝時代に和歌山・根来寺(ねごろじ)の学頭・真憲坊長盛が平安時代に興教大師(こうぎょうだいし)・覚鑁(かくばん)が創建した大伝法院(だいでんぼういん・根来寺)の学頭寺院(塔頭・たっちゅう)として根来山内に創建したのが起源と言われています。ちなみに大伝法院は興教大師・覚鑁が高野山に創建したが、教義上の対立から根本道場を根来山に移し、鎌倉時代中頃に頼瑜僧正(らいゆそうじょう)が根来山に寺籍を移しました。安土桃山時代の1585年(天正13年)に根来寺(大伝法院)が関白・豊臣秀吉(とよとみひでよし)と対立し、根来攻めによって焼失しました。1601年(慶長6年)に智積院住職・玄宥僧正(げんゆうそうじょう)が江戸幕府初代将軍・徳川家康(とくがわいえやす)から豊臣秀吉が豊国大明神(とよくにだいみょうじん)として祀られていた豊国神社境内の坊舎・土地を寄進されて再興し、秀吉の子・棄丸(すてまる)の菩提を弔う為に創建された祥雲禅寺(しょううんぜんじ)も賜って境内・伽藍が拡充されました。江戸時代前期に第7世化主(けしゅ)・運敞僧正(うんしょう)が宗学を究め、智山教学を確立しました。なお智積院は本尊・金剛界(こんごうかい)大日如来(だいにちにょらい)を金堂に安置しています。
智積院は真言宗智山派の総本山です。
*参考・・・智積院(アクセス・歴史・見どころ・・・)ホームページ智積院(アクセス・歴史・見どころ・・・)wikipedia

【智積院ツツジ・サツキ見ごろ 備考】
*イベントの情報(日程・場所・内容など)は必ず主催者に確認して下さい。当サイトの情報はあくまで参考情報です。イベントの内容などが変更になっている場合もあります。
智積院(アクセス・見どころ・・・)情報

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