醍醐寺不動堂・醍醐寺見どころ(修学旅行・観光)

醍醐寺不動堂

●醍醐寺不動堂は金堂(国宝)と真如三昧耶堂の間に建立されています。不動堂は不動明王を中心に五体の明王(降三世明王(ごうざんぜみょうおう)・軍荼利明王(ぐんだりみょうおう)・大威徳明王(だいいとくみょうおう)・金剛夜叉明王(こんごうやしゃみょうおう))を安置しています。不動堂前は石造不動明王が建立され、護摩壇が設けられた護摩道場とされ、柴燈護摩が焚かれて世界平和など様々な祈願が行われます。
五大明王(五大尊・五忿怒)は魔を降伏させる不動明王・降三世明王・軍荼利明王・大威徳明王・金剛夜叉明王です。五大明王は平安時代前期に密教が隆盛すると五壇法(ごだんほう)の本尊として五大明王が祀られるようになりました。仏像では平安時代前期の839年(承和6年)に造仏され、東寺講堂に安置されている五大明王が最古とされています。
不動明王は密教の根本尊である大日如来(だいにちにょらい)の化身(けしん)とされ、五大明王(降三世明王・軍荼利明王・大威徳明王・金剛夜叉明王)の中心となる明王です。大日如来が衆生を教化する際、通常の姿では教化できないので、忿怒相(ふんぬそう)をもって現れたとされています。不動明王は背に火炎を背負い、右手に悪を断ち切る剣、左手に救済の索(さく)を持ち、全ての悪と煩悩(ぼんのう)を抑え、全ての生あるものを救うと言われています。なお不動明王はヒンドゥー教の最高神・シヴァ神が起源とされ、平安時代初期の804年(延暦23年)に遣唐使として唐(中国)に渡った真言宗の宗祖である弘法大師・空海が806年(大同元年)に密教とともに唐から不動明王の図像を持ち帰ったと言われています。
護摩はバラモン教の宗教儀礼が起源とされ、日本では天台宗(てんだいしゅう)・真言宗(しんごんしゅう)などで行われています。護摩には護摩壇に火を点けて護摩木を焚いて祈願する外護摩と心の中の煩悩などを心の火で焼き払う内護摩などがあるそうです。柴燈護摩(採灯護摩)は真言宗の開祖である弘法大師(こうぼうだいし)・空海(くうかい)の孫弟子で、醍醐寺開山である理源大師(りげんだいし)・聖宝(しょうぼう)が起源とも言われています。
●醍醐寺不動堂は入母屋造(いりもやづくり)の本瓦葺(ほんがわらぶき)です。
入母屋造は切妻造と寄棟造を組み合わせた屋根の形式です。寄棟造の屋根の上に切妻造の屋根を載せた形で、切妻造の四方に庇(ひさし)がついています。京都御所の紫宸殿(ししんでん)のように切妻と寄棟の角度が一続きでないものは錣屋根(しころやね)とも言われています。日本では古くから切妻造は寄棟造よりも格式が上とも言われ、それらの組み合わせた入母屋造は最も格式が高いとも言われています。入母屋造は法隆寺(ほうりゅうじ)の金堂・唐招提寺(とうしょうだいじ)の講堂に採用されています。
本瓦葺は陶器製で、断面が湾曲した矩形の平瓦と断面が半円状の丸瓦とを交互に組み合わせて屋根を葺く方法です。瓦葺は飛鳥時代に中国・朝鮮半島から寺院建築の技術とともに伝来しました。瓦葺は檜皮葺(ひわだぶき)・茅葺(かやぶき)・板葺(いたぶき)などに比べ耐水性・耐火性に優れ、台風の多い日本に適していました。なお本瓦葺は本葺き(ほんぶき)とも言われています。
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