醍醐寺五重塔・醍醐寺見どころ

醍醐寺五重塔

●醍醐寺五重塔は1897年(明治30年)12月28日に国の重要文化財、1951年(昭和26年)6月9日に国宝に指定されました。
●醍醐寺五重塔は平安時代中期の936年(承平6年)に第60代・醍醐天皇の第11皇子である第61代・朱雀天皇が父・醍醐天皇の冥福を祈る為に着工し、第60代・醍醐天皇の第14皇子である第62代・村上天皇の時代である951年(天暦5年)に完成しました。醍醐寺五重塔は京都府内で最も古い木造建築物です。なお安土桃山時代の1585年(天正13年)の伏見大地震によって損傷し、1597年(慶長3年)に関白・豊臣秀吉(とよとみひでよし)の援助によって修理されました。また1950年(昭和25年)のジェーン台風でも損傷し、1960年(昭和35年)に修理されました。
第61代・朱雀天皇は平安時代中期の923年(延長元年)9月7日に第60代・醍醐天皇と中宮・藤原穏子(ふじわらのおんし)の第11皇子として生まれました。大宰府(だざいふ)に左遷され、大宰府で亡くなった菅原道真(すがわらのみちざね)の祟りを避ける為、3歳になるまで御殿の格子も上げず、昼夜灯を灯して御帳台(みちょうだい)の中で育てられたとも言われています。925年(延長3年)に3歳で皇太子になり、930年(延長8年)に8歳で第60代・醍醐天皇の危篤を受け、第61代・朱雀天皇に即位しました。治世中に935年(承平5年)の平将門(たいらのまさかど)の乱・936年(承平6年)の藤原純友(ふじわらのすみとも)の乱が起こったり、937年(承平7年)の富士山の噴火などの災害・変異が起こったりしました。第61代・朱雀天皇は病弱だったことから皇子女に恵まれず、944年(天慶7年)に同母弟・成明親王(第62代・村上天皇)を東宮(皇太弟)にし、946年(天慶9年)に24歳で譲位しました。第61代・朱雀天皇は母・藤原穏子の言に従って譲位したが、その後後悔したと言われています。952年(天暦6年)に出家して仁和寺に入りました。なお第61代・朱雀天皇は952年(天暦6年)9月6日に30歳で崩御しました。
一般的に五重塔は仏教の祖・お釈迦さまの遺骨(仏舎利(ぶしゃり))を納める仏塔です。仏塔は紀元前3世紀頃から造られるようになったお釈迦さまの遺骨(仏舎利)を祀る饅頭形(半球形)のストゥーパが起源とも言われています。ストゥーパはインド(天竺(てんじく))から中国に伝えられると高層の楼閣建築形式になり、朝鮮半島から日本に伝わったと言われています。現在、7世紀後半の飛鳥時代に建立された法隆寺(ほうりゅうじ)の五重塔が日本最古の五重塔です。なお五重塔は外観が基壇・塔身・相輪(そうりん)からなり、五重の屋根が下から地(基礎)・水(塔身)・火(笠)・風(請花(うけばな))・空(宝珠(ほうじゅ))を表し、それぞれが5つの世界(五大思想)を示し、仏教的な宇宙観を表しています。
一般的に日本の仏塔の形式は三重塔・五重塔です。ただ七重塔・九重塔・十三重塔などもあり、層の数はほぼ奇数に限定されています。
●醍醐寺五重塔の初層には両界曼荼羅(りょうかいまんだら)・真言八祖などが描かれています。
両界曼荼羅は真言密教における根本理念を表したものです。曼荼羅は仏・菩薩(ぼさつ)などを体系的に配列して図示し、仏の悟りの境地である宇宙の真理を表したものです。曼荼羅には胎蔵界曼荼羅(たいぞうかいまんだら)・金剛界曼荼羅(こんごうかいまんだら・大悲胎蔵曼荼羅)・両界曼荼羅などがあります。
真言八祖は真言宗で崇拝される八人の祖師で、付法(ふほう)の八祖・伝持(でんじ)の八祖があります。付法の八祖は大日如来(だいにちにょらい)・金剛薩た(こんごうさった)・龍猛菩薩(りゅうみょうぼさつ)・龍智菩薩(りゅうちぼさつ)・金剛智三蔵(こんごうちさんぞう)・不空三蔵(ふくうさんぞう)・恵果阿闍梨(けいかあじゃり)・弘法大師(こうぼうだいし)です。付法の八祖は教主・大日如来の説法を金剛薩たが聞いて教法が起こり、真言宗の教えが伝わった系譜です。伝持の八祖は龍猛菩薩(りゅうみょうぼさつ)・龍智菩薩(りゅうちぼさつ)・金剛智三蔵(こんごうちさんぞう)・不空三蔵(ふくうさんぞう)・善無畏三蔵(ぜんむいさんぞう )・一行禅師(いちぎょうぜんじ)・恵果阿闍梨(えかあじゃり)・弘法大師(こうぼうだいし)です。伝持の八祖は付法の八祖から実在しない人物である大日如来・金剛薩たを除き、2人の祖師を加えたもので、八祖大師(はっそだいし)とも言われています。
醍醐寺見どころ

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